〔2-7〕勉強
いやいや、まずいって。
男子の夢みたいな状況ではあるけれども、しかしその状況がいざ突然、訪れるとなってしまうと……。
しかし少女は、僕のそんな逡巡もお構い無しに、さらに念を押してきて。
「こんなにお願いしても、ダメですか?」
「……」
そんな事を言う彼女の顔は、最高に可愛らしく。
そして彼女が言う事は、否定の余地が無く。
「……分っかり、ました……」
「ありがとうございます」
礼とか言われましたけど、何か……大事なものを捨ててしまった気がするよ?
「では取りあえず、先にあなたの傷を手当てしてください」
「……あー」
あんまり衝撃的な事を次々と言われたもんで、すっかり忘れてましたわ。
まったく痛まないって事は無いけれど、それでも全然気にならなくなるもんですな。
はっはっはっ。
笑い事じゃないけれども。
「でも、こんな怪我……絆創膏じゃダメだろうし、手当ての仕方とか判らんのだけれども……救急車、呼んじゃダメ?」
「その場合は私も搬送されてしまいますが、それはとても困ります。申し訳無いですが」
「やっぱりそうですか……」
「そんな風に身を起こしていられるなら、深い傷ではない筈です。私の手応え的にもおそらく、皮膚を少し深めにえぐっただけでしょう。何か、食品用ラップはありますか?」
「え。それは、あるけど」
「まずシャワーで、傷をよく洗ってください。その時ずいぶん痛む筈ですから、舌を噛まないように歯をしっかり食いしばってください。一分ほど洗い流したら水分を拭き取って、ラップで三重くらいにきつく巻いてください。手当てはそれで、問題無い筈です」
「なるほど」
シャワー。
「……脱がなきゃ、まずいよね?」
「むしろ、そうしなければ難しいと思いますが」
この狭い部屋に、脱衣所などという豪華なスペースも無く。
「脱ぐのも、まずいんだけれども……」
「どうしてですか?」
「いや……君の見ている前じゃ……」
「なるほど、恥ずかしいという事ですか。でも、恥ずかしがっている場合ではありません」
「あう……」
仕方無く、寝巻きを取り払ってみる。
しかし、美少女の目の前でストリップ、とか……あーあー、腰引けてる腰引けてる。
それでも取りあえず、どうにかこうにかブリーフ一枚になったのだが……少女は、容赦無かった。
「最後まで脱がないんですか? 邪魔になりますよ?」
うむ。
段々、恨めしくなってきた。
いっそ顔の真ん前で脱いで、見せつけてやろうか?
……いや、僕の心が死ぬから無理だけど……。
「中で脱ぎますわ」
「そうですか」
僕はシャワールームに入り、ドアを閉める。
浴槽は無く、半畳よりは少しだけ広いスペースのそこで完全に裸になると、外から声が掛かった。
「お湯よりも水のほうがいいですよ。温まると、出血が激しくなります」
何となくお湯を出す所でした、はい。
水色のマークが付いた栓をひねり、夏だから一応三十秒くらい流し捨てた。
そうして取りあえず傷のまわりの血を洗ってみるが、固まってはいないから難無く流れていく。
すぐに綺麗になってしまった。
さて……痛いよね?
当然。
まず、一瞬だけ当ててみようか。
歯を食いしばって……。
「ぎあああああああああ!」
痛い!
痛いよコレ!
一分とか無理!
でも……やらなあかんのよな?
「っっっっっっっ!」
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!
「ぐううううっ! のおおおおおっ! がああああああっ!」
痛いだけじゃなくて、意思に反して漏れる声が悪役の断末魔みたいな感じ!
フィクションとかでは怪我だの傷だの普通にあるけど、みんなこんなに痛い思いをしてるって事なんか?
「っっっ! っっっ!」
一分経ちましたか?
まだですか?
もういいよね!
大丈夫だよね!
水を当てるのを、やめる。
「っはあ……はあ……はあっ……」
傷はまあ多分、綺麗になっているように思う。
血は……ほぼ止まっているのかな?
少なくともあまり、にじみはしない。
彼女の言う通り重傷でもなかった、という事か。
備え付けのタオルを水でよくすすぎ、栓をひねってシャワーを止めるとタオルを絞った。
そしてそれを使い、体の水分を拭き取っていく。
最後に、傷口に慎重にタオルを当てる。
「ふう……」
こんなもんかな。
棚に置いておいたブリーフを身に着けると、ドアを開けてシャワールームを出た。
そんな僕を、さっきと変わらず壁にもたれたままの少女が迎える。
「よく辛抱しました。では、ラップを巻いてください」
「あ……うん。でも、このままで? 消毒とかしなくていいのかな」
「それは絶対にいけません。消毒は雑菌を殺しますが、それ以上に体の細胞を壊してしまって、回復力を著しく損ないます。傷が汚染されているなら話は別ですが、あなたは動物に噛まれたりした訳ではないので、綺麗に洗った後ではデメリットしか無いんです」
「そうなんだ?」
台所に立ち、食品用ラップを取り出すと、お腹の周りにぐるぐる巻いてみた。
「こんなもんで?」
「いいと思います。何かテープがあれば、端を固定してください」
「あー……無いや」
「そうですか、それならいいです。今後一日三回、水で洗ってはラップを巻き直してください。それで傷は治ります。徐々にふやけて見た目は悪くなっていきますが、そのほうがかえって綺麗に塞がるんです」
「なるほど、そっか。手当てって意外と、シンプルなんだね」
「傷の手当ての鉄則は、乾かさない事と清潔を保つ事で、それ以上の事は基本的にしないほうがいいんです。動物なんかが傷を舐めるという行為をよくしていますが、これは不潔なようでいて実はかなり効果的なんですよ? 唾液にはむしろ、殺菌の効果がありますし」
「ふーん、勉強になるなあ」
「ただ実際の所、口の中にある程度の雑菌が生息しているのも確かですから、傷の洗浄には水道水以上のものは今の所ありません。……では次は、私をお願いします」
「……」
うーん、取って付けたように言われたけれど、脱がせって事だよね……。
気が進まないけどしかし、やるって言っちゃったしなあ。
「先に、ここで私を脱がせてください。シャワールームには、その為のスペースが無いようです」
あうう。
「二言が、ありますか?」
……ええい、ままよ。
と、ありがちな定型句を頭に浮かべつつ、彼女のその服に手を掛けた。
よく解らないデザインの服だが、ボタンが付いている。
それを外していけば、脱がす事はできるだろう。
緊張と興奮に震える手を、どうにか抑えつつ。
目に付くボタンを、外し終え。
前開きになっているそれを、恐る恐るめくってみると。
……その下からは、次のボタンが現れた。
「ずいぶん……厳重な服だね?」
「はい。戦闘服ですから」
「はあ」
どうしようも無いので、新たに現れたボタンも外していく。
「暑く、ないの?」
「命のやり取りをします。構っていられません」
「それなら逆に、何で手足むき出しなの?」
「場合によっては手足を変形させます。その時に邪魔になります」
「はあ。……あ。あーそっか、なるほど」
「何がなるほど、ですか?」
「最初に言ってた、合羽がダメっていうのは、そういう事だったんだ?」
「はい。ちなみに、傘が邪魔というのは……」
「あーそれは、もしかしていわゆる……死体の始末、ってやつ?」
「そうですね、大体そんなようなものです。若干違いますが、する事に違いはありません」
「……うーん……」
東京湾の底まで運ぶつもりだったとか、そういう話だよねコレ……。
何か、マルボーの世界に入り込んでしまったような感じがしないでもない。
っつーか、もし殺されていたら本当にそうなっていたんだろうし、考えてみるとぞっとする。
ちょっと冗談にはできそうにない。
いや危なかった、今さらながら。
そんな事を思いつつも、服のボタンを外し終えたので、再びゆっくりとめくってみる。
「……え」
「何か?」
「あの……下着、とかは?」
「見ての通り、着けていませんが」
えーと。
えーと。
「うわああああああああああああああ!」
ム……ムネ!
見えてる見えてる見えてる!
っつーか下も見えてる!
「私の体はどこか、変ですか?」
「へ、変じゃない! 変じゃないから、だから……」
「また、恥ずかしいんですか。でも申し訳無いですが、覚悟は決めてください。こうなると分かっていて脱がせたのではないんですか?」
「……ごめん。覚悟してたつもりなんだけど、いきなり出てきたから……」
「そうですか。でもまだ、きちんと脱げていません。最後までお願いします」
「うん……」
目の毒。
そんな言葉がある。
ラッキースケベというものを獲得した人間による、ノロケのような言葉だと考えていたが、この言葉の意味をまざまざと思い知らされた。
これは確かに……毒だ。
しかも今、その毒を開封したのは自分の手、ときている。
どうしよう。
どうしよう。
「それにしても、妙ですね」
「え……何が?」
「あなたくらいの男子は性欲が非常に強い筈ですから、相手の許可があれば喜んで裸にすると思ったんですが」
「性欲強いのは否定しないけど……普通は相当、抵抗あると思う……」
「矛盾しますね」
「そういうもんです……」
「なるほど、そういうもの、ですか。ところで私はその、性欲についての倫理というものに疑念を……いえ。ごめんなさい、あなたの作業を中断させてしまいました。続けてください」
「あー……うん」
えっと……今、何を言いかけたのかな?
それはそれとして完全に脱がせるのは、これといって難しい話ではなかった。
壁にもたれた彼女の体を起こし、服から彼女の腕を引き抜くだけだ。
もし彼女がぱんてーと呼ばれるモノを穿いていたら、それを脱がすのは至難の業だったに違いない。
しかし、脱がせる折りにちらちらと、どうしても僕の手は彼女の肌に触れてしまい。
それは何と言うか、なめらかで、やわらかで。
あー。
っつーか。
彼女はこれで綺麗さっぱり、生まれたままの姿になってしまった訳で。
それも、男子高校生の一人部屋の中で。
どうするんだよこの状態?




