〔3-7〕屋上でのお願い
その時、天の助けのようにリリィが口を開いた。
「ミズホ、待ってください」
「……え」
「必死に隠している所を申し訳無いですが、私にはそれが何なのか見当が付きます。というより、一つしか思い当たりません」
「え。えええええ。判っちゃい、ましたか……」
「その事で私もお願いがあります。その話を是非、オリヒコへ打ち明けてくれませんか?」
松平瑞穂が、完璧に想定の範囲外、というような顔をする。
「……リリィちゃんが、それを言うの?」
何だ何だ何だ?
「リリィ、どういう事?」
「オリヒコ。あなたには判りませんか?」
「ごめん、全然……」
「いいですか。私の存在を知る前に出した、呼び出しの手紙。私の存在を知った後に、撤回した用件。つまりそれは、私に対して気兼ねするような内容という事です」
「あ。あ。リリィちゃん、ちょっと」
リリィは説明をし始め、松平瑞穂はオタオタとし始める。
「そもそも、他の誰でもなくあなただけを選んで呼び出して、語った今の話。あなたへなびいてしまおうかと悩んだのは本当、あなたが退学になるのは嫌。つまり、あなたに対して相応の好意を抱いているのは、もはや動かしようがありません」
「うああああ、リリィちゃんストップ!」
「そして、援助交際を始める事を告白した上で、それに臨む前にあなたへ要求したい事。極めて限定されると思いませんか?」
「……もうやめて……」
「では自分で、言ってください」
「言えないよお!」
「曲げて、言ってください」
「無理!」
「それでも、言ってください」
「えうう……」
リリィ……相変わらず、容赦無いな。
……でも。
「ごめん……全然判らない」
「鈍いですね、あなたは」
「判らなくていいから!」
松平瑞穂がもう逃げ出したいと全身で訴えるような気配を見せれば、リリィは彼女へと向き直って絶対に逃がすまいとばかりの気迫で見詰める。
「繰り返しますが、これは私のお願いなんです。言ってくれませんか?」
「どうして? どうしてリリィちゃんがそんな事言うの?」
言われた松平瑞穂は、もう訳が解らないといった感じの様子だった、が……。
「その通りになって欲しいからです」
「何で? 意味が解らないよ!」
「私が、普通ではないからです」
「……え……?」
まあこんな対応されれば、戸惑うしか無いだろう。
「リリィちゃん、それはちょっと、本当に意味が……」
「私とオリヒコは、既に浅からぬ関係にあります」
「……えー、あー……うん、そうみたい、だね……」
「でも、私は普通ではないので、私ではオリヒコへ与えてあげられないものがあります。それをあなたに、代わりにオリヒコへ与えてあげて欲しい。そう願うものです」
「……」
これを聞いた松平瑞穂は少し、悩み入った。
「……うーん……どう普通じゃないのかはよく解らないけど、リリィちゃんの言いたい事は何となく、判った……と、思う。でもねえ……やっぱり、言えないよ?」
「では私が、代わりに言ってしまいますが」
「やめて!」
「でしたら。お願いします」
「……」
松平瑞穂は完全に逃げ道を断たれ、もうどうしていいか判らないといった体だ。
ちょっと緩衝を入れてみようか。
「いやいやリリィ。松平さん。そんなに言いにくい事なら、言わなくても。せめて言えるようになるまで、時間を置くとか……」
「それは無理だと思います。おそらく今を逃せば、もう機会は無い。そうですね?」
「そこまでお見通し、ですか……」
……緩衝は失敗したらしい。
しかし一体、二人は何を話しているのだろうか。
「言わないでいて、後悔しませんか?」
うつむいた松平瑞穂は、泣き出しそうですらあった。
しかしすぐ、気丈に顔を上げる。
「分かりました……言いますよ。でもリリィちゃん、いいの? 恨まない?」
「私のほうが、そうしてくださいとお願いしています」
「そっか。ごめんね? ……えっと、じゃあ……宮前くん」
松平瑞穂が、僕を向き直る。
「あ、うん。何かな?」
「……その、ええと……一回、だけ」
「……一回?」
「うん、一回だけ……お願い、したい……んだけど……」
「何を?」
「私と……」
「うん」
「……して……ください」
「え……」
「その……え……ち……」
「ごめん、聞こえな」
「エッチしてください!」
「……え」
「……」
「え、え……えええええええええええええええええ?」
何、ですか?
「……」
松平瑞穂はもう、目を閉じ、うつむき、顔を真っ赤にし、固まってしまった。
「あの……松平、さん?」
「……」
応答は、無い。
「限界ですか? 後は私が言いますか?」
リリィが助け舟を出すと、松平瑞穂は無言のまま小さく頷く。
「リリィ……どういう事?」
「オリヒコ。つまりあなたは、彼女を口説き落としてしまったんですよ。おととい告白をした時点で」
「ええ? でも、振られたけど……」
「状況が違います。その時はまだ、校長との関係があった。だからあなたの事は、断るしか方法が無かった。でも今となっては、その障害は無い。そういう事です」
「そ、そうなの……?」
「……」
松平瑞穂は何も言わない。
つまり、否定をしなかった。
そう、なのか。
そんな事とは……。
「ただミズホには、直ちにあなたと連絡を取る手段が無かった。だから校長と関係が切れたのが土曜日でも、週明けまで待つしか無かった。挙句に私の登場です、その無念は察するに余りあるでしょう。私にそんなつもりは無かったとはいえ、ミズホには酷い仕打ちをしました」
「……あ」
「っ……」
聞かされた松平瑞穂がキュッと唇を結び、そのうつむきを深くする。
そうか、そういう事になってしまうのか……。
これはもう、ごめんで済む話ではないような気がしてきたが、ただそれにしてもちょっと話の行き過ぎに思える部分がある。
「でも……いきなり、エッチとか……そんな……」
「それは、援助交際を始めるという点に関係すると考えます。そうですね?」
松平瑞穂は、それでまた小さく頷いた。
「つまり?」
「彼女は気丈に振る舞っています。しかし本当は、校長にもてあそばれた結果、深く傷付いてしまっている。そんな状態で援助交際という行為に身を落として、汚れていくのは耐えられそうになかった。そこで彼女はその前に、あなたと愛を築いてそれを支えにしようと考えた。けれどお金が必要なのはかなり逼迫していて、あなたとじっくり関係を深める為の時間があまりに足りなかった。だから早急に結ばれる為には、セックスという手段をいきなり提示せざるを得なかった。……そんな風に私は想像しますが、当たっていますか?」
松平瑞穂はゆっくり三回ほど、頷く。
うーん……。
リリィは意外に、というか僕なんかよりもずっとずっと、機微というものが読めるらしい。
それもかなり、正確に。
リリィは愛を知らないって言っているけど、今のは感情とか抜きにして論理的に推察できると、そういう事なんだろうか?
頭の悪い僕にはよく解らず……。
っつーか。
僕の機微は全然読んでくれないけど?
うーん……。
とか考えているうちに松平瑞穂が、とうとう声を押し殺しては泣き出してしまった。
「あ、松平さん……」
「オリヒコ。彼女を抱いてください」
「あ……いや……でも」
「あなたが彼女を口説き落としたんです。責任は持ってあげてください」
「それは……そうだけど」
「何か不都合ありますか?」
「でも、それじゃ……リリィは?」
「私は、見学させてもらいます」
「……は?」
今度は一体何を言い出すの?
「私は、本当に愛し愛される二人の、その様子をじかに見て学びたいと思います。ダメですか?」
はあ……なるほど……。
しかし理由はどうあれ、あんまり悪趣味過ぎるのでは?
「それはダメだろう……」
「しかし私は、どうしても目にしたいんです」
「それは解るけど……恥ずかしいでしょ?」
「しかしあなたは私へ、最大限の努力を約束しました。その履行を求めたいと思います」
「いやいやいやいやいや! それ僕だけならまだしも、松平さんがダメでしょ!」
「そうですか? そうしてもらえるように、あなたからお願いする事はできませんか?」
「無理に決まってるでしょうが!」
そこに松平瑞穂が、目を拭きながら口をはさんだ。
「ううん……いいよ?」
「え……えええええ? 松平さん?」
今度はこっちが一体何を言い出すの?
「宮前くんもだけど、リリィちゃんも。何でこんなに、私の気持ち。解ってくれるのかなって……嬉しいよ? すっごく。だから……」
いや、それはそうなのかも知れないけど。
解るけど。
何か凄く、変な話になってない?
「ま、松平さん……」
「それに……リリィちゃん、宮前くんのカノジョだもんね? それくらいの権利、あると思うよ?」
「いや、リリィは彼女っていうか……何ていうか」
僕がそう言うと、松平瑞穂は泣き顔もどこへやら、ちょっと呆れるような声で言った。
「あ……あー何かこの人、こんな事言っちゃってますよ? リリィさんシメますか?」
「いいえ、それで正しいですよ。オリヒコは私と肉体関係を結びましたが、今の所それだけです。それ以上の関係ではありません」
「あ……エッチ、もうしてるんだ? 本当に電光石火だね? 宮前くん」
「あ……それは……いや」
「しかも、愛の無いエッチですか? なるほどキミに、エロ大魔神の称号を授けよう」
エロ大魔神……何それ……。
何だかよく解らないけれど、凄くみっともないよ……。
返上できないかな……。
「善は急げといいますから、早速実行に移しましょう。場所はどこにしますか?」
善なの?
ねえ。
これ、善なの?
ついて行けないよ、もう。
「あるいは、人も来ませんし……ここで」
「リリィいいい!」
そんなに早く見たいのかよ!
ついて行けないっちゅーに!
「あー……あー。それなんだけどね。私、恥ずかしながら、きちんとした場所じゃないとダメなんですわ……ごめんね?」
「え……きちんとした、場所?」
「その、えっと……ラブホ」
「え。えええええ?」
ラブホテルって……。
それはハードルが、高いぞ?
かなり。
「その理由は、いたしてみればお解りになると思うので、そういう事で……ごめんね?」
「……」
「って、そういえば、まだお返事いただいてないですよ? 宮前くん」
「……返事?」
「あー。じゃあ、改めて言いますか。私と、エッチしてください。お願いします。……あ、何かすんなり言えちゃった。……えっと、お返事、ください」
夢が、空想が、現実になっている。
どうして?
こんな風に、物事が運んでしまって、いいのだろうか?
「……ダメ、なんですか?」
「オリヒコ! あなたの想い人でしょう。何が不満ですか?」
「……急過ぎて」
「時間が無い、と言いました。そんな迷いは捨ててください」
「……」
「オリヒコ」
……。
頷くしか、無いんだよな?
頷いて、いいんだよな?
「うん……じゃあ」
「え。それはOKしてくれたって事かな? 宮前くん」
「うん。松平さん。こんな僕でよければ」
「ありがとう! ありがとう。……ごめんね?」
「何の謝罪? それ」
「何でしょね? あはは。ごめんね? ……場所、私の知ってるラブホで、いいかな? ってまあ、校長と行った所なんだけども……」
「ラブホテルなんて判らないから」
「決まりだね。制服じゃ入れないんで、一旦帰って着替えてから駅集合で」




