3.ともすれば独善同士
「それはつまり……」
「はい」
ジャンヌの視線は元の人相もあって、もはや睨み付けると形容してもいい。
それでもハッターは深く頷いた。
「嘘でもいいから、マシューには『カミーユは復讐を望んでいない』と」
それが決して悪意や利己による発言でないことはジャンヌにも分かる。
「もしあの子が復讐を望んでいたら悪いが。それでも私は弟を、彼の未来を守らなければならない」
彼女は返事をしなかったが、それは賛同できないのではなく静かな肯定である。
そもそもハッターの方だって、理解を求めて弁解しているのではない。
自身の決断を反芻するために。自身の判断に覚悟を持つために。
今一度形にしているだけだろう。
「カミーユは死んでいて、マシューは生きているから」
なおもジャンヌが相槌すらしないでいると、
「ジャンヌ、どうするんだい」
タシュが彼女の背後に寄ってきて、耳元で話し掛ける。
別に内緒話というわけでもないだろう。
「まぁ、妥当でしょう」
彼女はサラッと普通の会話のボリュームで言ってのける。
「得てして死んだ人間は強く、生きている人間は弱い。どちらを救うべきか」
「そうか」
「何より、依頼人がそうおっしゃっているのですから。我々はオーダーを受け、こなし、ご満足いただくまでです」
タシュも別段反対意見があって聞いているのではない。
ただ、ああは言うがポリシーの強いジャンヌを気遣ったにすぎない。
そのまま黙って小さく頷くと、彼女の耳元から離れる。
「申し訳ありません、メッセンジャーさん。せっかく記憶を読んでいただき、大変なご負担まで掛けてしまったのに。結局それを無に帰す話だ」
「お気になさらないでください。あなた方の人生なのです。私はそれを左右するために心を読むのではない。『無に帰す』という判断への道になっただけで、意味があるのです」
「ありがとうございます。感謝の言葉もない」
ジャンヌは優しく微笑み掛ける。
ハッターは少し気が軽くなった動きでメガネの位置を直す。
憑きものが落ちたような雰囲気のなか、その場はジャンヌの疲労を考えて解散。
マシューの説得に掛かるのは、彼が家にいる次の日曜日へ持ち越しとなった。
その日曜日、ちょうど昼飯どきとおやつどきのあいだくらい。
一行はキングジョージのダウンタウンにあるアパートの前にいた。
特に何か言うべきこともない普通の建物だが、
「マシューの部屋は4階です」
ハッターに言われて3人は、なんとなくその辺りを見上げる。
そう、3人。
今日は前回もいたタシュに加えて、アーサーも来ている。
なぜなら、今回の相手は復讐を目論み拳銃まで用意したほどの男。
そんな人物に
『あなたの妹はそんなこと望んでいない。愚かなことはやめるんだ!』
と告げるのである。
はっきり言って、癇癪を起こして暴れない保証はない。
そうなると、いかにジャンヌが中性的であろうと結局は普通の女性。
危険である。
そのため、いざというときマシューを取り抑えられるよう男性を増やしたのだ。
自ら志願した彼にタシュは、
「『オーディシャス伯、暴漢に刺される!』なんて朝刊に載っても知らないぞ? むしろ君の実家から文句言われたら迷惑だ」
と遠回しに諭したが、
「私は貴族だからな。メッセンジャーくんを守る騎士にもなってみせよう」
アーサーに話が通じないのはいつものことだった。
一応いつでも呼べる距離にSPを待機させているらしい。
ジャンヌが周囲を見回すと、
さっきから街頭にもたれて新聞を読む黒服が大量発生している。
「1匹見たらなんとやら、って感じですね」
「ん? 何か言ったか?」
「何も言ってませんし、ナニとは言いませんよ」
「ふーん?」
というわけで、一応心強い仲間も用意しつつ、
「では皆さん、行きましょうか」
一行はハッターの先導で、今回の山場へと足を踏み入れていく。
廊下が薄暗いのは気分の問題か。
411号室の材質不明な白いドアもくすんで見える。
ハッターは振り返り、一行と目を合わせるというか、視線を左から右へ流す。
合図も送ったところで、彼は深呼吸をし、
ドアをノックした。
板材の薄そうな音が響く。
ややあってその向こうから、
『兄貴か』
低い声がする。
元からそうだとか機嫌が悪いとかいうよりは
息の成分が多めの、少し掠れてかき消えそうな声。
全体的に喉を動かす気力がなく開き切った印象を受ける。
「そうだ。マシュー、開けてくれ」
逆にハッターが気遣うようにゆっくり答えると
カチャリと音がして、ドアが45度ほど開く。
「約束の時間には少し早い」
現れた顔は、憔悴しているというのが正しいのだろうか。
気力が充実している、という様子でないのは確かだ。
しかし飲まず食わずだとか寝ていないだとか過労気味というよりは
ただただ精神状態のみが表面化しているような。
妙な痩せ尖りとギラつきが同居した人相をしている。
例えるなら、ニュースで見るパトカーに乗せられた容疑者か。
まだ殺してもいないのに。
「細かいことを言うな。恋人を呼んでいるわけでもないだろう」
ハッターの軽口はおそらく、弟の姿を他人に見られて思うところがあるのだろう。
少しでも剣呑な雰囲気を和らげようという苦心が見てとれる。
だが当然ジャンヌたちはまだ口を挟まないし、
マシューは何も答えず、ドアを閉めずに奥へと引っ込んでいく。
リビングは思ったより荒れていない。
というか、事件は12年まえなのである。
それがそろそろ犯人の刑期も終わるということで再燃したのだ。
最近まではまともに生活していたのだろう。
改めてそう感じるほどに、マシューの放つ雰囲気は異様であった。
彼は感情のない目を一行へ向ける。
「で、この人らが兄貴の言ってた」
「あぁ」
感情というより興味がないのか。
今自分が抱いている目標以外に、何も。




