6.スパイとファミリー
「自分が、ですか?」
ヴェールイには意味が分からなかった。
情報部とはいわゆるスパイや暗号解析をする部署である。
非常に専門性が高く、またこの時代には都市伝説的な扱いの組織でもある。
なので、
「若造の猟兵でしかない自分に務まるとは思えません」
それが率直な感想であった。
しかし、
「若いからいいのだよ。老人より物事を覚えるのが早い。猟兵だから一定以上の能力と忍耐も保証されている」
「はぁ、しかし」
「何より、君は王国語を話せるだろう」
「……はい」
ヴェールイはこのとき、猛勉強のすえに王国語を習得していた。
『熊撃ちはダメ』と言われて、何か転職に有利なスキルを身に付けたかったのだ。
しかしそれが
『海外で活動する』
『外国語の文書を読む』
という情報部のニーズと合致してしまった。
軍を辞めるための準備が、軍の求めるスキルだったのだ。
戸惑う彼の肩を、連隊長は立ち上がってポンと叩く。
「残念だが、君に拒否権はないのだよ。国家からの命令であり、情報部が実在すると知ってしまったのだから」
「な……」
そういう時代である。
現代人がMI6の存在を知るのとは違うし、国家の意向は人権の上位にある。
一方的な数行の命令文で、個人が国家に溶けて消える世界。
「自分は、自分は……妹が……」
「情報部員が言っていたよ。その『妹さんによろしく』と」
「!」
「兄の無事を祈って日曜日は欠かさず教会へ行く、健気な娘さんだそうな。『今度花を贈っておく』と」
当然妹の行動に心打たれたとか、エリートは家族にも優遇があるとかいう話ではない。
『こちらはおまえの妹まで把握しているぞ』
『一挙手一投足まで見張っているぞ』
という脅しに他ならない。
もし情報部行きを断れば、その場で電話一本。
昼飯までには『交通事故』が起きるだろう。
贈られる花はしれっとメッセージカードが弔問になる。
「……喜んで拝命いたします」
そういう時代なのだ。
そして連隊の任期が終わったころ。
ヴェールイは故郷に帰り、アリョーナと夕飯の食卓を囲んだ。
「アーリャ。兄さんは軍を辞めたよ」
「本当!?」
唯一情報部のいいところは、身内にも職業明かしてはならないところ。
だから『強制されて』嘘をついている。
自分が妹を騙したくて言っているのではない
そう言い訳ができる。
だが、
「よかったぁ! これで兄さんはもう危ないこともしないし、一緒にいられるのよね!?」
質素で狭く薄暗い我が家。
きっとヴェールイが稼いだ給料を、彼女は切り詰めて切り詰めて暮らしているのだろう。
兄のために。
そんな雰囲気を感じさせないような、逆に浮き彫りにさせるような
眩しいアリョーナの笑顔。
言い訳を貫いてしまう。
ならばもう一つ、情報部にいいことがあるとすれば
「ただ、次の勤め先が貿易会社なんだ」
「えっ、それって」
「うん、そうなんだ。また家を空けることが多い仕事になっちゃって」
「そっかぁ。うん、でも
軍よりずっと、兄さんは安全になるわよね!」
真っ直ぐな妹の愛情。
任務により家に寄り付かないので、直視せずに済むことだろうか。
それからヴェールイは情報部に入り、半年間みっちり教育を受けた。
彼が配属されたのは解析班ではなく諜報部だった。
つまりは海外配属のスパイである。
非常に危険な任務と言える。
それでもやるしかない。
自分は銃弾に追われてもいいが、妹には擦り傷一つ付くのも許せない。
アリョーナを守るためには、否も応もなかった。
給料自体は上がったので、これなら妹も多少はいい暮らしをするかもしれない。
それだけを望みに
まずヴェールイが配属されたのは、新進気鋭の合衆国だった。
ようやく国際社会へ帝国主義を打ち出したばかりの国家。
奪う情報も多くはなく、チュートリアルみたいなものではあった。
そんな余裕があったからだろうか。
彼がアリョーナを思わない日はなかった。
ちゃんと増えた振り込み額の分、生活を豊かにしているだろうか。
食べているだろうか。
服とかアクセサリーとか、少しくらい欲しいものを買っているだろうか。
つまりは、
以前帰省したときのような、貧乏に対する強迫観念的生活をやめているだろうか。
それが気掛かりで、ヴェールイは何度も手紙を送った。
エージェントとしてよくないことは分かっていたが、何通も何通も。
返事はマメに返ってきた。
何通検閲で落ちたかは知らないが、ほとんどの場合返事があった。
内容はいつも
『私は大丈夫』
『無理な節約はしていない。過不足ない生活をさせてもらっている』
『心配しすぎ』
ということと近況くらいのことだった。
しかし、心配してもしたりないのが家族。
心配させてほしいのがかわいい妹を持つ兄である。
彼は強がりを疑ったし、近況の方にも構うべきポイントを見出そうとした。
そんなある日彼の目に止まったのが、
『帝国ではまた厳しい冬がやってきました』
『紡績機を扱う指先があかぎれで痛む季節です』
という一文だった。
当然ヴェールイは心を砕き、かつあることを思い付いた。
「そうだ! アーリャがお金を使わないなら、オレが物を贈ればいい!」
幸いにして設定は貿易会社勤務。
『海外でめずらしいものを見つけた!』
という体なら、彼女も心配しすぎとは考えないだろう。
彼は早速、香油をアリョーナへ贈った。
これなら指先の保湿にもファッションにも使える。
結局『糸に匂いが着く』と使ってはもらえなかったが、返事の手紙の最後は
『ありがとう。うれしい』
と締め括られていた。
これにはヴェールイも大喜び。
それからというもの、祖国へ情報を送るたび、同時に妹へのプレゼントも発送した。
服、小物、ぬいぐるみ、変わったお菓子や嗜好品などなど。
情報とセットにしたのは、
『個人的な郵便が多い』
とのお叱りを少しでも緩和するためだった。
何せそれが彼にとって生き甲斐のようなもの。
頻度を減らすという発想はなかった。
結果、口実のために彼は祖国へ送る情報を必死にかき集め、
気が付けば優秀な諜報員として高い評価を積み上げていた。
しかし、それが運命の転機となる。
合衆国で4年活動したヴェールイに、新たな辞令が降った。
王国への栄転である。




