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あんだんて!~春の終わりに咲くサクラ~  作者: 古縁なえ
いっせーにょっ! いちっ!
1/2

1.いつもの道で


 桜舞う並木道に、やわらかな日差し。麗らかな春の景色というにぴったりの光景では無いだろうか?


 俺こと鶴来 楓<ツルギ カエデ>が源王学園に入学して二年目の春がやってきた。


 少し光景が変化しただけで、通い慣れたこの道も新鮮に思えてくるから不思議なものだ。なんて、年寄りめいた事を思って和んでいた頃が今は懐かしい。


 俺の世界は、この一年で劇的に変わっていく。


 とても「普通」の一言では表せない、愉快で不思議で悲壮な一年の中で。


─*


 突然だが、俺には友達と呼べる人や、大切な人と呼べる人は一人を除いていない……たぶん。


『いない』


 こんな表現よりも、作らない様にしてきたという表現の方が適切かも知れない。故に、俺の高校生活は灰色と呼ぶのに相応しいだろう。


 別に後悔もしていないし、変えようとも思わない。これで良いんだ。


 深く干渉しなければ、闇の先なんて見られることは無いのだから。 


 でも。


 本心は、退屈だった。自発的な事とは言えど、孤独を感じるのに慣れなんてあるのだろうか?


 重ね着た虚の鎧は、孤独の分だけまた重量を増やして行く。


――俺は無意識に探していたのかも知れない。


――その虚な呪縛から解き放ってくれる人を。


~1.いつもの道で~


 こんな感じの導入は食傷気味だろうか? その日、俺は限りなく急いでいた。


 テンプレートとも言えるべくお約束……遅刻と戦っている訳だ! 遅刻戦隊カエルンジャー! 帰らない。


 丁寧に身支度を整えてから家を出る頃には、残り時間は10分を切る頃だった。


 もし、あと10分遅れていたら、開き直っていただろう。


 もし、この時間が1秒でも狂っていれば、俺の日常は変わらなかっただろう。


 たぶん。あ、でも、1秒は言い過ぎだな。3秒いや10秒程度の誤差なら大丈夫だった。


 とにかく。


 そんな奇跡とも形容出来そうな偶然が、始まりのキッカケとなったわけだ。


 本当はずっと昔から始まっていたのかも知れないけれど。



 ソレが起きたのは学校へと繋がる横断歩道でのこと。


 世界記録でも弾き出すのでは無いかと思う程の快走で、なんとか遅刻を免れることが出来そうな目処が立った。


 きったない場所もとい雰囲気の悪い近道を抜けて開けた道へと出る。すると目前には、あら不思議。目的地が見えるでは有りませんか!ってね。


 横断歩道を渡れば、直ぐそこは学校。気分は上々でしたよ。難易度が高ければ高いほど、クリアした時の高揚が楽しめるってもんだ。うんうん。でも俺はイージーモードが好きかな。やっぱり楽したいし。


 そんな陽気な脳内会話は横断歩道に目を向けた瞬間に別の思考に切り替わる。


 視界に学校を収め、スパートを掛けるべく横断歩道へ体を向けると、そこには何やら人垣があった。


 見るからにきったな――柄の悪そうなお兄さんが3人と、自分と同じ学校の制服を身に纏った女の子が1人。何やら不穏な空気が漂っている。


 事なかれ主義の俺からして見れば、あそこに近づくのは躊躇われたが、遅刻寸前! 背に腹は変えられない。生活指導の先生って、げに恐ろしき生物だからね。きったないだけのあれとかそれとか霞んじゃう本物だからね。


 というわけで、私は無関係ですよー的なオーラを全身に纏い、横断歩道へと身を投げた。身投げである。決死の覚悟があった。


 横断歩道のちょっと先、集団の後ろの程々に離れた場所で足を止める。適正距離だ。


 ここで待機して、信号が青になった瞬間に抜群の加速でもって抜き去って駆け抜ける。これが至高の選択肢だろう。


 しかし、まぁ。女の子一人に集団で集る怖そうなお兄さんってのも不埒な香りがする。


「……ちらり」 


 楓は様子を伺った!(盗み聞き的な意味で)


 すると、いかにもチャラ男を彷彿させる様なイントネーションの、芋臭い声が聞こえてくる。


「ガッコーなんかサボって俺らと遊びいこーや」


 なんとも手垢の臭気漂うセリフだった。この後の展開は手に取るように分かるぞ。


 きっと女の子の方は、嫌です! とか言ってその場から逃げようとするのだろう。そして逃げようとした所で、腕を捕まれ……ヒーロー見参! だろ。いいね、アツイネ。物語の始まりを目の当たりにしちゃうかも。わくわくしながら周囲を見渡してみる。あれ? ヒーローが見当たらないな。


「……ふ」


 私は何も知らない見ていない! 私は非力で日和見な只の村娘よ。男だけど。


「い、嫌です」


 とかなんとか女々しく言い訳を連ねていると、透き通った女の子の声が耳に入る。その声は恐怖からか、微かに震えていた。


 こんな公衆の場でインモラルな展開にならないよな? えっちぃのは駄目だ。俺が認めん。


「じー」


 楓は様子を伺った! 不幸中の幸いか、まだ腕を掴まれているだけみたいだ。でも、このままだとそれだけで済むとは思えないよな。どうしよう。


 何処ぞやのラブコメ主人公だったら、やたらとハイスペックで喧嘩もなんでも強い設定なんだろうけど俺そうじゃないから、精々『やめろYO!』とHIPHOPするぐらいが限界だ。


 見捨てるのは寝覚めが悪い。良心の呵責に潰されちゃう。ホントどうしよう? 凝視して見守っていたら、やんちゃんと目が合った。


 でも大丈夫だよね。ここは現実だし。ポケモ○の世界だったら目が合ったらバトルだけど、ここ違うし。


「なに眼つけてんだコラ?」


 楓は絡まれた! 駄目じゃん現実なにやってんの! 同時に信号が青に変わる。


 走り抜けようとした頃には既に手遅れで、視線を交わした結構お太りあそばされている怖そうなお兄さんを筆頭に、合計三人の怖そうなお兄さんが俺を挟んでいた。囲んでるんじゃないんよ、挟んでいるんよ。現実って厳しいんよ。


 よく見ると、ふくよかな人はプーさんみたいだし、一人はゴボウ並に身体つきが細いから、怖い人は実質一人だけだな。でも、多勢に無勢。雰囲気だけでも怖いものは怖いのである。


「やんのかコラ?」


 太ったお兄さん――長いしふくよかさんでいっか――が俺の胸ぐらを掴み、定番の台詞を吐く。肉感があれで、クッションを押し付けられてるみたいで不快じゃないけど、状況は最悪だ。


「あっ……」


 女の子が俺の存在を認識して、吐息を漏らした。くりくりの大きな栗色の瞳は救世主の登場に喜ぶのでも、期待するのでもなく、生贄となる者を見るような心配を湛えている。正しい評価だと場違いにも感心した。


 その女の子は、ふくよかさんの隣にいるゴボウ男に腕を捕まれている。ふぇぇぇ、ごめんなさいぃーとか言っておけば、なんとかなりそうだけど、こんな奴らの機嫌取りなんてしたくないな。俺のプライドが許しても、世界が許してくれない感じ。


 だからと言って一泡吹かせてやるー! 後悔しても遅いぜー! ひゃっはぁぁぁ! なんてアホみたいに意気込むのも面倒だ。ごめんなさい格好つけました。本気以上の力を出したって無理です。


 となれば、もうあれ。適当にあしらって適当にボコボコにされるだけだ。もはや遅刻も免れないし、どうとでもなれ。そう諦観し、口を開いた。


「このPig fellow《豚野郎》!」


「おぉん? コラ? なんて言ったんだコラぁ!?」


 俺の一言に取り巻き共々沸き立つ。幾ら俺の発音がネイティブに近い素晴らしい発音だったからとは言え、これしきの英語が解らないなんて、これだから学のない連中は困る。


 卑劣なテロ行為に屈する俺ではない。毅然とした態度を崩さぬまま、相手を見据えた。


「対話による解決をって言いました! 野蛮な手段は良くない。暴力は手軽だ。その拳を相手にぶつければ、それはもう暴力だ。力が全てなのか? 強ければ偉いのか? 違うだろう、そうじゃないだろう。あんたらのやり方が世界の標準ならな、今ここに核ミサイルを落とされたって文句は言えない! それが例え『なんとなく』だなんてふざけた動機でもだ! 血が流れるだけでは済まな──」


「能書きがなげぇんだよゴルァッッッ!!」


 ふくよかさんの拳が振り上げられる。中々どうして不良という種族はこうも直情的になれるのだろうか。電信柱と喧嘩して粉砕骨折しちゃえばいいのに。それに、何でもコラ付けるのはおかしいと思います。


 咄嗟に目を瞑って、そんな他愛もない思考が頭を満たすと、程なくして、ふくよかさんの拳が俺の頬にクリーンヒットした。


「あうちっ」


「リアクションコラァ!」


 何が気に入らなかったのか、すかさず二撃目が入る。


「I☆TE」


「おぉぉぉぉぉぉぉん!?」


 立て続けに三撃目がスマッシュヒット。この人、鬼? オークか何かなの?


 痛い。が、大した事はないみたいだ。パンチの一つも勉強しないのか。その拳には重さも中身も正義もジャスティスもなぁんにもない。


「えぐえぐ」 


 まぁ只の強がりな訳で、凄く……痛いです。できればこれきりにして頂きたい。耳がきーんってする。俺の耳の穴をあら○ちゃんが大爆走中だ。


「今なら謝れば許してやるぜ?」


 ふくよかさんがイイ気味だと言わんばかりの流し目で半泣きの俺を見る。お手軽な全能感にでも浸ってるのだろうか、その顔は神隠しのオハナシの豚のように醜い。


 痛いのは嫌だ。痛いもんは痛いから。俺、被虐癖をこじらせてるわけじゃないし、ノーマルだし。だから、謝っちゃった方が楽だな。


「ふぇぇぇ、ごめんなさいぃー」


 だから、謝った。精一杯かわいく謝った。俺はこの局面で、人生で最大級の女子力を発揮した。なのに。俺のワイシャツの襟首が勢い良く引っ張られる。


「ふざけてんのかてめこら」 


「ふぬけてんねん、亀の甲羅? ちょっと何言ってるか判んないんですけど、それって許してくれるって意味ですか?」


「そんなわけ、ねーだろごるぁ!」 


 ぶっ飛ばされた。吹っ飛んでないけど。俺の襟はまだ敵の手の中だ。


 口の中に鉄の味が広がる。出血したみたいだ。俺はすぐさま鉄分を摂取した。あ、血を飲んだって事ね。そして、激昂する。


「あんまり痛くしないでって言っただろうがッッッ!」


「初めて聞いたわゴラァ!」 


 そうだったっけ? なんて疑問符を浮かべている間に追撃が飛んでくる。俺はそれを首を動かして冷静に回避した。


「なっ!?」


「馬鹿め。怒りに任せて拳を振るうからそうなるんだ。戦いとは常に冷静で居る方が制す。つまりこの瞬間、あんたの優位は完全に失われた」


 嘲笑してからふくよかさんに目をやると、拳を握り締めワナワナと震えていた。いつ飛び掛かってきてもおかしくないな。気付いたけど、俺ってばまだまだ俄然不利じゃん。


 そんなに僕を見つめないで下さい。これなんて視姦? 仕方がない。そろそろ本気を出すか。


 ほら、第三の目みたいな何かが目覚めるなら今だぞ。え、ない? 生憎そんな設定は無い? 嘘だー、あるよー、ないと困るよー。俺は冷静を失っていた。


 捕まってる女の子なんて、もう俯いてますよ? 目も当てられないとばかりに。


 ん? あれ? それよりあの女子、そこはかとなく見覚えがような気がする。誰だっけなぁ? 喉の辺りまで出てきてる気がする。俺は差し迫る脅威と現実から目を背けている気がする。


 それは、無駄な抵抗だった。俺が現実を認識してなくたって、現実ってやつは勝手に進行するんだよな。この世界で一番の構ってちゃんは現実だと俺は思いました。


「モルスァァァァァァッッッ!!」


 カハッ。ふくよかさんの会心の一撃が腹部にヒット。私は死んだ。


「審判、タイムアウト。これ駄目。冗談抜きで痛い。もう何も言えない」


 黄泉から光の早さで復活。出る物出たんじゃない? ってくらいにさっきのパンチは効いた。もうなんも言えない選手権自由形があったら優勝できるレベルだ。暴力反対。俺は余りの腹の痛さに、地に伏せ蹲った。


 腹筋鍛えておけば良かった、なんて思うのは後の祭りか。くそぅ、モルスァってなんだよもぉ、気になって気になって仕方が無いじゃないかぁ。


「気合い入れる為の掛け声に決まってんだろ」


「やめて。私の心に土足で踏み込まないで」


 意気消沈だ。心身ともに敗北を刻まれた俺にはもう抵抗の気力もない。


「良いザマだなオイ」


 俺の今の様相は端から見れば滑稽だろう。だからこそ、ふくよかさんも満足気に俺を見下ろしているのだろう。取り巻きも、きっと汚らしい笑みを浮かべている筈。


 こんな奴等、いなくなればいいのに。この間違った光景を、浅ましい、滑稽だと思う人間もみんな同族だ。だから、さ。俺はあんたらにもこう言うよ――。



――助けてください。



 あ、間違えた。



──消えてしまえ。って。



 この世に悪が栄えるのは、善の執行者が圧倒的に少ないからだと俺は豪語する。


 善では無いのなら、悪だ。多勢に無勢で善の皆々様は圧殺です。皆嫌いだ。大嫌い。悪が消えれば世界は正義で満たされるのです。でもあれだ。正義も正義で胡散臭いな。疑心暗鬼か。


 悪の手によってピンチに曝されている人を見かけたって、平然と見捨てちゃう。世間は冷たいよな。あ、俺もそのつもりだったな。まぁそんなことはどうでもいい、二の次だ。戻れない過去よりも未来を大切にしよう。


 だから作戦変更だ。やっぱり諦めるのはまだ早い。俺の戦いはまだ始まったばかりだ。意地でも逃げよう、そうしよう。ただ、なんかこのまま尻尾を巻いて逃げるのは違う気がする。どれぐらい違うかって言うと、マリモとアフロぐらい違う。


 このままじゃ俺、悪に負けたまま無様に敗走して泣き寝入りする被害者で終わっちゃう。それって、どうなの? 沸々と底知れない力が湧いてきた。


 俺が狩られて終わるだけの哀れな兎だと思ったら大間違いだ、ふくよか三太郎。目に物見せてやんよ! 俺の身柄だけじゃなくて、女の子も助けてやらァ! 俺は勇ましく立ち上がった!


「お、立ち上がるか貧弱野郎。進んでサンドバッグになろうってのか。感心だなごるぁ!」


 ふくよかさんの必死な煽りを無視して状況の確認に思考リソースを持っていく。


 信号はまだ青。横断歩道を渡れば、学校と言う名の安全地帯は目と鼻の先だ。そこまで逃げ切れれば難を逃れられそうだな。


「おぉん? 何黙りこんでんだゴルァ」


 そうなるとクリアすべき問題は女の子の解放か。


 向こうは三人。対峙しているふくよかさん、その右斜め後ろ辺りで女の子を捕まえているゴボウ男に、俺の背後にいる長身金髪ピアス。それに対し、こちらは一人。数的には不利だけど、なんとかする。


「おぉぉぉぉぉぉぉん!? もう一発食らいたいのか!?」


「こういう諺がある」


「おんおん?」


 おにおーん。指を一本立てて見せて、神妙に告げる。


「弱い犬と家畜の豚は良く鳴くんだとさっ」


 手を閉じてカウントゼロ。超高速カウントダウン終了です。


「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉん!? ぶっ殺すっっっっっ」


 全く、つくづく学ばない男だ。せっかく、人が親切に冷静さを欠いたら駄目って教えてあげたのに、もう我を見失って飛びかかってきた。


 何はともあれ状況開始だ。ふくよかさんは弾力のある肉がダメージを軽減させる効果があるみたいで、攻撃力は大した事ないし、ゴボウ男はきっと見たままだ。


 誰かの影に隠れている人間は自分に限りなく自信が無い。おそらく、他人の威を借りて平穏を守るタイプだろう。


 だから問題は背後の金髪長身ピアス。この人次第で全てが決まると言っても過言ではない。ふくよかさんを跨いで向かいの信号が点滅を始めた。


「モォォォルスァァァッッッッッ!」


 これまでで最も気合を入れているのか、掠れ裏返った声を轟かせて、ふくよかさんが本日三度目の楓君フェイスを目指した拳を放ってくる。


 このパンチコースは都合三回目だ。避けるのは容易い。なんなら、カウンターもいけちゃうくらい。


 顔面へ真直ぐ放たれた拳をスウェイバッグで躱し、勢い余って長身金髪ピアスの方へよろめくふくよかさんの首筋にすれ違いざまに手刀を入れる。


「攻撃力を犠牲にした分、防御力はありそうだな」


 俺のあまりの手刀の鋭さに首が飛んでしまう心配があったけど、アルファゲルでも着込んでるんじゃないかってぐらいに衝撃を吸収されて、杞憂に終わった。


「モスラァァァー!」


 ふくよかさんはチョウチョ的な怪物の名前を叫びながら長身金髪ピアスへと前のめりに突っ込んで行く。おかしいな、首チョップが決まったのに気絶してない。


 想定外ではあるけど、問題ではない。このまま長身金髪ピアスが怯んでくれると良いけど……思考しながらも、間髪入れずにゴボウ男の方へ迫る。


「ヒィッ」


 ゴボウ男は情けない声を上げて身を竦ませた。想定よりも遥かに簡単に少女の救出に成功する。


 俺は女の子の手を取り、速度を緩めること無く横断歩道へ。


「え? あ、えっ?」


 しめしめ。後は駆け抜けるだけよ。ピリオドの向こうへ……! どうでもいい話だけど『.の向こう』って書くと格好悪いよね。カタカナってカッコいいな。語感が刀みたいで、切れ味がある。コミットしてる!


 女の子は何が何だか分からないといった表情をしているが、悠長に説明している余裕を持ち合わせていない。


「このまま学校まで走るぞ」


 正直しんどい。呼吸が荒む。疲労とか負傷の事を全然考慮してなかった。ハァハァ。


「ハァハァ」


「なんだか、怖いよ!? そうじゃなくて、手! 手を!」


 女の子は綺麗な栗色の長い髪を振り乱しながら、顔を紅潮させている。なんだ、手を握られてるぐらいで照れるのかウイやつめ。


「そんな照れる余裕があるなら全力で走って下さい。俺を引っ張るぐらいがちょうどいい!」  


「な、なにそれ! 恥ずかしいから、まずは手を離してよっ!」


「恥ずかしがる暇があるなら、脚を動かすんだ。優先順位を履き違えるな!」


 態勢を立て直したのか、鬼のような形相をした長身金髪ピアスが迫っている。すごぉい殺気(笑)なんだけども。


「そそそその通りなんだけどっ、でも手を繋いでる必要はないでしょ!」


「ないな。でも、二人なら心強いだろ」


「私、鶴来君が何を言ってるのか解かんないよ! それにほら、手なんか繋いでるから、どんどん追いつかれてるよ!?」


「めっ、見てはいけません! パツ菌が伝染<ウツ>ってしまいますよ」


 って、なんでこの子、俺の名前を知ってるんだ? 俺の立場を思い出せば、知られていても無理は無いけど。


 とりあえず、その疑問は今は置いておく。場合によっては対策が必要だ。もう一度チラッと振り向いて後ろを確認してみる。ウッ。


「うわぁぁぁぁぁっ!? パツ菌が伝染るぅぅぅぅぅ!!」


「てめぇは人をおちょくってんのかっ!?」


 殺気(笑)が増した。そしたら心なしか相手の走力が上がったような気がする。だんだん距離が縮んでる。殺気って原動力になるんですね。


 感心してる場合じゃないな。現時点で横断歩道の半分を渡り終えた所だ。ゴールの校門まで目算で残り50メートル程度か。


 そして、鬼が此方に肉薄するまで5秒も掛からないと思われる。


「確か、俺の50メートル走のタイムは6。いや、8? 9だったような」


「それ、小学生よりも遅いんじゃないかな……」


「100メートルのタイムと混同してたな」


「100メートル9秒は世界を狙えるレベルだよ!?」


 世界の楓。悪くない。それはそれとして。


「君、少しでいい。あの男を足止めしてくれないか。俺に秘策があるんだ」


「その前に手……は、もういいや。何をするつもりなの?」


「君が稼いでくれた時間で俺が無事学校に逃げ延びる。どうだ」


「どうって……えっ、本気?」


 梅雨の湿気ばりのジト目を向けられた。やっぱり無理ですよね。ダメ元だったけど、こんな目を向けられるくらいなら胸に秘めたままにしておけばよかったな。


 希望はそういうものだ。大事に大事に胸に閉まって置かないと 口に出した瞬間、現実の質量に塗り潰されてしまう。


 とかなんとか遊んでる内に、もう追い付かれますよっと。やむを得ないか。かくなる上は、自力で頑張るしかないな! 最初からそうしておけば良かったんだ!


 横断歩道を渡りきって、女の子の手を離した。俺よりも勢いのあった女の子はびゅんっと加速する。


 あの速度があれば足止めなんてしなくても逃げ切れ──いや別に俺も本気を出せばあれくらいは出るよホントだよ。ただあれだよね、それはあのあれ。そうそう、俺だけ疲労とか負傷とかあるからね!


 解放された事に気がついた女の子が首だけで此方を振り返って不思議そうにしているので、俺は残りの少ない肺の空気を使って背中を押さなければいけなかった。


「もちろん冗談だ。余計な力は抜けただろう?さ。後は、この俺に任せて学校にいきたまえ」


 おっと。俺の内に眠る強者のオーラが漏れ出して、言葉遣いに出てしまったな。不覚だ。真の強者は、決してオーラを垂れ流さないものだ。


「……へ?」


 女の子は怪訝そうに小首を傾げた。あぁもう、物分かりが悪いな。さっきと言ってることが正反対だからってのもあるんだろうけど。


「ここはなんとかするから、君は逃げて」


 俺はまだ訝しげな視線を送ってくる女の子の背中を言葉と物理で押し出すと、反転して長身金髪ピアス改めTHE・DQNと対峙した。


 狂気のDQN VS 楓


 勝率は、どうだろう? 分の悪い賭けではあるが、頭脳では圧倒してる自信がある。緻密な計算でカバーしよう。角度とか。


「あん? 観念したのか? それとも、女の前で格好つけてんのか? 色白の分際で調子に乗んなよ?」


 確かに事情があって俺は平均よりもかなり肌が白いけど、色白を蔑称みたいに使われると、下手な暴力より傷つくからやめて欲しい。


「肌の黒さが強さに直結するなんて初耳だ。じゃあ、あんたはさぞやお強いんだろうな」


「少なくともテメぇよりは、ナァっ!!」


 DQNは威勢の良い雄叫びと共に攻撃を仕掛けて来た。流石に、ふくよかさんより格段に機敏な殴打の数々を俺は主に後退しながらやり過ごしていく。


 運動能力で勝る相手からのラッシュを凌げるのも、偏に俺の角度計算が不足を補ってあまりあるからだろう。その拳が辿るであろう軌跡が瞬時に思い描ける! すなわち未来が見える! 角度って凄い! 角度の勉強を蔑ろにしたこと、それがあんたの敗因だよ。小学四年生から出直して来い。


「ちぃッ」


「たけお?」


「ああッウゼェっ!!」


 殺気(笑)。相手の舌打ちの回数が増えてきた。ふぉふぉふぉ、精神が乱れていては当たるものも当たらぬぞ。なんて、俺の方にはゆとりが生まれてくる。


 長いリーチが活かされた蹴りを屈んで避けて、また距離を取る。そしてまた性懲りもなく繰り出される猪突猛進な大変分かり易い攻撃を繰り返し避け続ける。


 バックステップ! バックステップ! 相手が攻撃に夢中になった隙に、いざという時の為にブレザーのポケットに常備しているアレを素早く取り出して、指先にセットする。


「輪ゴームっ」


「っ」


 ぴしんっ。指に番えた輪ゴムが射出されて狙い違わずDQNの額で跳ねて気の抜けた音を残して落下する。


「やーい、びびって目を瞑ってやんのー! なぁなぁ色黒最強ちゃうん?」


「決めた……ぜってぇ、血祭りにあげてやる。泣いて謝っても許してやらねぇ!!」


「輪ゴームっ」


「もう効くかァっ!!」


 ひたすら躱し続けるだけのこの作戦。だが確実に成果を出し始めている。生憎その成果を見られる時間はないけど。


「クソッ。ちょこまかちょこまかと……っ」


 そうしてバックステップを続けていくと、あら不思議、いつのまにやら背後には校門が。作戦の内容は至ってシンプルだった。


 女の子が逃げる為の時間稼ぎも兼ねて、足止めをしつつバックステップで学校に向かっただけ。


 足手まといを排除し、その安全さえ確保出来れば一人なら簡単に逃げ切れる自信はあった。あったよ、ほんとだよ。


 あっちが捕まっちゃったら面子も糞もないし。やれば出来るんだなぁ、俺も。初めて知った。あいキャンどぅーいっと!


「俺の居ない所でキャンキャンキャンキャン負け犬の遠吠えでもしてるんだな。じゃっ」


 決め台詞を吐いて、清々しい気持ちで俺はそれはもう華麗に振り向いた。そして――固まった。 


「ふぇ?」


 小首を傾げてみる。門が閉まってて入れないよ? そんな事をしていたら、当然――。


「何か、言い残すことはあるか?」


 肩口をがっちり掴まれて観念するしかなくて。俺はツブラな瞳をパチクリさせて、こう言うのでした。


「あんまり痛くしないでね。今度はちゃんとあらかじめ伝えたからな」


「聞き入れると思うのか?」


「俺は、信じることの勇気をここに示す」


 信じる、それはとても難しい事だ。走れメ口(←これはクチと言う漢字です)スでだって、ただ信じ続けた事を美談にしているくらいだ。俺は勇気を以って、信じよう。彼の心を。その内に息づいているであろう、善性を。


 その後、少女が呼んだ助けが来るまでの約5分間。私は現代社会が生んだ悪魔の為すがままにフルボッコにされましたとさ。めでたしくないめでたしくない。


 ちなみに、生活指導の先生にも説教されるおまけも付きました。現代社会が悪魔だな、うん。

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