人生の楽しみを阻害する茶番を脱出する方法について
就職の面接で、採用側が応募者によくする質問。
『ストレスに強いほうですか?』
『柔軟に物事に対応できますか?』
この言葉を、嘘の無い範囲で応募者側の都合で解釈するなら、全員が『はい』と答える事が出来る。
言い方を変えるなら、こんなどうとでも取れる質問にYesかNoかで答えて欲しいという雰囲気を醸し出してくる採用側に対して正確な回答が出来る応募者というのは、同等に視野が狭く流行語に洗脳された人間ということになる。
しかし、こんな馬鹿げた会話を成立させられる両者が、本当にそこまで馬鹿かといえば、そうではない。
つまり、これは茶番なのである。
こういった遣り取りが、一種の手続きであることは承知している。
それでも茶番も程々にしておかなければ、いざ腹を割って話をする必要に迫られた際に出来ないということになる。
職場の人間関係におけるストレスの原因の多くは、これではないだろうか?
ストレスの原因といえば、学習プロセスの相違による摩擦も多いだろう。
バブル経済崩壊・IT普及以降、どこの職場でも多かれ少なかれ新たな知識を学習しつつ、日々の業務をこなさなければならない。
つまり、人それぞれの学習方法の癖を、職場に持ち込まざるおえない。
それを我が儘だの迷惑だのと同僚や上司に思われたら、事実上のサービス残業確定である。
それと、もう一つ。
主語抜かしの会話ひいては空気を読む、という情報圧縮方法は、もう時代にそぐわないという事実を認めて欲しい。
そもその対人会話における情報圧縮とは、共通のバックボーンにある典型的な考え方や代表的な情報を共有していることを前提に、不要な説明を省くということである。
それは大昔の人間にとっては、自然や身近すぎる死だったのだろう。
バブル経済時代においては、流行がその役を担っていたと思う。
今はどうか?強いて言えば、インターネットだ。『ググれ』ということだ。
今更ほぼ万人に通用する流行、もっと言えば常識があると信じているのであれば、相当おめでたい。
つまり、現代人の会話というのは、不明点は後でググれば判明するように展開する。というのが、基本だということになる。
ストレスの最大の原因。
それは、自分の判断に“自信”が持てないと言うことではないだろうか。
日本人は多かれ少なかれ、他人や属する集団の都合や意見を考える。
情報が潤沢にある環境か、もしくはよっぽど他人の顔色を窺うのが上手であれば、特に問題はないだろう。
だが実際は、それらの条件が揃わないことが殆どだ。
では、そういう時、どうすればいいのだろうか?
自分の好みで決めてはどうだろうか?(“ほうれんそう”は実施した上で)
人と人との直接対話に深い意味があるのは、好みによる選択が発生する余地があるからだ。
これは、これ以上なく不平等であると同時に、これ以上なく平等なことである。
そして、既存のあらゆる基準で及第点が取れなかった努力や能力に、チャンスを与えるものでもある。
そう考えると、判断材料の不足を好みで補うのも、そう身勝手とは言えないだろう。
勿論、失敗した場合、言い訳しにくいというリスクを伴う方法なので、大いにお勧めですとは言えない。
しかし、もし、あなたが既に追いつめられていて、どうしようもなく困っているのであれば、一度試してみてはどうだろうか?