〔2-3〕命の危機
おかしな事に、さっきまで僕はやたら落ち着いていた。
平和ボケというやつだが、そこは彼女も不審に思ったらしい。
まあ、だからといってこれは、彼女が言うセリフでもなくて……。
「どうしましたか?」
いやいや、こっちが訊きたいよ!
っつーか訊くよ!
「な、な、何で! 何でそんな!」
「理由は私も知らない、と言いました」
「ちょっと待って! 勘弁してよ!」
「ごめんなさい、と言いました」
「のおお! ごめんで済んだらケーサツ要らない!」
「でも私は、あなたを殺さなければ」
「何故ー!」
「理由は私も知らない、と言いました」
「堂々めぐり!」
話にならないし!
これ、ヤバイ?
相当、ヤバイ?
どうにかしないと僕、死ぬ?
殺される?
いやいや、確かに死にたいとか、思ったよ?
考えたよ?
でもそれは、失恋した時とかに付き物の、いわゆる言葉の綾ってやつでしょ?
殺人兵器?
だっけ?
何でそんなのが僕の所に来るの?
一応、ゼンリョーな一般市民のつもりですよ?
どうしてこうなった!
「世の中には、その理由も知らずに死んでいく人もいます。例えば、交通事故。例えば、通り魔。例えば、安楽死。珍しい事ではありません」
「いやいやいやいやいやいや! 事故はともかく後の二つは違うでしょ! 珍しいよ!」
「私が手に掛けた人数も少なくありません。私は、その人たちの事をみんな覚えています。もちろん、あなたの事も忘れません。それはきっと、あなたが生きたという証くらいにはなるでしょうから、だから……ごめんなさい」
「ぎゃー! わー! わー!」
本当に飛び掛ってきた!
何とかよけるうううううう!
……。
あれ?
えーと。
とっさの事で、自分の体がどう動いたかもよく判らないのだけれども、しかし。
……これは?
彼女の頭が、金色の髪の毛が、すぐ目の前にあって。
彼女の体が、こちらに少しのし掛かってきてて。
脇腹辺りに、少し妙な感触があって。
ええとこれは、温かい?
いや、熱い?
いや違う、これは……。
「……痛……?」
「ごめんなさい。あなたの動きを読み違えて、急所を大幅に外してしまいました」
そんな言葉が、聞こえたような気がする。
「本当にごめんなさい。せめて苦しまないように一撃で、と私は……こんな筈では」
……。
「だああああああああああああああああああああああっ!」
どん!
僕は無我夢中で、彼女を突き飛ばした。
虚を突かれた彼女は、どたり倒れ。
距離は開き。
そして僕は、自分の状態を確認する事ができる。
左脇腹が、赤い。
熱い。
痛い。
刺された。
刺されてる……。
……。
殺されるよ!
「うわああああ! あああああああああ!」
僕はとにかく、手で物を探っては、彼女へ向かって投げつけた。
脱ぎ捨てたシャツ。
通学バッグ。
転がっていたシャープペン。
放り投げたままだったケータイ。
マグカップ。
茶碗。
コタツ台。
散乱していた参考書。
お気に入りのライトノベル。
台所に備えてあった缶詰。
食器。
鍋。
包丁。
……あー。
刃物はちょっとアレだった、かな?
いいや、そんな事に構ってはいられない。
僕は投げられる物を探り続けた。
冷凍庫の中の冷凍食品。
氷。
アイス。
冷蔵庫の野菜。
作り置きの料理。
調味料。
とっておきのワイン。
鶏卵。
牛乳パック。
……あー。
卵と牛乳は、刃物とは別の意味でちょっとアレだった、かな?
まあいろいろ投げたものだから、少女のほうはもう滅茶苦茶になっていて、様子がよく覗えなくなっていた。
ただ、動きも見られない。
今だ、逃げよう……。
しかし出口は、玄関ドアしか無く。
それには少女の居る辺りの脇を、すり抜けなければならず。
……いいや迷っている暇は無い!
一心不乱に玄関ドアを目指す!
狭い部屋だからそれはすぐにたどり着く!
ドアを開ける!
ガチッ!
……。
うんー?
これは……チェーン、ですねえ。
さっき閉めてくれたんですか?
金髪少女たん。
それはどうも、わざわざご丁寧に……って違う違う違う違う違う!
「ああああああああ! あああああああああああーあああああー!」
慌ててチェーンを外そうとするが、人間、慌てるとかなり何もできなくなる。
僕は、ドアを一旦閉めなければチェーンは外せない事を、すっかり失念してしまっていた。
「わあああああ、開けええ! 開けえええええええ!」
ガチャンガチャンガチャン!
もう何が何だか解らなくなって、ドアを激しく揺さぶる。
もちろん派手な音が立つだけで、期待した効果は得られない。
そんな無意味な行動を、どれくらい続けただろうか。
それはまるで判らないが、混乱した思考の片隅でふと、訝しく思う。
かなり時間は経った筈だ。
なのに……危機が、さっきまであった危機が、なかなか襲い掛かってこない。
……。
彼女、どうなった?
そんな事が気になった。
もちろん、誰がどう考えたって、そんな事を気にしている場合ではない。
何しろ、自分の命を狙ってきた相手である。
しかし、それでも。
……。
彼女、どうなった?
そんな事が気になった。
少女の居るほうを、振り返る。
いろいろな物で山になっていて、少女の姿は目視できない。
そして、やはり動きは無かった。
何かが、当たりどころ悪い箇所に、当たった?
もしそうなら申し訳無くもラッキーではあるが、油断はしないほうがいい。
恐る恐る、僕はその山になった品々をどけていった。
まあ当然ながら、その行為こそが油断丸出しである。
そんなものには構わずに、ドアを開けて逃げ出して、誰かに助けを求めるのが正解。
平常時なら誰もが当たり前に出せる筈のこの解答へ、その時の僕はまったくたどり着く事ができなかった。
一番大きな物は、コタツ台。
それをどけると、少女の姿を目にする事はできる。
ただ……。
その姿は、おかしい。
何が異質か?
足が見える。
それは正常。
腕も見える。
それも正常。
体。
ちゃんと服着てる。
大人しいとはとても云えない、胸のふくらみも確認できる。
顔。
何となく薄ら目を開いてこちらを見てるけど、ちゃんと美少女してる。
ええと、では?
……ギュッ。
それに気付く前に、僕は両手両足を拘束されていた。
何に?
腕は、動いていない。
足で拘束できるのかどうかはよく解らないけれど、それも動いていない。
じゃあ……ムネか? ムネなのか?
ムネで拘束するとは器用な真似を、というアホな考えをどうにか抑えてよく観察すれば、僕の手足を拘束する金色の糸状のそれは、彼女の頭から伸びていた。
……髪ですか!
ちょっとちょっと!
そういうのはフィクションの中だけにしといてください本当に!
髪って筋肉とか入ってないでしょ!
何で動くの!
っつーか長さも変わってるでしょ!
こんなの絶対おかしいよ!
しかし現実として僕は拘束されていて、もがいても打ち解く事はできない。
それでもひたすら暴れてみたが、結局どうにもできず、やがて疲れて休止してしまう。
そんな僕へ、彼女は死刑宣告をした。
「これで、結果は固定されました。あなたは私に、殺されます」
「う……」
殺、される……。




