〔4-4〕あった事の話
と思ったら、やっぱり凄い話だった。
「まずはあった事を話しておきますが、実は……その支払いには悩ましい問題があったので、脱税をしてしまったんです」
「え。えええええ」
いきなりこんなだもんね……。
ちょっとこれは、ジャブどころじゃない。
「別にその支払いに、抵抗があった訳ではないんです。ただ私には、正式な名前がありません。名前が無ければ申告ができないので仮名を用意する必要があるんですが、私はこんななりですし、日本国籍を持っている訳でもありませんから、日本人名を名乗る訳には行きません」
「それは……そうだね」
「しかしそうすると私は、外国人という事になってしまいます。普段なら税務署もそんな事はしませんが、私の場合は額が額ですから、申告を行えば私は不法就労の疑いで通報される恐れがありました」
「不法就労?」
「知りませんでしたか? どこの国でもそうですが、外国人がお金を稼ぐには許可が要るものです。そして当然ながら私は、外国人登録証もパスポートも持ち合わせていません。つまり結果的に、私は不法入国の疑いで逮捕される事になるんです」
「不法、入国……?」
「いわゆる密入国の事ですよ」
うわ、どんどん話が膨らむな……。
「それは例外無く起訴されますし、私には在留資格がある事も正規の入国手続きを取った事も証明のしようがありませんから、間違いなく有罪判決が下ります」
「ゆ……ユーザイ……」
はっきりそう言葉にされてしまうと、これはどうにも重い。
「そうすると私には、懲役か禁錮か罰金、あるいはそれらを複合した刑事処分が課せられますが、それはあまり問題では……いえ。罰金はともかく、懲役や禁錮では健康診断が実施されるので悩ましかったんですが、それよりももっと悩ましかったのが行政処分……つまり、退去強制です」
「退去……強制? って?」
何か、知らない単語がどんどん出てくるなあ。
「日本国外へ身柄を追放するという事です。強制送還とも呼ばれますが……」
「あ、それは何か聞いた事あるね」
「そうですか。ただ、その対象者に国籍があるとは限りませんし、国籍があっても母国へ移送されるとは限りませんから、送還という言葉は不適当だと私は思います。とにかく、一度その処分が下されれば初犯でも五年間は再入国が許可されませんし、そもそも私には正規のパスポートを取得する手段がありませんから、前科者が偽変造パスポートで入国審査を通過するのが不可能な日本には、もはや尋常な方法では二度と戻ってくる事ができないんです」
「はああああ……もう、めちゃんこ大ごとだね……」
「それでは私もマスターも困りますから、どうしても脱税を働かざるを得なかったんです。もちろん脱税は犯罪ですが、しかし私は既に何人もの敵と戦い、屠ってきました。この手はもう、汚れ切っています。進んで法を破るつもりは毛頭ありませんが、その必要があれば躊躇うものではありません」
「うーん……犯罪をしないと馬鹿を見るなら、やったほうがいいんだろうけど……」
「それに、やっぱり額が額ですから、逮捕、あるいは判決の時点で、私の事は大々的に報道されるでしょう。それも困ります。あと、これは今となってはの話ですが、もし何かの拍子にDNA照合でもされてしまえば、私が私以外の誰かだという事も発覚していたかも知れません。これもあまり、よろしくないです」
「何かリリィちゃん、いろいろあり過ぎですわ……私、感覚がどうにかなっちゃいそう」
「僕もだよ……」
「あ。でも……ええと、何かリリィちゃんなら、こっそり入ってくるくらいできそうな気がするんだけども……難しいのかな?」
「確かにここは島国ですから、警戒の厳しい陸続きの国境を越えるのと違って、海を自力で渡って侵入するという手段が無くもありません。ただそれは、はっきり言って命の危険が大き過ぎます」
「そんなに危ないの?」
「海というものは、温水プールとは違うんですよ。絶界と云ってもいいです」
「絶界」
「まず人は潮より速く泳げませんし、体温に近いくらいの水温でなければ体力も奪われ続けますから、間違いなく力尽きます。サメなどの人を襲う魚も居ますし、泳いで渡るのは自殺行為とすら呼べない単なる自殺です。舟で渡るにしても、ちょっと天気が荒れただけで波が十メートルを超えるのもザラですから、重量のある大型船でもない限りは簡単に転覆します」
「あー……そこまでなんだ、それは死ねるね……」
「ってか、十メートルの波がザラって、マジっすか……」
「場合によっては二十メートルも超えますよ。ですから難民のように、このまま日本へ渡らなければ死んでしまう、というレベルの強い動機が無い限りは間違っても選択できない手段ですし、第一そういった難民たちはおおむね海上保安庁に発見されます。難民の場合はそれでいいかも知れませんが、前科者の場合はそういう訳には行きません」
「そっか……でもそれなら、こっそり他の船とか飛行機に便乗して、とかじゃあダメなのかな?」
「いい選択とは言えません。積み荷に混じって密航、という手段はよく考えられがちなんですが、積み荷がそもそも生存環境に置かれていない場合がほとんどですし、そうでない場合は抜け目の無い警備体制が敷かれますから、あまり現実的な手段ではないんです。それが成功するのは映画の中だけ、と言ってしまっていいでしょう」
「ううん、難しいんだね……」
「それに、それをどうにかかいくぐって、あるいは乗組員を篭絡して、渡航だけは果たせたとしても結局は、日本の税関が待ち受けています。国民の危機意識が低い日本の入国審査がむしろ、ずさんである筈がありません。公的機関に見付かってはいけないという制約がある以上、確実性に疑問のある手段を選択する訳には行かなかったんです」
「そうなんだ……。でも、リリィちゃんって凄いね? 私だったら、そこまで考えられないよ? 絶対」
「そうですね……それは、絶対に計算違いが許されない。そんな心境、そんな状況だったからでしょうか。それでも、絶対に間違えないというような事があり得なくて、課税されるという事を認識しないまま現実環境で、トレードシステムを動かしてしまったのがそもそもの落ち度なんですが……」
「リリィちゃんでも、そんな計算違いするんだねえ」
「つまりこれが前に言った、私のトレードシステムのもう一つのほうの問題なんですが、とにかくその状況では脱税をしてしまうのが一番の選択肢だったんです。そんな訳で私のお金は、完全に清いものとは言い切れません。申し訳無いですが」
「あー、いやまあ、それで松平さんは助かった訳だし」
「うんうん。リリィちゃん、本当ありがとね? ……あ。でも……これ知ってて黙ってるのって……犯人隠匿とか、そういうのにならないのかな?」
「大丈夫です、そうでなければ話したりしませんよ。実際に犯人が捜査の手から逃れる為の具体的な手助けをしない限り、それには該当しません。それは例えば、隠れ家を提供するとか、逃亡資金を提供するとか。そんな感じです。オリヒコやミズホは私に滞在を許可しましたが、捜査をさえぎる目的ではありませんでしたから、隠れ家には相当しないでしょう。それは単なる、住まいの提供です」
「何か、凄く抜け道っぽいね? それ」
「それはどうあれ、私は犯罪者です。でも、オリヒコやミズホにまで、そうなって欲しくはありません。脱税の方法などはどうか、絶対に訊いたりしないでください」
「あー……うん……」
犯罪者、ねえ。
こんな外見をした子がそうである事も、こんな性格をした子がそうである事も、まったく信じられないのだけれども。




