〔3-13〕失敗
「そっか。リリィちゃんには、またもやお見通しだったんだ」
リリィが買ってきたのは、缶入りの甘酒だった。
凄いチョイスだなとは思ったが、甘さを強く感じれば心は落ち着き、そして体内でブドウ糖が飽和すれば問答無用で元気が湧くものだから。
そうリリィは主張した。
今、松平瑞穂はその缶を傾け、そして確かにその目には生気が戻ってきているような気はする。
「甘酒なんて正月以来だよ?」
「実はそれは、邪道なんです。甘酒というのは酒蔵が夏の間、冬の寒い時期にしか造れない日本酒の代わりに手掛けていたもので、だから本来は夏の暑い時によく冷やして飲む物だったんですよ」
「へええ。リリィちゃんって本当にいろいろ詳しいんだね?」
「それはオリヒコからも言われましたが、それほどでしょうか?」
「いやあ、甘酒の本来とか、普通知らないよ?」
「そうですか。それでしたら、ついでですから付け加えましょうか。カフェインなどの即効性の奮起作用がある成分が入っていない事を除けば、甘酒は栄養ドリンクよりも栄養面で優れているんです。それは飲む点滴と云われるほどで、だから夏バテ対策には打ってつけの飲み物なんですよ?」
「そうなんだ! じゃあ私も今度から、栄養ドリンクの代わりに甘酒飲もうかな? 勉強疲れした時とか、活入れるのに……」
「いえ、繰り返しますが即効性の成分は入っていませんよ? 効能はあくまで滋養であって、奮起させる作用はありません」
「あ、そっか。じゃあ病気した時とかにいいのかな?」
「そうですね」
甘酒を飲み切ってしまうと、他愛の無い話にすっかり普段を取り戻したらしい松平瑞穂は、話を始めた。
「ご指摘の通り、私はお客さんを取りました。ネットに募集出してみたのは昨日の夜なんだけど、こんなにすぐ見付かっちゃうとは思わなかったよ?」
「何かネットって、いいんだか悪いんだか……」
「なかなか微妙だよね? うん。それで、さっき待ち合わせして。普通にオジサマが来るのかなとか思ってたんだけど、大学生のお兄さんでした。よく考えたら、勤め人ならもうちょっと遅い時間だよね? 待ち合わせ」
「そう、なのかな」
「それで、喫茶店でお茶して。結構話しやすい人だったし、この人なら大丈夫だって思った。でもね……いざ、ラブホ連れてかれて、ベッドインしたらね……」
「嫌な事を、された?」
「だから。何も無かったって言ったでしょ?」
「あ、そっか。でも、じゃあ?」
「うん……その瞬間、もの凄い勢いで出てきちゃったんですわ……宮前くんが」
「え……? 僕……?」
「そうだよ? 宮前くんが。私は、宮前くんの事、好きで……それこそ多分、ぞっこん? で……。もう、宮前くん以外の人には何もできない、されたくないって……それはどうしようも無くて、修正できなくて……頭から追い出せなくて、何もかも無理になっちゃって。だから宮前くんと、しかも直前なんかにエッチしちゃったのは……もう完全に失敗」
「……」
「相手には必死こいて謝りました。でももう状況が状況だから、このまま無理矢理されちゃったりするのかな、とか思ったら私……凄い泣けてきちゃって。わんわん泣いちゃいました」
「……松平さん……」
「ただ、相手のお兄さんがとっても紳士な人だったんだ。あの状態じゃあ中断するの、凄い大変だったと思うんだけど……」
「……えー、あー……うん、それはそう、だね……」
うん……それ、大変。
もう……滅茶苦茶、大変。
おそらく……不可能に、近い。
とてつもない凄さの……精神力だね、その人。
「一応、相手が遊び人だと解り切ってないと自分も遊び人になり切れない、みたいな事は言ってたけど。でも、遊び人なのに紳士って云うのもおかしいのかな……?」
「あー……それは大丈夫。世の中には変態紳士という言葉があってだね……」
「……そんなのあるんだ……?」
っつーか、紳士イコール変態であり、変態イコール紳士である、というのがネットでの常識で、全裸にネクタイが正装のアレだから、ちょっと違うかも知れないけどね?
「うーん、ええと。まあそんな訳で、私は無事でした。でも、そのお兄さんには釘を刺されちゃいまして。こういう事はネジの一本狂った人がする事で、私には絶対無理だからもう二度とするな、って……」
「そっか……まあ、よかったんじゃ」
「よくない!」
その唐突な叫びは……あまりに、悲痛で。
僕はただただ……驚いてしまうしか、無くて。
「……松、平……さん……」
「あ……ごめんなさい……でも、私にはお金が必要で……とってもたくさん必要で。それには援助交際しか無くて……でも、それも無理って判っちゃって」
「……」
「このままじゃ私、高校行けなくなっちゃう。家も親の会社も、全部無くなっちゃう。宮前くんにも、リリィちゃんにも、他のみんなにも、会えなくなっちゃう……」
「……」
「私自身も、どういう事になっちゃうのか……これが、普通の借金だったらどれだけ借りてても、お金払えなくたって最低限の権利とか一応、保障されるらしいよ? でも……全然そんなんじゃないんだもん!」
「……」
「私、どうすればいいのかな? ねえ、宮前くん! 教えてよ、ねえ……ねえリリィちゃん、教えてよ! 私、どうすればいい? 私もう、もう……もうっ……」
「松平さん……」
また泣き出しそうなくらい、弱り切った表情を見せる松平瑞穂。
そんな彼女に、僕は何も言ってあげられなくて。




