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【第1章】平凡な少年と運命の日

 リムリット村は、帝国の最果てに位置する静かな村だった。広大な草原と深い森に囲まれ、遠くには険しい山脈がそびえ立つ。馬車が通れる程度の道が一本走っているものの、村を訪れる者は少なく、帝国の支配の影響もほとんど及んでいない。

 村の中心には鍛冶場があり、朝から晩まで槌の音が響く。金属を打ち延ばす音は、この村の日常を象徴していた。

「悠月! そこの鉄材を持ってきてくれ!」

 炎の揺らめく鍛冶場の奥から、師匠の荒々しい声が響いた。

「はい、今行きます!」

 青柳悠月は鍛冶屋の見習いだった。十四歳の彼は、鍛冶場の片隅で鉄を運んだり、簡単な作業を手伝ったりしていた。背丈は同年代の少年たちと比べると少し低めで、髪は短く切りそろえられている。鍛冶場の熱気に晒されるため、額にはいつも汗が滲んでいた。

 悠月は鉄材を両手で抱え、炉の前にいる師匠のもとへと急ぐ。鍛冶屋の主人であるバルガスは、屈強な体をした壮年の男で、黒ずんだエプロンを身に着け、分厚い腕で槌を振るっていた。

「よし、そこに置け」

 悠月は鉄材を炉の脇に置くと、熱を帯びた鉄が火の中でゆらめくのを見つめた。炎の色が黄色から白へと変わり、やがて赤熱する。それを見極めるのが鍛冶の技術のひとつだった。

「お前もそろそろ槌を持たせてやる頃だが……」

 バルガスは腕を組み、悠月を見下ろした。

「まだその手じゃ無理だな。鍛え方が足りん」

「……頑張ります」

 悠月は口を引き結び、こぶしを握った。

 鍛冶屋の見習いとして暮らす日々は単調だったが、悠月はこの仕事が嫌いではなかった。熱せられた金属の匂い、槌の振動、炎が生み出す美しい輝き——それらは、彼の小さな世界のすべてだった。

 しかし、その平凡な日常は、突然訪れた帝国軍によって打ち砕かれることになる。

 ***

 昼を過ぎた頃、村の入り口に異様な緊張感が走った。

「帝国軍の調査隊が来たぞ!」

 村の広場にいた人々が一斉に騒ぎ出した。悠月も鍛冶場の外に出て、遠くを見つめた。

 村の入り口に馬を連れた数人の兵士がいた。その中央には、黒い軍服を纏った男が立っている。精悍な顔つきの軍人で、腰には鋭い剣を下げていた。

「村の者たちよ!」

 軍人は堂々とした態度で名乗った。

「我々は帝国直属の調査隊である。最近、この地に古文書が発見されたとの情報を得た。その所在を報告せよ」

 静寂が広場を包んだ。

「古文書……?」

 悠月は首を傾げた。

 鍛冶場の片隅にある倉庫に、祖父の遺品として古い書物が残されていたのを思い出した。何が書かれているのかは分からないが、もしかしたら——。

 だが、悠月が何かを考える前に、バルガスが肩を掴んできた。

「悠月、今すぐ倉庫へ行って、その本を隠せ」

 低い声だったが、ただならぬ緊張が滲んでいた。

「でも——」

「いいから行け!」

 悠月は息を呑み、鍛冶場の裏手へと駆け出した。

 背後では、帝国の軍人が村人たちを睨みつけていた。

「神託の書に関する情報を隠す者は、国家に対する反逆と見なす。協力しない場合は、村を封鎖する」

 悠月は、胸の奥がざわめくのを感じた。

 彼らは、本気だ——。




 悠月は鍛冶場の裏にある倉庫へ駆け込んだ。薄暗い室内には、工具や使い古された金属片が無造作に積まれている。その奥にある木箱を開けると、埃まみれの古い書物が現れた。

 分厚い表紙は黒ずみ、文字の刻まれた背表紙はかすれている。しかし、悠月はこの本がただの古文書ではないと直感した。

「これが……帝国が探しているものなのか?」

 手を伸ばした瞬間、背後で足音がした。

「お前、何をしている?」

 振り向くと、帝国兵が倉庫の入り口に立っていた。鋭い眼光で悠月を見下ろし、腰の剣に手をかける。

「そこにあるのは——古文書か?」

 悠月は心臓が跳ね上がるのを感じた。

「違います……ただの古い本です」

 とっさに背を向け、本を隠そうとする。しかし、兵士は悠月の腕を掴み、強引に引き剥がした。

「見せろ」

 悠月が抵抗する間もなく、兵士は木箱から本を取り出し、表紙をまじまじと眺める。そして、ふっと笑った。

「ふむ……確かに、これは古そうだが——」

 彼は本を開き、数ページをめくった。しかし、中の文字は意味不明な符号のようなもので、すぐに苛立った表情を浮かべた。

「……読めん。だが、持ち帰る価値はあるな」

「待って! それは——」

 悠月が止めようとするが、兵士は本を脇に抱えたまま悠月の肩を押し、倉庫の外へと引きずり出した。

「隊長、見つかりました」

 倉庫の前には、先ほどの黒い軍服の男が立っていた。

「よくやった」

 隊長は本を受け取り、興味深そうに表紙をなぞった。

「これは……思ったよりも重要なものかもしれん」

 悠月は歯を食いしばった。

「それは俺の家のものだ!勝手に持っていくな!」

 隊長は悠月をじっと見つめた後、くすりと笑った。

「……なるほど、お前はこの本の持ち主か」

 悠月は睨みつけたが、隊長は怯むことなく続けた。

「ならば、お前にも聞いておこう。この本の意味を知っているか?」

「……知らない」

「そうか。しかし、知っていようがいまいが、お前はもう関係者だ」

 隊長は悠月に一歩近づき、低い声で言った。

「帝国に逆らう者は、生かしてはおけない」

 悠月の体がこわばる。周囲の村人たちも、誰一人として声を上げることができない。

「待て!」

 その時、バルガスが悠月の前に立ちふさがった。

「こいつはただの鍛冶屋の見習いだ。何も知らん。連れて行く必要はないだろう」

 隊長はバルガスを見下ろし、無言で睨みつけた後、部下に命じた。

「この書物は帝国に持ち帰る。だが、こいつは——」

 悠月は息を呑んだ。

 ここで終わるわけにはいかない——!




 悠月の思考は、焼ける鉄のように熱く回転していた。

  帝国軍が古文書を持ち去る——それだけでは済まない。彼らの様子からして、単に本を回収するだけではなく、「関係者」を徹底的に排除するつもりなのは明らかだった。

「お前はただの鍛冶屋見習いかもしれんが……この村で古文書が見つかった以上、帝国に報告しなければならん」

 隊長が悠月を冷たく見下ろした。

「お前には帝都に同行してもらう。大人しくしろ」

 悠月の背筋に冷たい汗が流れた。帝都に連れて行かれたら、もう二度とこの村には戻れないかもしれない。

「そんなこと、認められるか!」

 バルガスが前に出て、悠月を庇うように立ちはだかった。彼の腕は鍛冶屋の仕事で鍛え抜かれており、兵士の鎧に負けないほどの迫力があった。しかし、相手は訓練された軍人だ。

「貴様……帝国に楯突くのか?」

 隊長がバルガスを睨みつけ、周囲の兵士が剣に手をかけた。

 悠月は心臓が跳ね上がるのを感じた。

「師匠……やめてください!」

「悠月、黙っていろ」

 バルガスの背中は大きく、悠月を守ろうとしているのが伝わった。

 しかし、次の瞬間——

「……バルガス!」

 村人たちの悲鳴が響いた。

 隊長の命令もなく、兵士の一人が剣を抜き、バルガスの腹部に突き刺したのだ。

 悠月は目を見開いた。

「——っ!!」

 バルガスの体がぐらりと揺れ、彼の大きな手が傷口を押さえる。しかし、鮮やかな赤が指の間からこぼれた。

「師匠!!!」

 悠月は駆け寄ろうとしたが、兵士に腕を掴まれ、地面に押さえつけられた。

「バルガス……お前のような無礼者には罰が必要だったようだな」

 隊長は冷たく言い放つと、部下に手を振った。

「村の者たちに知らせておけ。帝国に逆らう者には、これが待っていると」

 悠月の目には、バルガスが地面に崩れ落ちる様子が映っていた。

「師匠……そんな……」

 体が震えた。怒りと恐怖と無力感が入り混じり、呼吸が浅くなる。

「こいつも連れて行け」

 隊長が悠月に向かって顎をしゃくった。

「離せ!!」

 悠月は必死に抵抗したが、大人の兵士に敵うわけがない。

「やめろ……悠月を……連れて行くな……」

 地面に倒れながら、バルガスが血まみれの手を伸ばしてきた。

「師匠!!!」

 悠月は手を伸ばしたが、その瞬間、兵士の拳が脇腹にめり込んだ。

「ぐっ……!」

 視界がぐらりと揺れ、意識が遠のく——

「くそっ……どこかに逃げないと……!」

 その最後の思考を残し、悠月の意識は闇に沈んでいった。

 ***

 ——どれくらい時間が経ったのか。

 悠月が目を覚ましたとき、辺りは静まり返っていた。

 彼は鍛冶場の裏手に転がっていた。口の中には鉄の味が広がり、全身が痛む。

「……?」

 兵士たちの姿はなかった。

 代わりに、目の前には一人の村人が立っていた。

「悠月……!」

 それは、村の長老だった。

「急げ!帝国軍が戻る前に、村を出るんだ!」

 悠月は自分の体を支えながら、長老の言葉の意味を理解しようとした。

「師匠は……?」

 長老は苦い表情を浮かべ、首を横に振った。

 悠月の喉が詰まった。

 ——バルガスはもういない。

「……俺は……どうすれば……」

「今すぐ村を出るんだ。お前はもう帝国に狙われている。ここにいれば、必ずまた来る」

 長老は、悠月の手に小さな袋を押し付けた。

「食料と少しの金だ。お前の祖父が遺した本のこと……気になるなら、逃げ延びて答えを探せ」

 悠月の心臓が早鐘のように打ち始めた。

 バルガスが命をかけて守ろうとしたもの。

 帝国軍が探していた「神託の書」。

 このまま死を待つくらいなら——俺は、生きて答えを見つける。

「……分かりました」

 悠月は長老の手を握りしめ、村の外へと駆け出した。

 暗い森が、彼を待っていた——。



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