1.死刑と私刑
秋も中ごろを過ぎまして。
これからは世界が、秋そのものより冬の準備へ姿を変えるころ。
「あぁ、ついにかぁ」
「何がですか」
「死刑執行」
『ケンジントン人材派遣事務所』にて。
タシュが新聞を手に、朝から物騒なことをつぶやく。
「誰のですか」
「あの数年まえ騒ぎになった、連続娼婦殺しの」
「あぁ、あれ」
ジャンヌはあまり興味がないのか、デスクで淡々と紅茶を飲む。
「キングジョージを恐怖のどん底に陥れた大悪党の終焉だ。ちょっとは感慨がないのかい? 君も怖がってたじゃないか。娼婦でもないのに」
「はぁ」
タシュがコメントを求めるので、彼女はメンドくさそうにカップをソーサーへ。
「当事者の関係者でもない私が言えることではないかもしれませんがね」
「うん」
「大抵の悲劇というのは。記録すべき事件であると同時に、忘れるべき出来事でもあるのです」
「ふーん」
その言葉に、しばらくジャンヌを見つめて考えるタシュだが
「よく分からないや」
ややあって新聞に視線を戻した。
「私もです」
ジャンヌもまた、カップを手に取る。
会話が途切れ、事務所に静寂が訪れようとしたそのとき
「おはよう諸君!」
ドアが勢いよく開け放たれ、アーサーが室内へ乗り込んできた。
「うわぁ出た」
「メッセンジャーくん、今日も麗しいね!」
タシュのつぶやきなど無視していつものソファを陣取る伯爵。
しかし今日はまだ腰を下ろさない。
「それでだな! 今朝の新聞を読んだか!」
そのまま右手に持った、棒状に丸められた紙束を振る。
「あぁ」
「『ウィンジャー・ザ・リッパー』の死刑が執行されたそうだぞ!」
「その話題もう終わったんだよね」
「なんだ」
だが、盛り上がらなければ火は弱まる。
タシュに切り捨てられて、アーサーはおとなしくソファに座った。
そんな王国中を少し驚かせるニュースがあったのが、1週間と少しまえ。
紅葉はほとんど地に落ちた季節。
秋雲というにはどんよりした色合いの隙間から、中天の日差しが漏れるころ。
『ケンジントン人材派遣事務所』のソファには、アーサーではない人物が座っていた。
「私、ハッター・カーゼンと申します」
そう名乗った男はアラサーくらいか。
丸メガネに黒髪のオールバック、シワのないスーツ。
低い声も相まって、落ち着いた印象を与えてくる。
「ようこそいらっしゃいました。僕が所長のタシュ・ケンジントンです」
名刺交換をする二人。
軽薄そうな顔ながら、いや、むしろだからこそ芯がないのか。
タシュはこういうとき、意外と相手に合わせてかっちり振る舞える。
社会人なら当たりまえ、と言われればそうなのだが。
「それで、本日のご依頼は」
タシュはソファに腰を下ろしながら、促す視線を相手に向ける。
彼自身は事前に聞いているだろうが、また聞きのジャンヌのための時間である。
「弟のマシューについてです」
ハッターは重たそうに口を開く。
「先日、ニューキャッスルの殺人鬼が死刑になったでしょう?」
「ありましたね」
「その陰で、もうすぐ一人の男が出所します」
「ほう」
「アダムス・ターダム」
彼は静かに、行儀よく椅子に座っている。
しかしその手が、ギュッと強く握られる。
「12年まえ、妹のカミーユを殺した犯人です」
そこだけは感情を隠しきれなかったように。
「お悔やみ申し上げます」
タシュがお決まりの相槌を入れるが、ハッターには聞こえていないらしい。
「弟はヤツを『許せない』と言い、常々『刑務所から出てきたら仇を取る』『殺してやる』『復讐する』と」
基本話を振られるまでは、のんきにデスクで紅茶を飲んでいるジャンヌだが。
内容が内容だけに、今は音を憚り、じっと座っている。
「私はそのたびに、『そんなことは言うな』『バカな真似はやめろ』『カミーユはそんなこと望んでいない』と止めてきました」
ハッターは一度深呼吸を挟む。
落ち着いて話そうとしてくれているのだろう。
確かに泣き出されでもしたら。
そういう客は多いが、困る困らないでいえば困る。
「弟も、少なくとも表面上は納得してくれていた様子でした。ヤツの刑期終了と、切り裂き魔の死刑。この二つのニュースが重なるまでは」
ふと、膝の上でスーツのボトムスを握っていた手がテーブルに置かれる。
体が前へ前へと突っ込むのに、つっかえ棒とするためのような。
「弟はまた荒れました。
『どうして切り裂き魔はちゃんと死刑になったのに、アイツはのうのうと生きて出てくるんだ!』
と。
正直私も同じ思いです! 許せない! 認められない! 納得できない! ターダムを締め殺してやりたい!」
手は今にもテーブルを叩きそうなほど強く握られる。
しかし、少し震えたあと、
「でも、してはいけないのです……! それが人の世のルールだ……!」
理性的に、俯く自身の状態を突っ張って起こす。
「それで何度も言い合いになっていた、つい先日のことです」
それからハッターは居住まいを正すと、タシュを真っ直ぐ見据える。
「私は弟の部屋で、見つけてしまったのです。
机の引き出しに隠された、拳銃を」
「うわ」
タシュは思わず小さく声を漏らし、慌てて口元を手で覆う。
しかし向こうも気にした様子はない。
自身の伝えたいことで精いっぱいになっている。
「当然私はマシューを問い詰めました。アイツはやはり、ターダムが出所したところを襲って殺すつもりでした。私はまた、以前と同じように説得を試みました。すると、弟は言ったのです」
ここで彼はメガネを額へ上げ、俯き右手で目頭を抑える。
涙を堪えるようにも、悩み苦しむようにも見える。
「『カミーユは復讐など望んでいないというが、それは本当か?』
『だったら証拠を出してみろ』
と」
タシュがチラリとジャンヌへ視線を向けると、
彼女はようやく紅茶を口へ運んだ。
自分に話が回ってきた、その理由が読めたらしい。
「ここには『メッセンジャー』という方がいて、故人の生前の思いも拾ってくださるとか」
しかしジャンヌが何を言うまでもなく、ハッター本人が答え合わせをする。
「どうか、妹の思いを読み取り、弟に伝えてやってほしいのです」




