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9.残るもの、消えないもの

 翌朝、ジャンヌは事務所に姿を現した。


「おはようジャンヌ」

「おはようございます」


 彼女は淡々と自身のデスクに腰を下ろす。

 その仕草に昨日の励ましが効いたとか、それで何か気まずい様子もない。


 何事もなかったように、いつもの適度に機械的な雰囲気をまとっており、

 それこそが回復を示すようで、タシュは微笑む。


「今日からまた、一緒にいられるのかな?」

「明日からですね」


 しかしジャンヌはいつもどおり()()()()


「今日は早退(はやび)けかい?」

「いえ、国防省に呼ばれていまして」

「なんだって」


 つれないのはいいが、今のは聞き捨てならない。

 タシュの眉が逆八の字に変わる。


「またスパイかい」

「スパイ絡みではありますが、尋問ではありませんよ。このまえの彼の隠れ家が新たに見つかったので、ガサ入れに同行しろと。何か残っているかもしれませんからね」


 彼はデスクから立ち上がると、ジャンヌの肩に手を乗せる。


「大丈夫かい?」

「大丈夫ですよ」


 彼女は微笑みつつ、その手はしっかり払い()ける。


「私のしたことが消えないのであれば。これからも積み重ねていくだけのことですよ」

「そっか」


 どうやら出勤したとの報告に顔を出しただけのようだ。

 ジャンヌはいつものように紅茶を飲むことすらせず、すぐに事務所を出ていく。


 その背中を眺めながら、タシュは一人つぶやく。


「フィヴィキニコフは運命のなかでベストを尽くし、君もそうしてきた。それだけのことにいいとか悪いとか言えるヤツがいたら……


 僕は金払ってでも見に行くね」


 それから彼は棚のナッツ缶を取り出し、アーモンドを口に放り込むと


「今日も一人で伯爵のお相手かぁ」


 腰に手を当て、ため息をついた。






「床板を剥がせ! 額縁も絵を抜いてチェックしろ! どこぞに司令書や連絡先を隠しているかもしれん!」


 ヴェールイの隠れ家には、朝から殺人現場のように人が出入りしている。

 しかし家財道具をひっくり返したり破壊したり、やっていることは法と真逆。

 そう見えてこれが法治国家によって行われるのだから、人の世は難しい。



 その隅っこで床に座っているのはジャンヌである。

 サボっているのではない。


「『メッセンジャー』さん、いかがですかな?」

「書類の(たぐ)いは、必ず燃やしているようですね」


 床に触れて、残留思念を読み取っているのだ。


「内容が読めたりは」

「北東文字は読めないもので。模写だけしてお渡しします」

「お願いします」


 軍服の男との短いやり取りのあと、なおも一人記憶を読んでいたジャンヌだが


「あ」


 何かを見たらしい。

 彼女はおもむろに立ち上がると、部屋の隅

 スパイになんの関係もなかったものが投げ捨てられている山へと近付いた。











 鼻先にヒヤリと雪が落ちる。

 ジャンヌの意識が回想から現実へと引き戻される。


「いけないいけない、寝たら死んでしまう」


 彼女は小包を抱えて通りを行く最中。

 決して座って()()()()していたわけではない。

 しかし八甲田山によると、極寒は立ったままでも死ねるので油断ならない。


 ここは北東帝国。王国の冬の気分でいてはいけない。

 先ほども雪で滑って転びかけた。


 ジャンヌは手帳に書いてもらった地図を確認すると、普段よりゆっくり進む。

 季節が季節だけに、太陽はもう西へ傾いている。

 このままではオレンジに染まる雪を踏み締めることになるだろう。

 正直それまでにホテルに入りたかったが仕方ない。



 そのまま()()()()()()()()、田舎でも都会でもない街を進んでいくと


「……ここか」


 ついに目的地に到着したらしい。

 ジャンヌは足を止める。

 彼女が見上げているのは、


 なんの変哲もない一軒家。


 特にはるばる外国まで来て、目的地にするような場所ではない。

 それでも彼女は、力強くドアノッカーを叩いた。


『はぁい』


 すると家の中から返事がある。

 若い女性の声だ。


「どちらさまでしょうか」


 やがてドアの隙間から顔を覗かせたのは、

 肩までの黒髪にクリクリした目の女性。


 遥か遠い北東帝国、もちろん初対面の相手なのだが、

 それでもジャンヌには見覚えがある。


 彼女は優しく微笑んだ。



「フィヴィキニコフさんのお宅ですか?」

「そうですけど、どちらさま?」



『知らない人には』と兄によく言われているのだろう。

 アリョーナは警戒の色を示している。

 相手の北東語が王国訛りなのもあるかもしれない。


 ジャンヌは懐から名刺を取り出した。


「私、王国でヴェールイさんと同僚の、ホームズです」


 彼の隠れ家にあったものと同じデザインで用意した、嘘の貿易会社の名刺。


 アリョーナはそれを()()()()眺めていたが、

 もともと身内を騙すために用意されたものである。

 彼女も見たことがあるのだろう。


「同僚の方がわざわざ北東まで、どうなされました?」


 信じたらしく、ドアを大きく開く。


 が、ジャンヌの方は踏み込むことなく、持っていた小包を掲げる。


「あ、それ」

「私今、社用でこちらに来てまして。こちら、ヴェールイさんに託されました」


 二つあるうち、先に渡すのは大きい方。


「こちら、紅茶です。いつもの」

「あら!」


 遠くにいても兄を感じられる、いつもの品。

 彼女は包みを受け取ると、うれしそうに胸に抱える。


「あともう一つ」


 次にジャンヌが差し出したのは、非常に小さな小包。


「これは?」


 アリョーナが受け取ると、彼女は微笑む。


「開けてみて」


 アリョーナは一度紅茶を床に置き、言われるままに包みを開けると、


 中からは小さな箱。

 そのさらに内側、緩衝材のマットが敷き詰められた中に収まっているのは、


「これ」

「ペリドットです」



 鮮やかな黄緑の宝石を抱えたブローチ。



「少し早いけれど、あなたの誕生日に、と」



 あの日、ヴェールイの隠れ家にて。

 ジャンヌが情報の代わりに読み取った記憶はこれだった。



 妹のために買ったプレゼントを、丁寧にタンスの引き出しにしまう姿。



 それを見た彼女は、部屋の隅に投げ捨てられた中から、これらを発掘したのだ。



「着けてあげて」

「はい!」


 アリョーナはうれしそうに、ブローチを胸元に着ける。

 優しい色合いの緑がキラリと輝く。


「どうでしょうか」

「よく似合っていますよ」


 ジャンヌは宝石より、彼女の眩しい笑顔に微笑み返す。


「それでは、私はそろそろ」


 そのまま引き上げようとすると、


「あの!」


 アリョーナが引き止める。


「よろしかったらお茶でもいかがですか? 兄の話も聞きたいし」


 しかしジャンヌはゆっくり首を左右へ。


「ホテルのチェックインがありますから」

「そうですか」



 こうして二人はあっさり別れた。


 ジャンヌがしばらく進んでから振り返ると、


 途中まで見送っていたのだろう、まだ玄関先にいたアリョーナが、

 ブローチを光にかざして喜んでいる。



 ペリドット。

 石言葉は『幸せ』『平和』



「どうか、彼の思いと行いも、なくなりませんように」



 ジャンヌは小さく、口の中でつぶやいた。

 あまりにも小さいので、外に出たのは白い息だけ。

 誰に届くこともなかっただろう。


 しかしそれでいいというように、彼女は進行方向へ向きなおり、



 雪の街へと溶け込んでいった。






       ──『メッセンジャー』はスパイを尋問する 完──

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