〔4-15〕翔ぶという事
彷徨いつつ、やっとたどり着いたのは人混み離れ、街から少し外れにある廃倉庫街のような場所。
チェーンで封鎖された敷地内へしなやかに跳躍して侵入すれば、その入口に施錠はされておらず、扉を足で押し開けた建物の一つへ入り込む。
中はがらんとカラッポで、リリィは様子見に必要な隙間だけ残して扉を閉め、ほとんど闇と化した空間の中にようやく僕たち二人を、肩から降ろした。
息ははあはあと激しく切れており、そういえばそんな様子のリリィを初めて見たような気がする。
そんな状態の彼女へ話し掛ける訳にもいかず、そうして待っていればどうにかそれを整えたリリィのほうから告げてきた。
「……おそらく、どこまでも追ってくると、思います。ですから、撃退の必要が、あります。向こうは飛び道具を、使いますから、あなたたちを守る為には、それに私が人目に触れない為には、このような場所が、迎撃するのに都合がいいです。しばらくここで、辛抱していてください」
「あ、うん……ところでリリィ、足は? 怪我は大丈夫なの?」
「鈍く痛みはしますが、それでももう傷口が開かないくらいには、回復しています。動かす事に、問題はありません」
いや……痛みがあるのって、動かす事に問題があるって云うんじゃないのだろうか?
「それと、トランス……モード? エネルギーとか、大丈夫なの?」
「どうでしょうか。持続時間はモード移行時にある程度決められるので、今回は極力長続きするようにしてはみましたが……どれくらい活発に動くかにもよりますが、動き続けるとしてリミットは、あと十五分から二十分くらいです」
充填方式でしたか。
わずかに開いた扉の外を覗いながらそう答えたリリィに、僕は別の質問をした。
「そういえばさっき、普通に飛んだよねリリィ! 凄いじゃん! もしかしたら、僕らを抱えてなかったら、鳥みたいに自由に空を……」
「不可能です」
あああああ。
きっぱり過ぎる。
「いや、もうちょっと夢を……」
「例えばハト。持ち上げた事はありますか?」
「……ハト? えっと、無いけど」
「驚くほど軽いんです。キジバトであればおよそ240グラム。それに対して翼長は片翼19センチです。そこから単純計算してしまえば、私が飛ぶのに必要な翼長は片翼35メートルほどに達します」
「35メートルも?」
「もちろん単純計算です。面積を拡げればもっと短くできます。しかしそれでも、そこまで巨大化してしまうとどうしても強度が犠牲になって、おそらく飛行に耐えません。私の体もなかなか常識を無視しますが、それでも質量保存の法則には一応従っているようです。さっき髪を伸ばした時も、細くなっていた筈ですが気が付きましたか?」
「あ……いや、全然」
っつーか、それどころじゃなかったよ?
もう、全然。
「ですから実は、髪の毛だけで二人を支えられるかどうかに、多少不安があったんです。でも、髪の毛をオリヒコへ少しだけ多く配分する事で、どうにか切り抜ける事ができました。前言を覆して申し訳無いですが……ミズホ。あなたが軽量で、よかったです」
「あー……あはは」
「あ、リリィ。それなら、ちょっと不恰好だけど……籠みたいなものを形作ったりはできないの? それなら僕たちも、自分で掴まったりとか……」
深く考えずに言ってみた僕の質問に対して、リリィは質問を返してきた。
それも、どう答えたらいいのか判らない質問を。
「オリヒコ。例えばそうですね……あなたが関節の無い箇所で、腕を自由に曲げ伸ばししようと思ったら、どうやりますか?」
「……は? え?」
あの、できないと思うんだけど、もしかして何とかする方法あったりする?
骨をわざと折るとかだけじゃあ、自由には動かせないし。
いや、それ痛いし。
えー?
「いいえ、答えは期待していません。あなたにそれは、不可能です。ところが私には、そういう事が可能なんです。でも、直ちにという訳にも行きません。それは解りやすく云うなら……実はあなたは、関節がある箇所ですら、自由な曲げ伸ばしは不可能だったんですよ?」
「……ええ?」
「覚えてはいないと思います、胎児の頃の話ですから。その胎児は、とにかく動かそうとしてみる。その訓練を長い間ひたすら繰り返して、やっと動かせるようになるんです。そしてオリヒコ、あなたは右利きと言いましたが、それはつまりあなたが今なお、左手を満足には動かせないという事なんです。私が何を言いたいかは、解りましたか?」
あ。
そういう事、か……。
リリィが何を言い始めたのか全然解らなかったけれど、一旦説明を受けてしまえば、何で解らなかったのかが解らなくなった。
「……練習しとかないと、どうにもならない。って事なんだね?」
「はい。ところで少し脱線しますが、関節が無い部分ではやっぱり私も、普通には曲げ伸ばしできません。それを実現するには、新たな身体機能を自分で作り出す。その為の命令系統も新たに整備する。その上でそれを自由に動かせるよう訓練する。そういう事が要求されます。きっと想像が付かないと思いますが、私には、そういう事が……できます」
それは確かに、想像が付かない。
新たな身体機能を自分で作り出す、ってまずその第一歩で挫折しちゃうでしょ。
……。
あまり、考えたくない。
あまり、知りたくない。
そんな淡い希望に反して、リリィは次々と知りたくない事実を僕に突き付けては、僕に考えさせる。
ジブントハチガウイキモノ。
そんな事を、考えさせられる。
リリィお願い、あんまり遠くには……。
「そうですね……少し妙な質問をします。それは例えば、普通の人間に腕を一本、また一本と追加していくような感覚が近いと思いますが、オリヒコ。もしもあなたが、自由に腕の数を増やせるとして、実際に百本の腕を取り付けたとします。その時あなたは、その百本の腕を同時に、自由に操作する事ができますか?」
「え……えええええ? それは……うーん……」
「きっと大混乱を起こして、まともに動く事もできないでしょう。ところが私の場合、その本数は数えた事がありませんが、髪の毛までもが動かせてしまいます。もちろん、訓練をしていない人間が足の指を、親指以外は同時にしか動かせないように、私の髪もすべてを独立させて動かす事ができる訳ではありません。それでも私が、普通の人間よりも圧倒的に多いカーソル……制御点を操っている事に、疑う所は無いでしょう」
「……」
いや。
想像にも付かない、どころではない。
これは。
異次元の話。
そう云ってしまっていい。
……。
何でだよ。
どうしてだよ。
リリィは一体、そんな事を僕に言うんだよ。
これではいつまで経っても、リリィは僕の傍へやって来ない。
これでは……。
ねえリリィ!
「だとしたら、私の思考回路はやはり、異質が過ぎるんだと思います。それならば……オリヒコ。私は……」
「……何?」
「それならば私は、オリヒコ。ならば私は……私が、普通の人間へ、近付こうとする事も……おこがましい話なのかも、知れませんね」
……あ……。
「……リ、リィ……」
そうか……これが。
これが言いたかった。
のか……。
その表情は何となく……淋しげに、見えた。
今リリィはその申告をしなかったけれど、もしかしたらそういう感情も、開花してしまったのだろうか。
いや、淋しいんだとは思う。
いいや、淋しくない筈が無い。
だけれど……。
解らない。
リリィは間違いなく、こちらへ近付こうとしている。
だけれど、その手を取って引き寄せてあげるには、その距離はまだまだ遠く。
僕はリリィを、どの位置に置けばいい?
……解らない。
分からない!
そんな僕の葛藤をもよそに、リリィは話を続けた。
「話を戻しますが、体重が増えるにつれて、空を飛ぶのは難しくなるものです。どんなに軽い素材で翼を作ったとしても、その長さが35メートルもあったりすれば、手足のように動かすなんて無理があると思いませんか?」
「えっと、あ……それは……持ち上がるかどうかも、判んないね……確かに」
「はい。仮に面積を増やして短くしたとしても、結局は同じだけの力が必要になります。そして、それを動かす為には筋肉を増やさなければいけませんが、それではまた体重が増えてしまいますから、それを挽回する為にもっと大きな翼が必要になってしまって、それにはもっとたくさんの筋肉が、という堂々めぐりが発生するんです」
「あー、そうなんだ……」
「つまり、空を飛ぶ事については27キロの限界というものがあって、体重、それを浮かせる翼の大きさ、それを動かす筋肉量。それらをどうトレードオフしても、現在の地球上においては、およそ27キロを超えて重い動物が自力で飛翔するのは不可能。そんな計算結果が出てしまうんです」
「じゃあ……リリィは、飛べない……?」
「残念ながら。もっと言えば、安定して長時間飛翔する為には、その限度は10キロ程度、という検証結果も出ています。つまり、鳥という動物はありふれた存在ですが、その体の構造は奇跡なんですよ? 私ではどう頑張っても、滑空が精一杯なんです」
「本当に残念だなあ、それ……じゃあ、そうするとアニメとかで、小さい羽根の人なんかが飛び回ってるのも?」
「それについては物理によらない、例えば魔法のような特別な力によって飛んでいるのだという解釈を付ける事は一応できます。しかしそれは少なくとも、翼によって飛んでいるものではありません」
「そっか……あ、でも昔、空飛ぶ恐竜とか居たよね? ええと……プテラノドンとか、それから……ケツァルカトル、だっけ? とか。あれ、重いんじゃないの? 見るからに」
「いえ、確かにそういった巨大翼竜の化石もちらほら見付かってはいますが、計算上あれが飛翔できた可能性はほとんどゼロです」
「あー、そうなの?」
「はい。まず、安定飛行の為にはある程度の重さも必要になるものなんですが、それに反して推定体重が軽過ぎます。それから逆に、その体重で飛翔するにしても、滞空に最低限必要な速度が出ている状態で羽ばたくには、強度や筋肉量が無さ過ぎるんです。ですから、本当に羽ばたいていたのなら大気密度などが今と大幅に異っていたのではないか、あるいは私と同じように単に滑空をしていただけではないのか。そんな推測がされています」
「うーん……。理解はしたけど、ちょっと夢壊れるなあ……」
「それがもっと壊れるような事を言いますよ? 同じ理屈で、ファンタジー物のフィクションではしばしば登場する、ドラゴンや巨鳥のような生き物がもし実在したとしたら……その生き物は、空を飛べません」
……。
「でええええええええええええええええええええええ!」
MJDK!
飛べないドラゴンとかねーよ! 幻滅だよ!
飛べない巨鳥とかねーよ! いろいろ台無しだよ!
っつーかリリィ、フィクションクラッシャー過ぎるだろ!
と……その時。
「静かに。……来ました」
「え」
あんなに速く走ってたのに、もう?
「敵は……複数のようです。私は、撃って出ます。この中には身を隠せるような場所が無いようですが……せめて外には、絶対に出ないでください。……何があっても」
「……平気、なの?」
「気休めにしかならないかも知れませんが、私は無敗です」
そう言い残して、リリィは扉を開け、閉める。
ぼおぁん!
銃声。
そしてリリィの姿は、扉の隙間から消えた。
その銃声は絶え間無く、と云うほど頻繁ではなかったが、それでも断続的に続いた。




