3.夜に歩いちゃ駄目な|理由《ワケ》
世界がぐらぐらと歪んで見える。転んだときに打ったのか肋骨の右辺りが痛む。
(あのとき、足、捕まれて・・・・・・俺どうなった?)
美織は気を失う前のことを思い出し、ハッとした。
とっさに今の状況を確認しようと首を動かす。
体にはやけにボサボサなロープが巻き付いていて、腕と共に拘束されていた。口はなぜか塞がれていない。
周囲には左右にコンクリートの壁が広がる。自分は建物の間に押し込まれているのが分かる。
どうして足が浮いているのかと上を向くと、ロープが上に伸びており、吊されていることが分かった。
(これは、事件に巻き込まれてしまった……のか?)
不可解な現状に疑問が浮かぶが、
拘束されている以上何らかの事件が起きているのだろう。幸い近くに犯人は見えないが、来るまで時間の問題だろう。もしかしたらすでに近くで待機しているかもしれない。急な事態に額から汗がこぼれる。
(とりあえず何か、ロープを切れるモノ・・・・・・)
試しに周囲を見渡してみる。何も置かれていない。ましてや腕が拘束されている以上、手を伸ばすこともままならない。
両の手は自由だったので、届く範囲で衣服を漁る。ショルダーバッグはロープの中に入り込んでおり、開けることができなかった。変わりにズボンのポケットに鍵を見つけた。
(これでロープは切れるだろうか?)
鋭さが足りない。見るからにロープが切れないことは分かっていたがロープに鍵を当てて引いてみる。白い跡が残るだけだった。
隙間に入れてロープを緩められないかと試してみる。鍵を回すように回転させてみるが、締め付けが強くロープが緩むこともなかった。これもだめだ。
絶体絶命だ。
まだ何かできることはないかと、しばらく思考を巡らしてみるが考えは浮かばない。
これからどうなってしまうのか、美織は自分の軽率な行動に後悔した。少し泣きそうになり、目の縁に涙が滲む。
まだ犯人は来ない。近くにはいないのだろうか。
何もできないことに絶望し始めて、ついには心の中で助けを求め始める。
祈るように体の下で両手を結ぶ。
(忠告破ったこと謝るから、助けてぇ叔父さん)
シュルシュル
(あれ?)
なぜか、ロープが緩んだ感覚がした。
いや、勘違いではない。いつの間にか両足は地面に着いている。
体を揺すってみる。くたくたとロープが地面に落ちた。
祈れば解けるそういうギミックなのか?と勘違いしそうになる。いや、そうではないだろう。しかしこれで解放された。
美織は開けた方へ駆け出す。短絡的であるが、迷っている暇はない。あと少しで広間に出れる。焦りと安心感が増強し、走る足に力が籠もった。
その時、頭上に何か大きなシルエットがあることに気づく。それは浮かぶ1つの塊に見えた。例えるならば小型犬くらいのサイズ。しかし何でこんなところにそんなモノがあるのか。疑問に思いもう一度目をこらす。
--違う。これは、蜘蛛だ。
頭上で待ち構えていたモノは茶色い大きな蜘蛛だった。
不思議なモノを目前にすると人間止まってしまうようで、美織の注意は蜘蛛に向かっていた。
「ギュアアアアッ!!」
不意に視界が暗くなる。
叫び声を上げた蜘蛛がこちらに飛び乗ってきたのだ。
「キャアアアアッ!!」
思わず女子のような声が出た。押し倒され、地面に倒れる。蜘蛛とはいえアマゾンとかで見るような大きさだ。日本で見かける通常の蜘蛛より何倍もある。
倒れた体の上から重さが乗りかかってくる。すかさず追い払おうと手ではたいたが、蜘蛛の足が衣服に引っかかり離れない。その動作に蜘蛛は怒ったのか牙を剥き、シャーッと威嚇している。そして美織の腕に噛みついた。
「わああああ!」
カミキリムシでもあの威力、噛まれようものならひとたまりもない。腕が壊れる。噛まれた瞬間そう思ったが、幸い蜘蛛が噛みついたのは服のみで、肉体の損傷は避けることができた。しかしこのままでは確実に噛みつかれる。悲惨な光景を想像し、美織の焦りは強くなった。必死に抵抗する美織に対して蜘蛛も怯まず吠えてくる。
その瞬間を狙って美織は腕を大きく振った。
蜘蛛は飛ばされ、美織の体から剥がれる。美織はできた隙を見計らってすかさず起き上がり、蜘蛛と距離を取った。
(あ――これ、どうやって逃げよう。)
離れたはよいが、縛られていた位置に戻っているとこに気づく。背後は行き止まりだ。考えているうちに蜘蛛が飛びかかろうと体勢を取り始めた。
すかさず口を開けて襲いかかってくる。
(これは逃げ切れない)
(父さん、母さん、本当にごめん!親孝行できなかった!)
美織は最後の言葉を脳裏で言い放ち、衝撃に備えて目をを瞑る。
――もうだめだ。
そして次の瞬間美織の身体には肉を引き裂くような痛みが--
そんなもの伝わってはこなかった。
予測していた痛みが来ないことに「あれ?」と間の抜けた声が出た。
(構えるの早かったかな)
何が起こったのか、目を開けてみる。美織は、目の前の光景に目を丸くした。
犬が蜘蛛に噛み付いている?
「ギャギャッ!」
「グルルル」
美織は目の前に広がる異様な光景に目が点になる。よくはわからないが助かった。これで逃げられる。と思ったが、二匹が戦っているのは出口の方だ。逃げられない。美織は2匹の戦いを呆然と観察することにした。
暗くて分からなかったが犬は少し小ぶりな中型犬のようだ。茶色い全身に、黒で縁取られたような目元。尻尾の先など所々黒い部分がある。個性的な模様だった。
この島特有の種類だろうか。
あまり見たことない姿をしている。
蜘蛛が糸を吐く。犬はそれをくるりと避け、蜘蛛の後ろ手に回った。そのまま蜘蛛の身体に後ろ足で蹴りを入れる。対面に戻ると蜘蛛がかみついてこようとした。
狸は身体の向きを少し変え、蜘蛛の牙をさける。隙を見せた途端に足に噛み付いた。
戦いに慣れているのか、身のこなしが軽やかだ。
「何してんだ!早く逃げろよ!」
突然二匹の方から声がした。男の声だが、少し幼いような。中学生くらいの人物を想起させる。美織は咄嗟の声かけに辺りを見回すが誰も居ない。
「ギャウッ」
勝敗がついた。犬が蜘蛛を怯ませたのだ。
勝負の結果に美織は安堵する。すると犬がこちらに向かってくるではないか。その動作に気づき美織は警戒するが、犬からの敵意は無さそうだ。
「犬!助けてくれたのか!」
「ありがとう」
精一杯の感謝と共に犬をなでようとした。そのとき。
「俺!犬じゃないんだけど!」
先ほどと同じ声がした。
(どこかに機械がついてて、人間が遠くから喋って居るのだろうか)
犬の首元を触ってみる。特に何もないようだ。狸がペシッと美織の手を払い除ける。最近の犬は器用だなぁと感心した。
「俺狸だよ!」
また同じ声だ。しかし、今度は確実に分かる。犬の口が開いてから言葉が出たのだ。そう、喋っているのはこの犬自身だ。
「い、犬!犬が喋ったあああ!」
「俺狸だよおおおお!」
通常ではあり得ないことが起きている。
間髪経たずに起きる出来事に気が動転しそうになった。
(何で犬、いや、狸が喋って・・・)
妖怪が居るというのは本当のことなのか。不意に叔父の言葉を思い出す。あり得ないことが目の前で起こっている、存在している。自分は幻覚でも観ているのかと不安になったが、服は破れているし、目の前の生き物を触る感覚もある。美織は唖然としていると狸がペちぺちと頬を軽く叩いてきた。
「大丈夫かお前?すごいボーッとしてるぞ」
「あ!蜘蛛に噛まれてないか!痛いところあるとか!」
「おーい!」
狸が心配してくれる。とても優しい。
目元をよく見ると、まん丸くて愛らしいし、ふわふわした体毛は先ほどの恐怖を蹴散らしてくれた。このまま家で飼っちゃおうか。
不可解な出来事の連続に思考が追いつかないでいたが先ほどまでの恐怖は薄れている。悠長なことを考えるくらいには落ち着いたようだ。
そうこうしているうちに奥で蜘蛛がピクピクと動くのが見えた。
--そうだ、逃げないと。
先ほどまで危機的状況だったのだ。狸がせっかく助けてくれたこの状況。無駄にするわけには行かない。
「狸、うしろ!蜘蛛が動いてる」
狸がハッとして後ろを見る。
「あれ!やっぱり俺の牙じゃ核に届かないのか・・・」
核?何か弱点でもあるのだろうか。いずれにせよ武器も何もない今の状況では、戦うことはできない。先ほどと変わって味方が増えたのは好ましいが、狸を観察すると所々生傷が見える。こんな可愛い生き物をずっと戦わせる事はできないし。なにより近くで、誰かが死ぬなんて事あっちゃ駄目だ。一緒に逃げたい。
「とりあえず開けたとこに逃げよう」
「あっ!っちょ!」
臨戦態勢に入っている狸を横からすくい上げ、脇に抱える。そのまままっすぐ走りだす。蜘蛛は体制を整え始めていたが、気にしていられない。蜘蛛の背中を踏みつけて外へ出た。
--やっと出れた。
狭い道を抜けた先に、少しひらけた場所に出る。
どうやら公園に繋がっていたようだ。
鉄棒や滑り台が設置されていたが、規模は小さい。
(取り敢えずこの場から離れなくては)
美織は狸抱えて建物から距離を取る。そのまま道なりに逃げることにした。
拘束されてからどのくらい時間が経ったのか。さほど経過していないはずだが、非日常的な出来事の連続でとても長く感じる。
濃い1日だ。
狸の方に目をやると、先ほどのの戦いで消耗していたのかぐったりしている。早く帰って休ませないと。
とはいえ道がわからない
「ハッ狸、俺引っ越してきたばっかりでこの辺り全然分からないんだ」
「道教えてくれないか」
「そうなのか。どおりで何の灯りも持たずに」
「命知らずだなぁ」
狸が少しあきれたように言う。
手元に提灯が無いことに気づく。どこかに落としたのか。光なら何でもいい事を思い出す。幸いバッグの中にスマホが入ってる。ライトの光源を最大にして使おう。
「どこ行きたい」
「家に帰りたい。おじさんが心配してるし」
「あと、狸じゃない」
「へ」
「名前、瑞樹!」
「あ、ごめん。……俺、美織!」
「美織住所分かるか?」
双方自己紹介を終え、自宅への帰路を詮索する。
うろ覚えながらに、叔父から教えられていた住所を思い出す。
「東4区三丁目だったはず」
「今居るのは二丁目だ。三丁目ならすぐそこだな。」
「まずはこの道まっすぐ行って右に回ろう」
「三丁目は反対側だけど安全のために遠回りになるけどさ」
「よかった~帰れる~」
事の終着点が見え、美織は感嘆の息を吐く。とはいえ家に帰るまでまだ道程があるのだ。油断はできない。美織は携帯を取り出して明かりをつけた。バッテリーの量が気になるが、家は近いとのことだ。何とか持つだろう。
「もうちょっと走るけど大丈夫?」
「抱えられてるなら問題ないぜ」
瑞樹はそこまで疲れていないようだ。
美織は瑞樹を抱えたまま足早に駆けていった。
◆
蜘蛛は路地を出て公園に出る。踏まれた部位は陥没していて、そこからシューッと黒いモヤが漏れている。
「ふー…遅くなった早く帰ろう」
つなぎ姿のライトを所持した男が目にはいる。仕事を終え急いで帰宅している途中のようだ。ちょうどこちらに向かってくる。蜘蛛は狙いを定めて捕獲の態勢にはいった。先ほどの戦闘で体力を消耗しているため、背後からの奇襲はできない。光を避けてうまくいけば簡単につかまえられそうだ。
ザッザッザッ
あとちょっと
ザッザ
もうちょっと
ザッ
あと一歩
――蜘蛛が男に飛びかかった。
のも、つかの間。横から細い刃物が蜘蛛めがけて跳んでいく。形状からしてクナイだ。
少しの音を立ててクナイは蜘蛛を貫通した。途端に蜘蛛は形を失い、サラサラと黒いモヤになる。モヤは空に散っていき、その場にはクナイが音を立てて落ちるだけであった。
どこから現れたのか青年がクナイを拾って、懐にいれる。
男がそれに気づき青年に声をかけた。
「あれ、君何してるの?」
「すっかり夜だし危ないから早く帰るんだよ」
「あ、はい」
先ほどまで襲われそうだったとはつい知らず、男が声をかける。目の前には黒い髪の青年が立っていた。あどけなさが残るが、瞳は鋭い。
男はそう伝えると足早に立ち去っていった。
「お兄ちゃ〜ん!」
そこへ少女が駆け寄ってくる。
「見つけた?」
「ちゃんと倒したよ」
「久々に大きかった、このくらい」
「えー!大分溜まってたんだね!」
青年が手で大きさを表現する。少女はそれを見てニコニコと笑ってる。
「この地区の気脈、安定してないのかな」
「今度みんなに伝えないとね」
「何かあったら対応できる人いるし大丈夫だと思うけど」
「目標はもう達成したし、お家帰ろっか」
「ん」
二人はその場をきり上げ、近くに止まっていた車に乗り込んだ。




