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ズレのある朝

 ゆっくりと瞼を上げた。

 眩しさを覚えて原因を探るとカーテンの隙間から明かりが差し込んでいた。

「夢……か」

 持ち上げていた頭を力なく下ろす。

 それはそうだ。

 事故に遭って死にかけて、過去に戻れるなんてあるはずがない。

 その証拠に俺は目覚め、見慣れた自室のベッドに転がっている。

 投げ出した体は、事故に遭ったのは夢だというように意のままに動く。

 手を目の前で握ったり開いたりを繰り返す。

「はぁ……」

 だらりと下ろした手は硬いベッドで跳ねた。

 期待していなかったといえば嘘になる。

 過去に戻れるならと何度思ったことだろう。

 それを夢にまで見るとはとうとう末期症状か。

 気だるげに体を起こし、中途半端に開いたカーテンへと向かう。

 カーテンを開くのはどれくらい前だったか。

「眩しい……」

 高校を卒業してから引き篭もり生活だったこともあって、日の光を浴びないモヤシみたいな感じになっているはずだった。

 無精髭を生やして日がなベッドに寝転び、何をするでもなく時間を浪費する生活はもう四年になるだろうか。

 何気なく顎にをなぞった手に違和感。

「あれ? 髭が……」

 生えてはいた。しかし俺の記憶の手触りとは違う。

 なんというか短いのだ。

「なんでだ?」

 髭を剃ったのは随分前だったはず。まさか引っ込んだというわけではないだろう。

「ま、いいか」

 髭が短かろうが長かろうがどうでもいい話だ。

 それはそうと今は何時だろうか。

 太陽が出ているから夜ではない。けれども朝なのか昼なのかがわからない。

 引き篭もりが気にするようなことではないが、机に転がしてある時計で時間を確認……しようとして首を傾げる。

「時計がない」

 乱雑に散らかっているはずの机上は整頓され、床に散乱していたゴミもなく、ベッドメイキングでもしたようになっている。

 家具の位置以外、俺の記憶と合致する場所が一つもなく、まるで誰かが掃除をしたようだった。

 しかしこの綺麗に片付いた部屋には見覚えがあった。

 それは俺が自堕落な生活を始める前――高校時代を過ごしていた状態だった。

「そんな馬鹿な」

 あるはずがないと思いながらも、久しく開けることのなかったクローゼットを開く。

 そこには見慣れ着慣れた一着の服がぶら下がっていた。

 もう着ることはない、処分した高校の制服が――。

 ピピピピピピピッ。

 そこへ混乱する思考を更にかき混ぜるような電子音が鳴り響く。

 驚きに揺れる視界のまま、音の発信源を探す。

 そしてそれはあった――ベッドに備え付けられた収納棚の上。

 そこは学生時代に目覚ましを止めやすくするために置いていた場所だ。

「そんな馬鹿なことがあるはずない!」

 言いようのない寒気を感じながらできるだけの声を張り上げる。

 何かの悪い冗談だ。

 そうじゃなければ悪夢か幻だ。

「朝から何を騒いでるんだ。近所迷惑だろう!」

 頭を抱えて震える俺以外に声がした。

 その声は俺の父親のものだ。

「ちょっと待てよ。親父は出張だぞ」

 確か向こう一年は帰ってこれないと言って、大きなバックを持って出て行ったのを覚えている。

 帰宅するにしても連絡を事前にする性格なのだ。サプライズなどしない性格で連絡もなしに帰ってくるはずがない。

「起きたなら早く食べなさい。遅刻するわよ!」

 半ば怒鳴り声のような感じで聞こえてくるのはお袋の声。

 引き篭もった俺に草臥れた声をかけていたものとは違って覇気のある声だった。

「……遅刻?」

 一体なんの遅刻だろうか。

 引き篭もりの俺に遅刻する用事などありはしない。

 そこで俺は思い至る。

「更生させようとしてるのか?」

 引き篭もる前の部屋に戻して以前の俺を思い出せということなのだろう。

 そう考えるのは仕方ないかもしれない。

 もう四年もの時間が経っている。

 いつまでも引き篭もらせておくわけにはいかないのも理解できる。

 だが――これでは古傷を抉るだけだ。

「……」

 子供を思う親の行動だとはいえ、やはり触れられたくない部分に触れられれば思うところはある。

 憤りを感じた俺は自室の部屋を出ることにした。



 ダイニングへ向かった俺を迎えたのは椅子に座って新聞紙を読む中年男性。

 テーブルに置かれたコーヒーに口をつけると軽く口角を上げた。

 短い髪を軽く固めた髪にネクタイを巻いたワイシャツ姿。椅子に掛けられた上着を纏えばまさしくサラリーマン、と誰もが言うような格好のその人は駒井芳徳――俺の父親だ。

「親父……だよな?」

「なんだ芳久。今日はまだ夢の中か?」

 しょうがない奴だと苦笑する姿は間違いなく俺の親父だ。

 けれどなんというか若く見える。

 出張するときに見送った顔にはもっと頬に皺があった気がする。

「遅刻するって言ったでしょ。さっさと食べなさい」

 その言葉と共に横切っていく女性。

 持っていたものをテーブルに並べて振り返る。

「ちょっとなんで着替えてないのよ! 時間見てないの?」

 もう、と女性はエプロンを外しながら嘆息を漏らす。

 撫で付けられたような髪は肩口で切り揃えられ動きに合わせて揺れる。そしてハキハキとした口調は間違いなく俺の母親――駒井千草だった。

「お袋……?」

「どうしたの?」

 俺の動揺を察したお袋は怪訝そうな顔で俺を見る。

「もしかして調子悪いの?」

「あ、いや……大丈夫」

 不安そうにするお袋に負い目を感じて首を振る。

「そう、なら食べちゃいなさい。時間もないんだし」

「あ、ああ、わかった」

 何もわからないまま俺は自分の席に着く。

 目の前に置かれたのは何の変哲もない朝食のメニュー。ご飯と葱と豆腐の味噌汁。目玉焼きにキャベツの千切りが盛られたワンプレート。

 どこにでもある普通の朝食。けれど俺にとっては数年ぶりのまともな朝食だった。

「どうした芳久。本当に具合が悪いのか?」

 読みかけの新聞を折りたたんで覗き込んでくる親父から目を反らす。

 散々突っぱねてきた優しさを今更まともに見ることなどできそうにない。

「大丈夫だって。ちょっと久しぶりに家族で朝飯を食うから慣れてなくてさ」

「何を言ってるんだ。昨日だって一緒に食べただろ」

「……え?」

 ごく普通に言う親父に俺は搾り出したような声が出る。

「なんで不思議そうな顔をしてるんだ。昨日の朝食はワカメの味噌汁だったぞ、な母さん?」

「残念でした。昨日は筍とワカメの味噌汁。もうボケが始まってるのかしら?」

「ぐっ。だ、だが近かっただろ」

「そうねー」

 割と悔しそうにする親父をからかうお袋。

 やはり俺の知る両親の姿だった。

 とはいえその姿はどうみても俺が高校時代にあった光景だった。

「なぁ」

「ん」

「何、芳久」

「こんな芝居は止めてくれよ」

 言葉の後半は少しだけ震えていた。

「俺が四年もの間、引き篭もっていたからこんな変な芝居をしてるんだろ!? いつまでも部屋にいたって仕方ないから社会に出て自活しろって! 俺だって高校を卒業したあと親父みたいにサラリーマンやってれば少なくとも二人に迷惑をかけることもないってわかってるんだ! だけどよりにもよって高校時代を思い出すようなことはしないでくれよ! 俺にとって高校時代は思い出したくないんだ!」

 一気にまくし立てて思いのたけを吐き出した。

 荒れる呼吸を整えるのに時間を要し、次第に落ち着いてくると顔を上げる。

 親が一体どんな顔をして俺を見ているのか。

 まともな生活もしないでいる俺への怒りに染めているのか。

 それとも悲しみに染まっているのか。

 失望に暮れた顔になっているのか。

 薄ら寒い思いで顔を上げると――。

「何を言ってるんだ芳久」

「は?」

 あれだけぶちまけた俺へ対する言葉は想像していたもののどれでもなく、

「やっぱり寝ぼけてるんだな」

 親父はやれやれと肩を竦めていた。

 そのあとに続けたお袋も同様。

「昨日は夜更かしでもしたの? ダメでしょ」

「いや、そうじゃなくて」

「そうじゃなきゃわけのわからないこと言わないでしょ。あんたこの前のテスト上位だったんでしょ?」

「だから、そうじゃなくて」

「ああもう、はっきり言いなさい。何が言いたいの?」

「だって俺はもう高校を卒業して――」

 続きを言おうとしてお袋はテーブルを叩く。

「何? あんたまさか学校サボりたいわけ?」

 もとから切れ長の目が細められる。

「調子が悪いわけじゃないのに休みたいなんてサボりよね? それを堂々と言うなんていい度胸じゃない、ねぇ芳久?」

「え、ちょ……」

「時間がないって言ってるのに、こうしてグダグダしてるのもサボるから問題ないとでも?」

「別に俺は」

「うっさい! 正当な理由がないのに学校は休ませません! 理由があるなら今ここで三十字以内にまとめて提出しなさい。それができないならさっさと着替えて登校しろ!」

 お袋は握っていた箸を俺の眼前に突きつけて命令した。

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