〔2-8〕水の流れ
「では、私をシャワールームへ運んでください。私はそれほど重くない筈ですが、あなたは負傷していますから、持ち上げるのはやめたほうがいいでしょう」
「あー……えっと、じゃあ?」
「私の両脇に、後ろからあなたの腕を通して、引きずってください。それが一番楽だと思います」
「あー……なるほど」
「それからあなたも、それは脱いでください」
「あー……え。えええええ」
「あのシャワールームでは私を洗う時に、濡らさないようにするのは不可能です」
「……今、脱ぐのも、不可能です……」
「どうしてですか?」
いや、だって……だって。
「……僕が、健康だから、かな……?」
「よく解りません。きちんと説明してください」
「ああもう! 濡れてもいいなら穿いてていいでしょ!」
「それはそうですが、しかし気になります。理由を教えてください」
理由。
僕は君に欲情したので、その状態のアレを見られるのがとっても恥ずかしいのです。
言えないでしょ? コレ。
それとも……おっきしてるもん、とか言ったら通じるんかな?
いやいや。
そんな期待など、とてもできそうに無い。
「不可能デス」
「そうですか、分かりました。では取りあえず、私を運んでください」
「ハイ」
先に散らかっている物をどけて道を作り、後ろへ回って羽交い絞めをするような感じで彼女を抱えた。
僕の顔に彼女の頭部が最接近する。
ドキドキだがしかし、彼女からは……牛乳の匂いが強烈にした。
うわーごめんなさい!
方向転換して、ずりずり引きずってみるが……この部屋は畳敷きである。
狭い部屋だし、別に大した距離でもないのだけれど、何しろ女の子だ。
気になってしまう。
「ええと……お尻、痛くない?」
「大丈夫です。あなたの負担になりますから、私を浮かせようとしないでください」
「あ……うん」
それでもシャワールームへの段差だけは持ち上げるしか無かった訳だが、どうにか運び込む事はできた。
彼女を、壁にもたれ掛けさせる。
もう、何から何まで見えまくりなのだが、背中を向けさせるのも洗うには不都合だし……いろいろ諦めざるを得ない。
「先に、全身を洗い流してください。その後、包丁を抜いてもらいます」
「……うん。ええと、どこから?」
「順当に、上から下へお願いします」
「じゃあ頭からね。ええと、冷たいけど」
「大丈夫です」
水栓を開けてはシャワーを左手に持ち、右手で彼女の髪の毛をすすいでいく。
その長い髪の毛は、水に濡れるとかなり扱いにくい代物へと変化した。
「あ、シャンプーは?」
「そうですね、牛乳をかぶりましたから。お願いします」
一旦シャワーを止め、シャンプーのポンプを操作して洗料を手で受けると、彼女の頭に塗りつけた。
そのまま泡立てる。
そういえば昔はよく、妹の頭とか洗わせられたな。
短髪だったからこんなに苦労はしなかったけれど、それにしても妹と一緒に風呂に入るってエロゲーやエロ漫画あたりでありがちなイベントよなあ。
まあ当時にそんな知識も意識もまったく無かった訳だけれども、今の妹の性格とか考えるとむしろ何も無くてよかった、とは思う。
あ、いや。
今の状況のほうがよっぽどエロイベントだけどさ……。
適当な所でまたシャワーを開栓し、髪の泡を洗い流す。
「あ、ごめん。リンスとかコンディショナーとか無いんだけど」
「贅沢は言いません」
ホントすいませんねえ、貧乏で。
とか考えつつ髪の毛をすすぎ終えると……僕は立て続けに、貧乏を呪う破目になった。
「無い無い尽くしでごめん。体洗うのスポンジとか無いから、タオルでいい?」
「タオル、ですか」
「まずい?」
「手で、お願いします」
……。
これはひょっとして、いじめですか?
「ごめん。それ、果てしなく拷問」
「どうしてですか?」
「うーん……あのね。男にとって……っつーか少なくとも僕にとって、女の子って神聖な存在で。畏れ多いんだよ」
「そうですか。でも私は、タオルはダメです。手で洗ってもらうしか無いんですが」
「おねがいですわかってください」
「……分かりました。それではシャワーで、よく洗い流してください」
「了解。でも、そんなにタオル、ダメなの?」
「はい。理由は判りませんが、私の肌はタオルでこすると、とても荒れます。それから、さっきはあなたを驚かせてしまいましたが、下着も長時間着けているとダメなんです」
「はあ。何か、大変だね」
シャワーの水を彼女の体に、存分に掛けてやる。
肩。
背中。
腕。
胸。
お腹。
脚……。
うん、綺麗なんだよ。
ホント綺麗。
その整った形状をした、つややかな肢体の上を、水が伝って流れ落ちていくさまは。
画家がこぞって裸体画を描きたがる心理がありありと読み切れてしまうくらい、綺麗なんだけれども……。
やっぱダメだわ。
ダメでしょ?
そんな事を考えながらも結構長い時間掛けていたから、もう充分だろうと思った頃。
「股間も、きちんとお願いします」
……。
いや確かに、意図的に避けてたけどさ……。
「だから、その……畏れ多いって」
「神聖と思うならなおの事、汚れたままにしないでください」
あー……しぶしぶ、ですよ?
やむを得ず、ですよ?
進んでやる訳じゃない、ですよ?
取りあえず心の中でそう言い訳して、流水を彼女の股間に当てた。
……。
凄く変な気分になってきた。
一体……何をやってるの?
僕……。
どうもこれはエロとかインモラルとか、そういう感じじゃない別の何か。
どう表現したらいいのか解らないけれども。
魔? 修羅? 煩悩? 業?
うむ、解らん。
っつーか、煩悩は菩薩に同じとかいう言葉があるらしいけど、それはもっと解らん。
いや……それよりもコレ、もし手で洗うの了承してたら、触る事になってたよね?
……あー……。
そろそろもう、精神が保たなくなってきた。
「ええと……何とも、ない?」
「何がですか?」
「い、いや何でも……えっと、もう……いいかな?」
「そうですね。では、包丁の刺さっている所も充分洗い流してください」
「平気?」
「そうしてもらわないと、後で困ります」
彼女の左の脛に、シャワーを当てる。
流れていく水に、血はそれほど混じらない。
「痛くない? 大丈夫?」
「まだ包丁が栓をしている状態ですから、それほどという訳でもありませんが……痛いには痛いです。でも、続けてください」
刺さってるもんな……。
間違っても浅くはない。
小振りの包丁ではあるが、それなりに深く刺さらなければその自重で抜け落ちる筈である。
僕が、やったんだよな、これ……。
その様子はどうにも、痛々しくて。
申し訳無くて、どうしようも無くて。
「そろそろいいでしょう」
「あ、うん」
水を止めた。
綺麗になった傷口からはしかし、少しずつではあるものの血がにじむのは止まらない。
「それではこれから、包丁を抜いてもらいます。段取りを説明するので聞いてください」
「う、うん」
「先に、タオルをよく洗って、絞っておいてください」
「あ、じゃ、今洗おうか」
「そうですね。やりながら聞いてください」
また水を出し、じゃぶじゃぶ洗う。
「利き手は、右ですね?」
「うん」
「ではまず、左手で私の足首をしっかり掴んで、動かないように固定してください。そして右手で包丁をしっかり持って、躊躇わずに一気に引き抜いてください」
「うん」
「その時、大量に出血します。それから私も、痛みに耐えかねて何やら叫ぶかも知れません。それらをやり過ごす為の心の準備は、念入りにお願いします」
「う、うん……あ。あーそれ、縛ってから抜くのじゃ、ダメなの?」
「いえ、今はいけません。それは最終手段です」
「最終、手段?」
「そうです。縛るべきなのは既にそれなりの量の出血があって、それがどうしても止血できない場合。あとは、これから手足の切断をするという時のように、命にかかわるほど大量出血する事があらかじめ判り切っている場合だけです」
「それは、どうして?」
「何故と言って、縛るというのは非常に危険な行為なんですよ? 血流が止まる事によって神経が壊死したり、緊縛によるダメージでその部位の組織が傷付いたりする、というような問題を実に簡単に引き起こせてしまいます。それに長時間縛られたままだと、解かれた時に傷んだ筋肉から毒素が血液へにじみ出てしまって、それのせいでクラッシュ症候群という脳臓器不全までも引き起こしてしまう場合があるんです。それは最悪の場合、死に至ります」
「え、怖いな……そんな事あるんだ……」
「はい、ですから例えば災害などがあった時、何かの下敷きになっている人がいたとしても、無暗に助け出してはいけません。これが原因で、被災者を死なせてしまうケースがよくあるんです。そういう場合は、何らかのレスキューが活動している筈ですから、それをすぐに呼んでください」
「あ、それ、何か聞いた事あるなあ」
「そうですか。とにかくそういう訳で、止血の基本は直接圧迫です。包丁を抜いたら間髪入れずに、タオルで傷口を圧迫してください。潰れてしまいそうなくらいの強い力でお願いします。落ち着くのに、十五分から一時間くらい掛かります」
「うん」
「私がOKを出したらタオルを取り去って、シャワーで血を洗い流してください。そしてタオルで水分を拭き取って、すぐにラップできつく巻いてください。それで終わりです。できますか?」
足首を固定。
包丁を引き抜き、すぐにタオルで圧迫。
しばらく待って水で洗ってから、拭いて、ラップで巻く。
「何とか、やってみる」
「実はこの為に、私はわざとエネルギー切れになって身動きを取れないようにしたんです。私が痛みで暴れる事は無いので、そこは安心してください」
「そ、そうなんだ」
「タオルは、もういいでしょう。絞ってください」
「あ、うん」
水を止め、タオルをギチギチ絞る。
「では、私はいつでも構いません。あなたの用意ができ次第、始めてください」
「……うん」
ゆっくりと、手を伸ばし。
左足首を、掴み。
包丁の柄を、手にとって。
「……はあ……はあ……はあ……」
ドクン。
ドクン。
ドクン。
動悸は、激しく。
息は、荒く。
「大丈夫ですか?」
「ごめん、緊張して……もう少し、待って……」
「はい」
ドクン。
ドクン。
ドクン。
……深呼吸、して。
「いきます」
「どうぞ」
右手を、勢いよく、引く。
……途端。
「んきぁあああああう……っく……!」
痛烈な悲鳴が聴こえる。
赤黒いものが大量に流れ出す。
「あ……」
それだけで僕は……もう何も考えられなくなってしまった。
赤。
赤。
赤。
こんな……こんな!
「あ……あ……」
赤。
赤。
赤。
こんなの、ダメだ。
こんなの……。
「圧迫!」
張った声が掛かる。
「……え」
「早く! 急いで!」
「あ……う、うん!」
それで何とか判断力を取り戻した僕は、視界の中からどうにかタオルを検出すると、それを掴んで彼女の左足の脛に当てた。
強く押し付ける。
シャワールームの床はちょっと、スプラッタな感じになってしまった。
「上出来です」
「いやあの、そんな……ごめん」
「いいえ。あなたは私の要求通りの目標を、きちんと達成しました。上出来ですよ」
うーん。
取り乱したし、どうも素直に受け取れないものがあるけどなあ……。
「それよりあなたには、慣れない事をさせてしまいました。ごめんなさい。それから、ありがとうございます」
「あ……いや、僕のせいだし……」
「そもそもは、私のせいです。幸い、動脈にも達していなかったようですし、気に病まないでください」
「ええと、うん……」




