〔3-6〕屋上での告白
「おー、やっぱり一緒に来ましたか。妬けますなあ」
屋上に屋根などある筈も無いから傘を持参しつつ向かうと、既に居た松平瑞穂にはそんな言葉で迎えられる。
その笑顔は、やっぱり可愛い。
可愛いがしかし……複数の女の子に可愛いとか感じまくってしまう僕は……浮気性、なのかな?
ちょっと、罪悪感。
「おととい私が振ったばっかりなのに、宮前くんがこんなに電光石火だとは思わなかった。びっくりだよ?」
「自分でもびっくりしてるけど……ええと、一緒で大丈夫な用件だった?」
「どうかな? リリィちゃんは私の事、どの程度ご存知でしょーか?」
「僕の知ってる事はまあ、大体」
「そっか。それなら……あ。あああああ」
「え?」
「なるほどほほう、宮前くん約束破りやがりましたな?」
「あ、いやその……」
「ミズホと呼ばせてください。そしてミズホ、私がそれを知ったのは別経路ですから、オリヒコを咎めないでください」
「別ですと? 誰かなー、それ……」
その誰かはおそらく実在しないので、この話は終わりにしておく事にした。
「ええと。用件は?」
「あ、うん。実はその……」
松平瑞穂はどうしてか、まいったというような苦笑いで頭を掻き。
「……既に機を逸しておりまして」
「え?」
「宮前くんなら絶対来ちゃうと思ったから待ってたんだけど、もういいんですわ。ごめんね? でも別に、おとといの意趣返しって訳じゃあないよ?」
「どういう事?」
「お願いがあったんだけど、もうそれは絶対ダメだから。でも、せっかく来てもらうんだし報告だけしとこうかな? って、考え直してたとこ」
「報告?」
「うん。あ、一応、絶対ナイショの話ね? リリィちゃんもよろしく」
「はい、分かりました」
「内緒って……何の話なの?」
「ええとね。……ええと……んー」
そこで途切れ、松平瑞穂は弱った様子で笑い、次の言葉をなかなか発しなかった。
「えーと、言いにくいなら……」
「ううん、ごめんね? 凄い言いにくいけど、宮前くんには知ってて欲しいから。ちょっと待ってね?」
「そう?」
これから彼女が何を言うのか、まったく予想が付かない。
先日の告白以上の話は無いように思うが、雨が傘打つ音を聴きながらジリジリ待つと、三分ほど経っただろうか。
やおら彼女は静かに目を閉じると、深呼吸を行った。
「ふう……よし、言うぞ。言っちゃいますよ?」
「あ、うん、どうぞ」
そして目を開き。
例によって最高の微笑で。
告げる。
「校長とは破局しました。でも私にはお金が凄い必要なので、援助交際を始めます。以上」
……。
「え」
「二度は言えないよ?」
「いや、聞いてたけどさ……校長と、破局?」
「うん、残念ながら。っていっても実は、全然残念じゃないんだけども」
心底ぞっこんだと言っていたのに、全然残念じゃない?
しかもその上……援助交際、だって?
どうして、そんな……?
確かに今見せている微笑からは残念さがまったく窺えないが、そもそもその微笑がおかしい。
さっきの告白の内容と、まったくそぐわない。
訳が、解らなかった。
「説明は……貰えるのかな?」
「いいよ? どこから話そうかな……まあ、最初からだよね? んー、んっんっん」
そう考えるそぶりを見せるも、大まかには言う事は既に決まっていたらしい。
松平瑞穂はほとんど詰まる事も無く、語った。
「ええとね。うちの親、会社やってて。いろいろ手広く取引してたんだけど、中には真っ当でない取引もあったらしくてね。それが元で、会社が転ぶような事態になっちゃったらしいんだ」
「え。えええええ」
「それが、高校に入ってすぐの事だったんだけど。もう飛ぶの無理だから、被害がなるべく少ないような不時着をさせるように、とか何とかね。そんな話になっちゃってて。学校のみんなは私の事、いいとこのお嬢様だって信じてるけど、実は火の車どころか隕石降るくらいの騒ぎなんだ」
「そう、だったんだ……」
「びっくりしたかな? ごめんね? 意外と会社の借金って、社長が何とかする義務無いらしいんだけど、裏取引だったからね。会社でどうにもできない分は全部うちに回っちゃって、もう私の学費どころじゃなくなっちゃって」
「……じゃあ、どうなるの? 松平さん……」
「うん。今年分は全納してるけど来年から見通しが立たないからって、それでも私をせめて高校三年間くらい通わせたいからって、親、校長の所に陳情に行ったんだ。そしたら校長……場所を改めて私と二人きりで話をさせろ、みたいな事言い出したんだな、これが」
「え」
ちょっと待て。
何だそれ。
「それって、つまり」
「はい、そういう事です。もちろん親の前だし、もっと遠回しな言い方だったけどね。それでも言った意味は、それ」
「……」
そんな、事が。
そんな、事が。
つまり彼女は……無理矢理?
「私は絶対に学校辞めたくなかったから、親振り切って、それなりに覚悟もして、行ったんだけど、でもねえ……あんな事言われた時はもう流石に、どうしようかと思ったよ?」
「……あんな、事?」
「単純では、あるんだ。こんな関係はいけない、でも君がする事なら受け入れる。そんな言葉をひたすら、繰り返すだけ」
「……どういう意味?」
「うん。私も最初は、一体何訳の解らない事を言ってるんだ、って思ってたんだけどね……そのうち意味が、解っちゃって」
「それは?」
「……ご自分でどうぞ、って事」
「! ……」
そんなの、ありか?
あんまり、卑劣過ぎないか?
「そんな事しなきゃいけないのかって、そのうち泣いちゃったりもしたけれど、見逃してなんかくれなくて……。結局、私に選択肢は無かったんだよね」
「……」
「脱がせたのは私。上に乗ったのも私。そんな風に、私の……純潔は、散らされちゃいました。いっそ無理矢理だったほうが……ずっと、よかったのかも……ね」
「……そんな……」
自分の意中でもない相手に、生まれ出てから一つしか持ち合わせていない大切なものを、自ら捧げさせられてしまう……?
そんなものは、それは、どんな屈辱だったか?
どれほどの無念だったか?
察するに余りあるが、そんな事が窺えないほどの微笑を保ちつつ、彼女は続けた。
「もちろんそんな事するの、もの凄い嫌だったよ? それは、今も変わらない。……変わる訳が無い」
「え……じゃあ」
「うん。ぞっこんだの何だの、もちろん演技。指示されてただけ。いや、指示って云うのかどうかも判らないかな? どうしてもという時は、君が私の事を愛している事は言ってしまって構わないよ。そんなセリフだった。もちろんそんな指示に従う必要は全然無かったんだけど、私もほら……不器用だからさ。そんな状態で、他の誰かとどうにかなったりするの、無理だったんだよね」
「……」
「嘘ついてごめんね? ちなみに心配させたくないから、親にも同じ嘘ついたよ? だから頼れる人、全然居なくて……そんなんだからおととい、宮前くんにあんな事言われた日には何もかも投げ出して、なびいてしまおうかと本気で悩まされました。恨みますよ?」
「あ……ごめん……」
「ううん。悩まされたのは本当だけど、恨みますは冗談。ごめんね?」
「……」
いや、それでは済まなくて。
彼女へ言葉で伝えた訳じゃあないけれど、それでも僕は心の中で、僕に対する彼女の態度は酷いと、そう思ってしまった訳で。
こんな事だとは、知らなくて。
表面だけで判断してはいけない。
このあまりにも有名な言を、こんなにも痛烈に思い知らされるとは思わなくて。
「それで、校長と破局になった理由だけど。ちょうどその、おとといだよ。私は知ってしまった訳だ。……その、元凶になった取引。校長が仕組んだものだった、って事」
……校長、人でなしじゃねーかよ!
ただの役得で図に乗っただけならまだしも……。
こんな事は、初めてだ。
誰かが憎いと、こんなに強く思った事なんか。
死んでしまえと、思った事なんか。
いいや自分の手でと、思った事なんか。
……はらわたが煮えくり返るとは、こういう事なのかも知れない。
実際にお腹のあたりで、そんな感じがする。
「もちろんそれは、真っ当な取引じゃなかった訳だから、親に言ってもどうにもならない。私だって、知らん振りをするのが賢いやり方だとは分かってた。でも、どうしても我慢できなくて……」
「校長に、言ったの?」
「うん、詰め寄っちゃったんだ。そしたら……こう言われちゃってね。関係を続けるかどうかは任せる、ただし場合によっては思い出が流れ出たりするかも知れない、って」
「……思い出? が、流れ出る?」
「私も全然気付かなかったんだけど、多分そういう事してる時に録画でもしてたんだと思う。それを、ネットかどこかでばら撒くって意味かな」
……。
これは、ダメだろ?
うん、ダメだ。
そうだよね。
よし。
「え。宮前くんちょっと……どこ行くの? まだ話は……」
「ちょっと校長室行ってくる」
「……え」
「人殴った事なんて無いから、上手くできるか判らないけど」
「……待った! それまずいから! 宮前くん待って! ダメ!」
余程慌てたらしい松平瑞穂は、たたえていた微笑も放り出して必死に僕を引き止めた。
「ダメだから……やめて? お願い」
手首を掴まれてしまったから、仕方なく振り返る。
「だって! だって……それじゃあ、松平さんがあんまり……」
「いいの。いいんだ、もう……それより、そんな事で宮前くんが退学とかになったら、私そのほうがずっとずっと嫌だから。絶対やめてちょうだい? ね? それから、告発とかもダメだよ? 後ろ暗い取引をしたうちの親も、芋づる式で引っ掛かるから」
「……」
うーん、そう言われてしまうと……。
全然納得はできないけれど、一応の制止を見せた僕に平心を取り戻したらしい松平瑞穂は、その顔にも微笑を取り戻し、続けた。
「とにかく、そんな事言われちゃって私もう、完全に頭に来ちゃってね。好きにすればいい! って思わずタンカ切っちゃったんだ。校長が本当にばら撒きをしてるかどうかは知らないけど、そういう訳でもう手遅れなんですわ。あはは、馬鹿だよね私……」
「……」
「だけど、一矢は報いたから。去り際に、思いっ切り引っぱたいてやったよ。どう? やったでしょ私。だから校長の話は、これでお終い」
「お終いって、そんな……」
「うん、お終い。……って事にしておいてね? もう……思い出し、たくもない……し」
「……」
リリィが感じた違和感については納得が行った。
むしろ、納得行き過ぎだ。
これは不倫暴露どころの話ではないが、それにしてもこんなに酷過ぎる話があったものか?
もはや警察に届け出るべきレベルの事案とは思うけどしかし、セカンドレイプという言葉もあるくらいだから、本人がお終いと言っている以上はもうどうしようも無い訳で……。
……。
悔しい。
悔しいよ……。
「まあそれでも実際問題として、お金が必要な訳で。それも、恐ろしく大量に必要で。普通のバイトとかじゃもう、全然足りない。最終的に、体を売る事しか思い付かなかったんだけど……」
「……」
そんな事は、しちゃダメだ。
そう言うのは、もちろん簡単だ。
しかしそれで、何かが解決するだろうか。
そう言って、彼女は聞き入れるだろうか。
「でも、フーゾクとかエロビデオとかって意外と厳しくて、本当に十八以上じゃないと使ってくれないみたいなんだよね。探せばあるのかも知れないけど、少なくともネットにそういう情報は無いし。それじゃあ摘発されちゃうもんね? だから選択肢として、援助交際しか残らなかった訳です」
「……」
「えっと、説明はこれで全部、かな?」
「……松平さん……」
「ごめんね?」
「……そこでまた何で、謝罪?」
「うん……。知ってて欲しいとは思ったけど、やっぱり重た過ぎるかな、って……本っ当に、ごめんね? 私、我が儘過ぎるよね……」
その重たい話を、彼女はここまで、微笑で通してみせたのだった。
そしてそれがむしろ、だからこそ……あんまり、可哀想が過ぎた。
「あのさ」
「何でしょか?」
「さっき言ってた、お願いってやつ。何だったの?」
「いや、だからそれは……もういいって」
「ダメ。僕は松平さんに、何かしてあげたい。そうしないと、もう僕の気が済まない」
「でも……でも」
「もし僕にできない事でも、言うだけならタダだし。言ってみてよ」
「それは……違うかな?」
「え?」
「言うだけで、代償を払わなきゃいけない事も……あるよ? だから、言えない」
「……」
そんな、事が、あるものなのだろうか。
「ごめんね? 今日は、来てくれて、聞いてくれて、ありがと。リリィちゃんも、いきなりこんな話で、ごめんね? ……じゃあ」
「あ……」
松平瑞穂が、行ってしまう。
引き止めないと……早く、早く。
でも、何を言えば?
頭が空転を始める。




