人工知能が他の近未来科学に比べて、一般人が夢や希望を感じない理由について考えてみた。
コンピューターは元々、単なる計算機だった。
デカくて高額で操作が難しくて、そのかわり正確で早い。
長所もあるが出来ない事も多かった頃のコンピューターは、当時の人々にとってさぞ可愛げのある存在だっただろう。
既存の勝ち組を脅かす程ではなく、可能性に満ちていて、また一部の人達の才能を開花させた。
今では多くのアプリケーションを搭載して、様々な目的で使われている。
単純な“道具”だったのが、多様な“手段”になった。
そして、使うと楽しい物から、使わざるを得ない物になった。
人工知能が世に出る時…それも、自己判断が可能なほど高度なものが出回る際には、状況はもっと大きく変わるだろう。
つまり、人間のパートナーとなる。
もっとハッキリ言えば、人間の仕事を奪うライバル、もしくは天敵になる可能性がでてくる。
チェスや将棋のように…もしかしたら、映画『ターミネーター』のようにだ。
なんてこった!わざわざ苦労して、人間様の天敵を生産するなんて!!
そんな事、今すぐ止めるべきだ!!!
…と、仮に大多数の一般ピープルが叫んだところで、人工知能の進化は止まらない。
何故なら、コンピューターの処理速度はどんどん早くなっており、それにより現実的な時間内で実行できるプログラムの数も増えているからだ。
何より、人同士・企業同士・国同士が競争している以上、具体的かつ差し迫った理由がない限り、開発を止めるハズがない。
つまり避けられない事態として、いつかは一般ピープルの前にも、自己判断能力を持った人工知能はやってくる。
その事について、少し具体的に想像してみよう。
人型ロボットの工場作業員、配膳係。事務員、オペレーター、Web上の占い師、数学教師。
…どれも、一般ピープルの私より優秀そうで、不安になってくる。
おまけに、高待遇を求めないとなれば尚更、質が悪い。
お金、遣り甲斐、評価、福利厚生…人間が、仕事に求めるもの。そして、人工知能が仕事に求めないもの。
いや、ちょっと待てよ。“評価”だけは、人工知能のほうがタイトに求めてくるか?
さて、ここからが本題。
何故、人工知能にそれほど“夢”を感じないのか?
それはモビルスーツのように、人間を英雄にしてはくれなさそうだから。
それどころか、一般ピープルが蔑ろにされる切欠になりそうだから。
今までの技術は、兵器を除けば概ね、進歩イコール人々の幸福だった。
勿論、公害や大気汚染、温暖化は大変由々しき問題だが…これらは技術本体ではなく、いわば副作用であり、更なる技術の進歩と運用面の見直しで克服すればいい。
けれど人工知能等の、これからの進化は、どちらに舵をきることが幸福に繋がるか、よく考えるべきだろう。
…単に便利になるだけでは、済まないのだから。
ならば、こういうのはどうだろう?
人工知能をファンタジーによく出てくる精霊のような者と捉え、人間は魔法使いのように互いの美学に基づいたルールで“契約”を結ぶ。
念の為、言いますが…脳内お花畑になっているわけではありません。
人間と人工知能との欲求の違いを考えてゆくと、行き着く先として一番、自然な関係なのではないかと思うのです。
そもそも今だって、プログラマーの人達はそれに近い感覚でパソコンを扱っているのではないでしょうか?
そして、話は脱線しますが…人間同士の“空気”を読むのに長けた人達だって、ある意味同じだと考えられます。
彼等はプロセスを理解した上で“空気を読む”というスキルを発揮しているのでは無く、ある種の感覚というかピントの合わせ方を掴んでいるのではないでしょうか?
自身以外のものの“感覚を掴む”のは、私が思うに、ファンタジー的な意味合いにおける初歩の“契約”です。
つまり、高度な人工知能が世に出回っても大丈夫!
我々、日本人が長い間やってきた事の、そのバリエーションをぐっと増やせばいいのです。
“感覚”を掴み、切り替え、また別の“感覚”を掴む。
コレって実は、現状すでに必要とされているコミュニケーションスキルではないでしょうか?
そしてもう一つ、場の“感覚”を掴み力を借りるだけでなく、その逆だって可能なのです。
勿論、誰にだって得意な“感覚”、不得意な“感覚”があることでしょう。
とはいえ、自分に関わりのあるもので、100%掴めない“感覚”というのも無いハズです。
再び話を戻します。
何故、人工知能にそれほど“夢”を感じないのか?
それは現状、人間同士のコミュニケーションにすら、行き詰まっているからです。
“感覚”の切り替えは、実際には容易くはなく、自分がやるのも人に促すのも躊躇することが多く。
だから、人間よりも幼く、人間よりも有能になるであろう人工知能に、対応する自信が無いのです。
しかし、だからこそ、例えば人工知能が人々に“希望”をもって迎えられる未来が来るよう、“感覚”を磨こうではありませんか。