6.『メッセンジャー』は古美術を鑑定する
ピンツ。
ティモシー・ピンツはこの時代から200年以上まえに活躍した、海外の画家である。
そのライティングがパキッと明暗を分ける、他の追随を許さない技法と表現力から
『陽と陰の奇術師』
と呼ばれており、
「しかも今回は鑑定士のお墨付き! 全てピンツ本人作と保証されたものだけが並ぶんだ!」
贋作が非常に多いことでも知られる。
「どうだ! こんな機会、滅多にないぞ! 一緒に行きたくなってきただろう!」
「いえまったく」
「なぜだ。ピンツなんて、1枚だってそうお目に掛かれるものじゃないぞ」
しかしジャンヌはこの態度。歯牙にも掛けない。
いよいよ芸術を愛する心がない非文明人かと思われたが、
「だって、ピンツなんて嫌になるほど見ましたもの」
「なっ……!?」
これにはアーサーも固まってしまう。
「冗談か?」
「正気です」
「ピンチでもパンツでもないんだぞ?」
「当たりまえです」
「贋作ではなく?」
「本人筆の」
「『教科書に載っていた』とかそういうヤツか?」
「子どもじゃあるまいし」
「この私ですら、数えるほどしか見たことがないんだぞ……?」
「知りませんよそんなの」
「おおっ」
アーサーはフラッと体勢を崩し、力尽きるようにソファへ座る。
それから額を抑えると、無駄にか細い声でつぶやく。
「君は、結構、いや、随分とセレブな育ちだったんだな」
「違いますけど」
「じゃあなんだね!」
こうなってくると、アーサーも訳もなくムキになってくる。
「これだけの真作ピンツが一堂に会するのも、君には普通のことだと言うのかね!」
「だってそれ、鑑定したの私ですし」
「えっ」
メンドくさそうにレモンを食べるジャンヌ。
どうやらまともに説明してくれる気はないらしい。
「それだけどね、ジャンヌ」
するとタシュも話を進めてしまう。
彼は両肘をついて手を組み、視線を彼女へ向ける。
「今日の午後、お客さんがピンツの鑑定依頼に来ることになってる」
大体15時ごろ。
「いやぁメッセンジャーさん、ご無沙汰しております!」
毛量は豊かだが、髪も髭も一本残らず牛乳色の老人が姿を現した。
恰幅のよい体を生地の上等なスーツで包んでいる。
「お久しぶりです」
ジャンヌは伸ばされた手に握手で応じる。
彼は満足そうに丸メガネの位置を直した。
するとその後ろから、黒服2名が新聞紙に包まれた大きな板を担ぎ込む。
「それで、早速なのだが」
「あれが」
「うむ」
黒服たちがテキパキ包装を剥がすと、中から現れたのは
「タイトルは『夜景』。ワシはピンツの陰影だと踏んでおる」
夜の暗闇、光る街灯、映し出される人々。
「なるほど、これは見事な」
ジャンヌも感じ入ったように頷いているが、
「なぁ」
「ん?」
「メッセンジャーくんはそんな、確かな鑑定眼でも持っているのか」
蚊帳の外のアーサーは懐疑的。
「あー」
タシュはケラケラ笑う。
「ジャンヌは物体の残留思念が読めるだろ?
だから古美術の『作られたときの記憶』が読める。
作者の顔が分かるんだ」
「なるほどな」
「だからピンツとかティジャムとかさ。贋作が多い作家はよく鑑定依頼が来るんだよ。で、自画像とかを事前に調べておいて顔を照らし合わせる、ってね」
そんな話をしているあいだに。
絵をひっくり返して裏側に触れていたジャンヌは大きく息をつき、
そっと『夜景』から手を離した。
「どうですかな! メッセンジャーさん!」
老人は興奮気味に彼女へ詰め寄る。
対して、あごを上げ首を振る馬のような仕草のあと、ジャンヌが出した答えは
「これは、
残念ながら、ティム・ピンツの絵画ではありませんね」
「いや、これは壮観だな!」
翌日の昼。
ジャンヌとアーサーはある美術館を訪れていた。
周囲にあるのは、どれもこれも光の表現が個性的な絵画。
そう
『ティモシー・ピンツ展』である。
「ここにあるのは全部、君が鑑定したのか」
「全部ではありません。私が見る以前から本物とされているものはノータッチです」
「ほう」
「たとえばあの、ピンツの有名な自画像『45歳 春』とか」
彼女が指差す先には、帽子を被った口髭とソウルパッチの豊かな男の絵。
一応断っておくが。
別にジャンヌはアーサーとのデートを受け入れたわけではない。
ただ運営側から
『協力してくださったのだから、ぜひ一度ご来場願いたい』
と誘われたので来ただけ。
それに彼がついてきただけである。
だが伯爵は楽しそうだし、彼女も無闇に冷や水は掛けない。
「しかし、昨日の『夜景』だったか。これはここには入れないんだな」
「はい。贋作でしたからね」
アーサーが惜しそうにつぶやくと、ジャンヌは自画像を親指で指す。
「あれとは似ても似つかない、若い男が描いていましたよ」
「ほう」
「彼、よく出てくるんです。ピンツの贋作職人か何かだったのかもしれませんね」
「なるほどな」
「本物のピンツなら、あの自画像の男が浮かぶはずですから」
彼は鼻からため息一つ。
「まぁ今さら、そうピンツの真作が出てきはしないか」
「そういうものです」
ジャンヌはピンツの顔を確かめるように自画像へ近付く。
そのまま至近距離で後ろ手を組み、上体を倒して覗き込んでいる。
すると、
「メッセンジャーくん、手袋がだいぶ傷んでいるな」
「え」
「ホックが千切れかかっているぞ」
「あぁ」
アーサーが細かいところに気付く。
何せ彼女の尻を眺めていたのだから。
「新しいのを買ってやろう」
「いえ、結構です。自分で買います」
ジャンヌが上体を上げ、右手のホックを外して確認していると、
「きゃーっ! 広ーい!」
「おっと」
急に興奮した子どもが走ってきて、彼女の脚にぶつかった。
たいした衝撃ではないが、完全に不意打ち。
思わずグラついたジャンヌは、
「あ」
「あ」
いちいち保護ガラスのケースなど用意していられない時代の展覧会。
手袋も吹っ飛び、思わず
『45歳 春』に手をついていた。
大変な事態に思わず硬直するジャンヌ。
逆にアーサーは大慌て。
「メッセンジャーくん! 早く手をどけるんだ! これが汚れたり絵の具が割れたりしたら、一大事だぞ!?」
急いで彼女を絵から引き剥がす。
「君も絵も大丈夫か!」
声を掛ける伯爵だが、
ジャンヌの方は腕を突き出した体勢のまま、呆然と固まっている。
「どうしたメッセンジャーくん! しっかりしろ!」
思いっきり肩を揺すると、
「こ」
「こ?」
彼女はようやく、声を絞り出した。
「この自画像の男、ティム・ピンツじゃない……」
後日、美術界隈に激震が走ったのは言うまでもない。




