2.『メッセンジャー』は手紙を読む
それから1週間としないうち。
今日も夏の熱気と鹿人間像の放つ邪気が混ざり合う『ケンジントン人材派遣事務所』。
ジャンヌは自身のデスクにて、いつものように朝の紅茶を召している。
3万6,522人に聞き取りするより圧倒的な速さでの帰還である。
「それで、どういう手を使ったんだい? ジャンヌ」
タシュは自身のデスクでゆで卵の殻を剥いている。
「簡単です。選挙をしました」
「選挙」
ジャンヌは紅茶を一口啜り、砂糖を足す。
「簡単ってか、ごく普通の民主主義っていうか」
「ですがオータス市では世襲が常態化していましたからね。市長にこう布告してもらったんです」
『ワシは今回の任期終了をもって、市政より身を引く!』
『そこでじゃ! 慣例どおりであれば、我が息子にその職務を引き継ぐところじゃが!』
『今回は選挙によって次の市長を決めるものとする!』
「へぇー。『市長が慕われているなら、惜しむ声が上がるだろう』ってかい?」
「それだけでは、『慕っている市長の決断なら是非もない』となる可能性もあります」
「それにそもそも、市長は『自分が支持されているか知りたい』って話だろう? なんか流れで退陣しちゃってるけどいいの」
「そこで選挙ですよ」
ジャンヌは優雅に紅茶を口へ運ぶ。
「私も出馬しました」
「何してんの」
「私が『市長の秘書の一人。後釜』として出馬。マニフェストは『前市長の政策をそのまま受け継ぐ』」
「なるほど。それで君が当選すれば、市長が政治家として認められていたことになると」
「えぇ。そうであれば私は病気だとかで即刻辞職して、ルディウス氏が再登板すればいい」
「慕われてるなら誰もカムバックに文句ないもんね! よくできてるじゃないか!」
タシュはパンと手を打つと、ニヤリと笑ってデスクに身を乗り出す。
「で、君がこんなに早く帰ってこれたってことは?」
「演説開始2秒で石が飛んできたので、速攻で逃げてきました」
「なぁんだ」
ある春の朝。
『ケンジントン人材派遣事務所』の2階にて。
「おや」
棚の前に立つジャンヌが、少し抜けた声を出す。
「どうしたんだい?」
「茶葉を切らしてしまいました」
「あー」
「恵んでいただけますか?」
実はジャンヌがいつも事務所で飲んでいる紅茶は、福利厚生でも共有でもない。
彼女が自分で持ってきた私物である。
「ごめん、僕も切らしててさ」
「はぁ。最近どこに行っても紅茶品薄じゃないですか?」
「なんかね、港でギャングが縄張り争いしてるらしいよ」
「やだ怖い」
「それで船が寄り付かなくって、こっちに茶葉来ないんだって」
「警察は何してる」
ジャンヌは空の紅茶缶を指で弾く。
しかし小気味よい音が響くばかり。
愚痴ったって中身は埋まらない。
「コーヒー豆ならまだ少しあるよ」
「仕方ありませんね」
まぁ放っときゃなんとかなるだろ、と湯を沸かすジャンヌだったが。
それから1週間と経たないうち、
「安心しろ。オレらもカタギにゃ手ぇ出さねぇ」
「は、はひ……」
「ヤバいよヤバいよ、どうしようジャンヌ」
『ケンジントン人材派遣事務所』の応接ソファに、
上等な黒地に細い白のストライプのスーツ
羽根付きのシルクハット
肩に羽織った、ファー付きのコート
嗅いだこともない匂いの葉巻
年齢によるシワだけでなく、左頬に傷痕のある顔
後ろに控える若い衆
どう見てもギャングのボスみたいなヤツが鎮座している。
いや、みたいなではなく、事実そういう職業をしてらっしゃる。
「それよりアンタらとこにゃ、『メッセンジャー』とかいうのがいるそうだな?」
「ははははい」
「わわわ私です」
威圧感のある目を向けられ、二人の縮こまっていた背筋が伸びる。
ちなみに今彼らは、応接用のソファに着いていない。
タシュのデスクの後ろに立っている。
いざとなったら窓から逃げるためである。
「『メッセンジャー』を務めます、ジャンヌ=ピエール・メッセンジャーですぅぅ」
「あん? 『メッセンジャー』を務める……メッセンジャー?」
「お許しください! 決してふざけているわけではないのです!」
「いたって真面目なんです!」
「殺るならこんな名前にした所長を!」
「いや、やらんが」
二人の過剰なビビりっぷりに、ギャングのボスは若干引いている。
あるいはアーサーがいればヤクザも怖くなかったかもしれないが。
これは彼が事務所を訪れる以前のお話である。
「そんなんはどうでもいい。おいボウズ」
「一応女です……」
「あ? でも『ジャン=ピエール』ってよ」
「ジャンヌ=ピエールです旦那さま」
「ほう、どっちかってぇと女顔とは思ったが、てっきりそういう男かと」
「母が男性名など付けるのが悪い」
怯えつつもお決まりの文句は完遂したジャンヌ。
ギャングのボスからすれば、話が脱線しまくって進まない。
しかし彼に一切イラ立つ様子はない。
確かにカタギには心が広いのかもしれない。
「でだ、お嬢ちゃん」
呼び方もギャング比で丁寧である。
「アンタは、『メッセンジャー』は人の心が読めるってな?」
「えぇ、はい、そういう感じでやらせてもらっています」
「で、だ。物に残った、『残留思念』だか言うのか?」
「あー、はいはい」
「そういうのも読めるとか」
そこで一度会話を区切ると、ボスは右手の平を上に向ける。
すると若い衆がサッと近寄り、ジャケットの内胸ポケットから封筒を取り出す。
「というわけでだ。お嬢ちゃんにはこの手紙を読んでもらいたい」
彼はそれを受け取り、ジャンヌの方へ差し出した。
すでに蝋留めが割られた手紙のようだ。
「読むというのは」
「内容ではなく残留思念を」
「承知しました」
ジャンヌは一旦手紙をテーブルに置き、手袋を外す。
そのあいだもボスは情報を補足する。
「ソイツは今オレらのファミリーが争っている相手の首領からだ」
「えっ」
ピクッとジャンヌの手が止まる。
「ミスターケンジントン、あなたが開封してください」
「なんでだよ。もう開いてるじゃん」
「毒とか塗ってあったらどうするんですか!」
「どんな話だよ! 人を毒味に使わないでよ!」
「毒とかないから。大丈夫だから」
「あ、そうですか」
「ウチの鉄砲玉で試した」
「……」
彼らの世界の悲哀は考えないでおくことにする。
ジャンヌはおそるおそるながら、中の便箋を取り出す。
「内容については、『無益な抗争はこれで手打ちにしよう』ってとこだ。その和解パーティーの招待状でもある」
「あら素敵」
「その真意を確認してほしい」




