〔4-12〕覚醒
長い闘いだったが、もう既にカーテン越しに明るさを感じる事ができる。
「朝……か」
「朝、だねえ……」
「松平さんまで付き合って、起きてる事は無かったのに」
「いやあ……私も、何となく寝れなくて。でも……ちょっと、こんな風に宮前くんと居れて、嬉しい……かな?」
「そ、そう?」
「えへへ。えっと、それで……リリィちゃん?」
「……」
そう松平瑞穂に呼び掛けられたリリィは……しかし、返事もせずにその顔を、僕の肩にうずめたままで。
「リリィちゃん、やっぱ具合悪いの?」
「……」
「リリィ?」
そうして僕が、ちょこんと彼女の肩に触れた、その瞬間。
リリィは電撃に打たれたかのように体をビクリとさせると、もの凄い勢いでベッドを飛び出たのだ。
しかもそれは見事に失敗し、掛け布に身をとられてもんどり打つと、頭から床へ墜落してみせたのである。
ごっ。
そんな音がした。
「……っ……」
「リ……リリィ、ちゃん?」
「ちょ、ちょっと大丈夫? リリィ……」
「……」
「本当に大丈夫? 頭打ったよね? 今。首とかも痛めたんじゃ……」
「……これは……決定的ですね……」
リリィはそんな事をつぶやいて、かぶりを振りながらゆっくりと身を起こす。
しかしそのまま立ち上がりはせず、その場にぺたりと座り込んだ。
「決定的? 何の話?」
「昨晩から私が訴えている症状の、原因です。今の私には、それのかなり特徴的な様態が現れていると思うんですが、見て判りますか? 特に……顔です」
「え?」
そう言われてみれば、何かおかしい気はする。
ぱっと見た目では判らないのだが、それは何なのかと考えたら、そういえばリリィは話し掛ける時いつもこちらの顔を真っ直ぐ見ていたのに、今は微妙にうつむき、また微妙に横へとそれていて。
そんな事に気が付いた。
それでは顔がよく見られないので、ベッドから降りてリリィの顔を覗き込むと……リリィは、ついと顔をそらすのである。
「え。ちょっとリリィ、それじゃ見れないよ」
仕方無いので彼女の両頬に手を伸ばして、こちらに向け……。
「あ……あ」
「え」
「離して……ください」
それは、どう見ても。
……顔は、ほってり朱に染まり。
……やや閉じかけた目の中の瞳は、斜め下へ寄ってはうるうる潤み。
……口元は、わなわな半開きで。
……頬に触れる僕の両手には、ふるふる細かな振動が伝わり。
その様子はどう見ても、恥じらう乙女のそれだった。
「リリィ……もしかして」
「ごめんなさい……離して……離れてください」
「あ……うん」
離れるとリリィは、座ったままくるりと向こうを向いてしまう。
「恥ずかしさ、というものが……これほど、強烈なものだとは思いませんでした……」
ええと、神様?
悪魔様?
昨日の夜の僕のお願い、聞き届けてくださったんですか?
……もうこれ以上無いくらい、すんごく妙なタイミングで。
「あー、まあ、取りあえず成長おめでとう、リリィ」
リリィは向こうを向いたまま、どうやら自分の胸のあたりを抱きかかえているようだ。
「こ、こんな……こんなの……胸が破裂して死んでしまいそうです……。ミズホは、これは、平気なんですか……?」
「あ、いやあ、平気でもないよ? でも……宮前くんがきっと受け止めてくれる、っていう信頼みたいなものがあるから、大丈夫……なのかな?」
「そう、ですか……。私にはちょっと、耐えられそうにありません……」
えええええ。
痛みにはあれだけ果敢に耐え抜いたリリィが、ですか。
意外かも。
「……強弱の差はあってもみんな等しく性欲を抱えている筈なのに、どうして性行為に入り乱れたりしないのか……その理由がよく理解できました。これは……いけません。これは、いけません……。オリヒコ、それからミズホ……私は今まで、あなたたちに散々無礼を重ねてしまいました。ごめんなさい、ごめんなさい……」
「いや、いいけど……」
何だろうね、これ?
エッチく迫られるよりもこっちのほうが断然、愛らしいよ?
すんなり受け入れられるより抵抗があったほうがよい、という事なのかな?
いやでもそういうのって、背徳の道なんじゃ……?
うーん。
まあ、とにかくそれ以来、リリィはすっかり大人しくなってしまった。
それは、平和になったなあと安堵する反面、やっぱり寂しくもある。
ところで、目が覚めてるなら部屋に居てもしょうがないし、そろそろ起き出そうか。
そう部屋のドアを開けた時に三人が発見したモノは、母さんが手に持つビデオカムコーダだったりした。
「あら。お早うさん」
松平瑞穂は茹でダコのように、リリィは石のようになってるけど……。
尋ねない訳には、行かないよなあ……。
はー気が重いや……。
「……母さん……それは一体、何なの……?」
「あら。これはビデオという物よ?」
「……知ってるよ。それで何をするつもりだったの、って訊いてるんだけど……?」
「あら。ビデオっていうのは、録画をする為にある物よ?」
……ダメだこの親、腐ってやがる。
まあそれは強制的に検めた所、電源スイッチどころかメモリカードすら入っていなかったのでジョークなんだろうけど。
これはいくら何でも、ご苦労過ぎる。
出てくるまでずーっと待機してたって事でしょ。
おーい、お薬。
っつーかこのせいで、リリィは完全に撃沈させられたよ。
どうしてくれるんだよ母さん。
その後の朝食の席で、父さんに署名捺印をしてもらった契約書を受け取ると、マンションのほうのそれはその日のうちに不動産業者へ提出する運びとなった。
その日は夕方くらいまで実家に滞在する予定だったのだが、やっぱり朝ご飯を食べたらすぐ発つ事にした為に、ヒマが出来たからだ。
帰り道には電車で二時間ちょっとだし、不動産業者の営業時間内には余裕も余裕で間に合う。
むしろ、下手すれば午前中だ。
予定変更の理由はもちろん、リリィが僕の家族と顔を合わせる事に対して酷い羞恥を覚えるようになってしまったせいである。
建前のほうの理由としては一応、リリィの調子が優れないからという説明をしてみるが、まあもちろん引き止められた。
「具合が悪いならなおさら、もっとゆっくりしていけばいいのに。何泊してもらっても構わないわよ?」
「調子崩した原因の一部は取りあえず、母さんにあると思ってくれ……」
「そうなの? それはごめんなさいね?」
「……いえ……お構い無く……」
何か、可哀想になってきた。
リリィはうつむき、僕の後ろに隠れてしまっている。
「あ、あの。お世話に、なりました」
「はい、瑞穂さん。またいらっしゃいね? リリィさんも」
「……はい……」
そうして家族から、お見送りというものを受けるのだが……。
「んじゃあ……行くわ」
「織彦。達者でな」
「織彦。避妊はしっかりね?」
「織彦。二秒で死ね」
「織彦。避妊はしろよー」
「ニイ。二秒で死ね」
……まともなのは父さんだけだった。
こんな家庭に生まれていたのか、僕は。
っつーか、酷過ぎるだろ女ども。
そうして歩き出した帰路。
僕の隣には松平瑞穂だけで、リリィはまるで楚々たる淑女のように三歩後ろをついて来た。
そんなではやっぱり気になるし、松平瑞穂も気になるようで、リリィに声を掛ける。
「リリィちゃん? 宮前くんの隣で歩けばいいのに」
「いえ……今の私にそれは……至難です」
「そんなに恥ずかしい、のかな?」
「……はい……」
「んー。それってつまり、宮前くんの事が好きだっていう感情も、解ったって事?」
「いえ、それは、未だ。ただ……あれやこれや振り返るだけで、消えてしまいたい。切にそう思います。再び接近する勇気など、出る筈がありません……」
「そうなんだ……リリィちゃん、凄い恥かしがり屋さんだったんだね?」
「……私も、驕っているつもりはありませんでしたが……ここまで弱いとは、思ってもみませんでした……」
「宮前くん? これはリリィちゃんの事、大事にしてあげないとダメだよ?」
「あー、うん……。でも、接近しないでどういう風に大事にするのかが、よく判らんのだけれども……」
「宮前くん? こーゆー時は押しの一手ですよ? 気になる相手にはググッと強引に迫られちゃうと、女の子はキュンと来ちゃうのです」
「はあ」
人によるんじゃないのかな?
そういうのは。
アホの子っていうか何ていうか、松平瑞穂もどっか一本ネジ狂ってると思う。
こないだの変態紳士さんが言ってたのとはもちろん、違うネジだけれども。




