〔1-8〕散って雨
そんな満足感は当然ながら、帰り道の途中で跡形も無く消え失せる。
確かに花火とは、そういうものではあるものの。
まともに女子と会話をした事も無い僕が、びっくりするくらい饒舌になっていた。
それはとても、楽しい事だった。
それはとても楽しい事だっただけに、それはとても……。
とても。
……。
混濁した頭の中には、どういう道順を辿ったかすらの記憶も無い。
まあ多分、いつも通りの道を通ったのだろうけれども。
そしてアパートの部屋の前に着いた時、アホな事に気が付いた。
ずぶ濡れ。
僕、傘持ってるのに。
何で、差してないかな?
あれだろうか。
漫画やドラマでは、よくある。
何かショッキングな事があったりすると、登場人物はしばしば雨に打たれるものなのだ。
これはまあ義務と云うかお約束と云うか、様式美的な所があって、悲愴感を増す為の通過儀礼でもある。
だがしかし、実際やってみるとこれは……。
物語の中に入り込んで、悲劇の主人公を演じたりしてみようかとか、僕は考えたりしたのだろうか。
そうして、どこかの優しい誰かがふと現れて手を差し伸べてくれたり、そこから新しい友情や恋が始まってみたり……。
実際には、何も起こらない。
雨の土曜日に、人など通る筈もない。
そして、何にもならない。
悲愴感を増すも何も、その前から気分はどん底だし、だから制服が吸った雨水と、濡れた事による不快感の他に、得られたものなど無い。
……。
アホらしい。
アホだ。
時刻は午後三時。
特におやつの時間と洒落込む気力も無く、部屋に入ると濡れた制服を脱ぎ捨てる。
夏服のワイシャツはもちろん、ポリエステルをふんだんに含むスラックスも、洗濯機で洗える事は知っていた。
ドラムの中へ放り込む。
下着もだ。
そうして丸裸になると、タオルを手に取っては髪と体を拭き上げ、それも洗濯機へ放り込んだ。
それが済めば、今は初夏だ。
シャワーなど浴びずに布団へ直行する。
もちろんベッドなどという豪華な物は無い。
七畳半という微妙な広さの部屋の中に、せんべい一枚。
……。
ガックリ来る事くらいは、覚悟の上だった。
でもさあ、あれ。
思いっ切り僕に、好意あるでしょ?
その上で、無理だと。
そう完璧に、振られてしまった。
これは……どう、ガックリ来ればいいのだろうか?
あの分では、校長を諦めたり、または二股掛けたりして、僕と付き合ってくれる可能性は、まず無い訳で。
しかしその一方で、友達としての関係を求めてきている訳で。
本当に、生殺しではないか。
……いや。
云ってしまえば彼女の態度とは、私は苦しいので支えてください、ただしあなたの願いは聞き届けないけれど。
つまり要するに、こういう事だ。
そんなつもりじゃないのも悪気がある訳じゃないのも明らかではあるが、しかし結局はそういう事だ。
酷過ぎないか?
松平瑞穂。
僕は、そんな彼女を……しかし絶対に、嫌いにはなれない。
そんな訳が、無い。
ならば、友達として?
いや、それは無理だ。
僕は平静では居られないだろうし、向こうもおそらくそれが重荷になるだろう。
そんな関係など、うまく続けて行ける筈が無いだろうし……。
そういえば、誕生日おめでとう。
言われなかったな。
まあ僕が、言う隙を与えなかったのかも知れないけれど。
……。
涙は、出ない。
本当に悲しい時、人は涙を流せないものだ。
そう云うが、僕は今、自分が悲しいのかどうなのかすら、判断が付けられなかった。
無為に、時間が過ぎる。
二階建ての二階部屋には、当然ながらすぐ上に屋根がある。
それを打っているであろう雨の音は、次第に強さを増してきていた。
……。
ケータイに、メールの着信。
確認するのには非常に多大なる気力が必要だったが、もし何らかの重要な連絡でもあったらまずい。
魂を削ってどうにかケータイまでたどり着き、操作すると、僕はそれを放り投げた。
『ハッピーバースデー! お祝いにヌード写真をプレゼントだ! 待ち受けにしろ!』
添付の写真はどう見ても、幼児用遊戯人形の服を剥いだものだった。
それは上の姉からのメールで、昔から割とお茶目をしでかす人ではあったが、その本文にはこう続いていたように思う。
『P.S.夏休み戻るよな?』
どうかなあ……。
夏休みまでに僕は、脳停止とかしたりせずに居られるか?
僕は、死にたい、かも知れないよ……。
松平さん……。
重い、ただただ重い気分を、屋根からの轟音が覆い包んだ。