2.殺して殺されて
昼食を先に済ませてから、一行がやってきたのは
キングジョージ郊外、大きな川の土手、掛かる鉄橋の下。
そこにジャンヌと依頼人のハッター、そしてタシュもいる。
「ここが?」
「はい」
ジャンヌが険しい表情を向けると
ハッターはそれらを押し殺したような表情で、ぎこちなく頷く。
「妹が、ターダムに殺された現場です」
「そうですか」
ジャンヌも静かに頷くと、ゆっくり手袋を外す。
それから、地面に手向けられた花へ近寄ったところで一度振り返る。
「カーゼンさん」
「はい」
「私はこれから、妹さんの最期を見ます」
「……」
「彼女の悲劇を掘り起こすということです。人によっては、墓を暴かれるに等しい行為かもしれません。よろしいですね?」
ハッターはジャンヌに
『妹は復讐を望んでいない、という思いを読み取ってほしい』
と依頼した。
しかし残留思念を読んだとして、
普段からそんなことを考えて生きている人間がいるだろうか。
ゆえに、今までの依頼のように遺品やらなんやらが語ることはない。
かといって本人に直接聞けるわけでもない。
幽霊でもいれば話は別だが、それはシャーマンの類いの業である。
となればもう、手段は一つしかない。
まさに今殺されようとしている彼女が、犯人をどう思っているか
その瞬間にしか、答えは存在しないのである。
だから一行はここへ来たのであり、
タシュが付き添っているのもジャンヌのケアのためである。
そんな、事情があっての死者の再上映。
しかし普段彼女が警察とやる、
『犯人逮捕のため』
というような正当な言い訳はない再上映。
ハッターも兄として妹を思えば、身の千切れるような忌避感があるだろう。
それでも、
「かまいません。むしろメッセンジャーさんに負担を掛けてしまって。本当に申し訳ありません」
「いえ、仕事ですから。あなたが気になさることではありません」
ジャンヌが優しく微笑むと、彼もゆっくり大きく頷く。
「どうか、お願いします」
兄として弟の暴走を止めたいのもまた事実。
悲しい過去より今あるものを、未来を守らなければならない。
それを分かっていればこそ、ジャンヌも依頼に向き合うのである。
彼女はそれ以上何も言わず、花のそばにしゃがみ込み、
そっと地面に素手で触れる。
それからしばらくの時間が流れた。
内容が内容である。
ジャンヌが記憶のページをめくるには覚悟が必要だったし、
全てが終わったあと、立ち直るのにも時間がいる。
彼女は地面から手を離したあとも、しばらくはしゃがんだままだった。
誰も急かすことはできず、花に1匹のアリが登って下りたころ。
ようやくジャンヌは立ち上がり、ハッターの方へ振り返る。
「まず何より、お悔やみとご冥福を」
彼女は修道女でもなければポケットに聖書を持ち歩いてもいない。
気の利いたフレーズが出てくるわけではないが、
冬も間近のこの季節、ハンカチで拭き取られる汗の量に
また空気の乾燥したこの季節、順当に枯れてしまった声に
誰も社交辞令だとは思わないだろう。
「それで、妹の、意思は」
しかし今のハッターにそんなあいさつはどうでもいい。
彼は申し訳なさそうに、しかし待たされた分明確に答えを求める。
「それなのですがね」
一方ジャンヌはタシュから水筒を受け取り、先に喉を潤す。
人生で本当は一度までしか経験できないこと。
どれほど喉が干上がったことだろう。
彼女はあごを上げて豪快に中身を呷るが、
そのあとの、白い喉笛の動きは小さい。
動きのわりにたいした量は飲めていないだろう。
嚥下が難しいほど、喉や胸が詰まっているのかもしれない。
しかし、生理現象以外には努めて感情を表出させまいとしているのか。
ジャンヌは淡々とした様子で再度口を開く。
「どうやら妹さんは、薬で眠らされていたようです」
「それはつまり」
彼女の表情はなんとも言いがたかった。
喜んでいいわけはないし、かといって悔しがるのも違う。
ただ眉と口にキュッと力を入れて、『特定の感情を示す表情』に寄るまいとするような。
「はい。何を思うこともなく、苦しまずに、と言えばいいのでしょうか」
「そうですか」
ハッターもまた、微妙な表情をしている。
泣きたいような、安心したような。
本人も見ている側も、むず痒いだとか歯痒いだとかいう感覚にあるだろう。
何せ、被害者の少女に起きたことを考えれば、
それは絶望的悲劇の中で、せめてもの救いであるには違いないのだから。
しかし同時に、
「弟さんを説得するための、『彼女が復讐を望んでいないと証明する』ですが。結論が出せません」
「それは」
ここで曖昧だったジャンヌの表情が、はっきりと険しくなる。
「ある種、本当は望んでいたより厄介なことになるかもしれないのです」
「そうかい? 確定するよりはいいと思うけど」
意外な発言に、余計な口は挟まずにいたタシュが感想を述べる。
が、彼女はきっぱり首を左右へ振る。
「いっそ妹さんが復讐を望んでいるのであれば。それは彼女のためにやったことです。言い方は悪いですが、動機や因果、内面の罪を妹さんのせいにできる」
タシュやハッターの眉も歪む。
本当に言い方が悪すぎたか、続きを先読みして嫌な予感に直面したか。
「ですが、そこが分からないのであれば。彼は『自分自身の慰めのために引き金を引く』その側面から逃れることはできない」
「でも、それはいい、じゃないけど。本人は最初からそのつもりなんだろう?」
「今はそうでも、後年落ち着いたら後悔するかもしれない。逆に『自分のために人を殺す』ことを覚えてしまうかもしれない。
それこそ、ターダムと同じように」
「考えすぎ、とは言えないかもしれないけど」
「いえ、考えすぎだとは思いますよ」
タシュが譲歩した反応を見せるも、ジャンヌ自身がバッサリ切り捨ててしまう。
そのうえで
彼女の瞳は、確かに知っている色をしている。
「ですが、『殺した人』は『殺さない人』には戻れないのですよ。決して」
よもや自身の経験ではなかろうが。
『メッセンジャー』は知っているのだろう。
灰色とでも形容すべき空気が漂う。
それを振り払うように、ジャンヌはブルリと首を振った。
相変わらず馬のように。
「そんなことより問題は、結局弟さんを止める『遺志』は見つけられなかったことです」
「あぁ、そうだね」
「本人がああ言っている以上、どう説得したものか」
あごに手を当てるジャンヌと腕を組むタシュ。
むむむと唸る二人だが、
「……かまいません」
そこに、押し黙っていたハッターが口を開く。
「かまいません。嘘でも」