〔1-4〕ライトノベル
そして当日。
目が覚めてから、大きな失敗に気が付いた。
手紙に、時間の指定をするのをすっかり忘れていたのだ。
うわー、間抜け過ぎる。
訂正入れようにも、彼女の番号もアドレスも知らないし……どうしよう?
いや、迷う余地は無い。
時間の指定が抜けた以上、いつ来てしまうか判らないのだから、早目に行って待っている必要がある。
もちろん、午前か午後かも判らないのだから、昼をまたぐかも知れない。
僕は慌てて弁当の準備に取り掛かった。
自炊はこのアパートへ入室してからだが、それでも数ヵ月も経つとこなれてきた。
それに冷凍食品は電子レンジで調理できるし、三十分もせず弁当箱は食べ物で埋まった。
急ぎ出立する。
アパートから学校までは徒歩。
一般には電車通学が普通だが、僕の場合はもともと独り暮らしを希望していて、早いうちから部屋探しをしていたせいもあって、かなり都合のいい物件を確保できた。
もっともその動機は……不純である。
男子諸君には説明の必要は無いだろうし、女子諸君には説明したくない。
まあ、そういう理由だ。
何しろ姉二匹、妹一匹と、女だらけだった。
お察しください状態というやつである。
もちろん親には、早く一人前になりたいという建前で説得してあった。
ただ、その親からの仕送りはギリギリで、既に万年貧乏へと陥っている。
夏休みに入ったら、バイトでも始めようか。
そんな事を検討中だ。
学校へ着く。
時刻は八時半。
校庭では各運動部が駆けずり回っている筈の頃合だったが、僕は今日、傘を差して来た。
当然、屋外の部活動は中止だろう。
まあ七夕は、滅多に晴れない。
梅雨が残るからだ。
梅雨なのに何で天の川?
そう疑問を感じる人は少なくないだろうし、僕もそうだ。
ちょっと他に訳もあって、それは気になったので、ちらっと調べてみた事がある。
それによるとどうやら、七夕とは旧暦の七月七日、要するに現在の新暦における八月周辺の行事だったらしい。
八月なら晴れ空真っ盛りだから、天の川も見たい放題という訳だ。
ただ、それならどうして新暦へ移行した時に七夕もずらさなかったのか。
その点は判らなかった。
数字の問題だろうか。
引き戸をガラリと開けて教室へ入れば、もちろん誰も居ない。
好き勝手もできるだろうけれど、他人の席に座るのは割と気分の落ち着かないものだ。
そうして自分の席に収まれば……。
さて。
長丁場になるだろうし、時間を潰す為の用意はしてきた。
場所も場所だ、試験に備えて復習を始める事にする。
鞄から、教科書とノートを取り出した。
……。
そう意気込んで、取りあえず昼までは粘ってみたものの。
授業を聞いていれば、何となく解った気分にはなる。
しかしそれは、すぐに復習をしなければ、ほとんどと言っていいほど身に付かないものだ。
ノートを見返しても、どんな授業を受けていたのかさっぱり思い出せない。
うーん、まずいぞ。
全然復習にならん。
中間テストの結果もかなりヤバかったし……僕、落ちこぼれるかな?
うーん、もぐもぐ。
空になった弁当箱を鞄に仕舞うと、それでも忍耐の切れてしまった僕は、勉強道具とは違う物を取り出した。
こういうのがイカン、というのは分かっているのだが……。
僕は、ライトノベルにハマっている。
小遣いにできる資金は限られているので、高校に上がってからは特定の文庫の物しか買っていないが。
中でもとある架空世界で、不思議な力によって駆動する機械を乗りこなし、自由に空を飛び回ったりするあのシリーズ。
うむ。
今日持ってきているのはその続刊だが、主人公カップルの漫才めいた会話。
息もつかせない展開。
胸躍るバトル。
そして何より、舞台設定がよい。
それなりに制限もあるし障害もあるが、それでも気儘に空を飛ぶ事ができる。
とか、何てファンタスティックな設定なんだろう。
そんな事ができたとしたら、それはどれだけ素晴らしい事か。
そう。
ライトノベルなどといったフィクションに触れていると、しばしば思う事がある。
多分、誰しも思う事だろう。
自分が……そのような物語の世界に居た、としたら。
そう想いを馳せるだけでも、もう無性にわくわくとしてくる。
ご飯三杯というやつだ。
それにしても……。
この主人公の少女のように、可愛らしい子が傍に現れたらなあ。
この子はちょっと、あまのじゃくで我が儘だけど。
根は真っ直ぐだし。
いいよなあ。
って、そうだった。
僕はこれから、松平瑞穂に会うのだった。
来てくれるのかどうなのかも、よく判らないけれども……。
まあ、来てくれても、多分。
……はあ。
溜め息しか出ない。
ライトノベルの主人公のように特別な能力がある訳ではなく、それどころか一般的な能力にも劣り。
それほど正義感が強い訳でもなく、それほど誠実な訳でもなく。
逆に人を酔わせるほどの悪という訳でもなく、財がある訳でもなく。
自分で振り返っても、どこにも魅力が見出せない。
そんな僕の前に、仮にそのような少女が現れたとして、果たして自分へなびいてくれたりするだろうか。
まさか無条件に慕ってくれるとか、無いよなあ?
現実的に。
……はあ。
溜め息しか出ない。
「溜め息ついてると、幸せ逃げちゃうよ?」
「……うわあ!」
「うわあ、ってまた凄い個性的な叫び声だね?」
「……松平、さん」