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5.少年の生きる道

「えっ」


 今まさにキッチンへ向かおうとしていたタシュが止まる。

 彼どころか時間すら停止したような空気に包まれる。


「どっ、どっ、どうして?」


 タシュは茶葉の缶を棚の上に置くと、ベッドサイドに腰を下ろす。


「今回の案件、そんなに怖かったのかい? 軍人どもに何か言われた?」


 彼にはめずらしく、相手を気遣う丁寧な声。


「いえ」


 しかし違ったらしい。

 ジャンヌは小さく首を左右へ振る。


「ではアレか、ケンジントンくんに嫌気が差したか」

「伯爵!」


 ならばとアーサーが明るい雰囲気になるようアプローチしてみるが、


「今さらですか」

「ジャーンヌ!」


 彼女は細い声で返す。

 しかしネタに乗ってくれるだけの気力はあるらしい。


 二人は顔を見合わせ、小さく頷く。


「じゃあ、いったいどうしちゃったのか、聞かせてもらえるかな?」


 タシュがベッドの縁に肘を置き、そっと顔を近付けると



「少し、長くなるかも知れませんよ」



 ジャンヌは素直に応じた。











 話は『やはり』というか。

 ジャンヌがヴェールイ・フィヴィキニコフを尋問したときに遡る。


 彼女が死体の肩に触れると同時、残留思念が流れ込んでくる。


「う」


 こういう場合、真っ先に想起される内容はなんなのか。


 まず残留思念は何度か述べているが、


『強い感情などが物体に記憶として染み付くことがある』


 というもの。

 つまり、当然体の持ち主のなかでも重大で心の動きやすい出来事。


 また、物体(人間だったものをこう(しる)すのは抵抗があるが)には意思がない。

 なので記憶を整理したり、大事なものに順番を付けたりしない。

 まさしく紙のレポートのように、提出順に積み上げられていく。


 結論、


『死体の生前で、インパクトが強いなかで一番日付けが新しいもの』


 が最初に想起される。

 となればもうお分かりだろう。



 それは『死』とそこに至るまでの時間である。



 しかし

 これも以前に書かれたことであるが。


 ジャンヌは読む記憶を多少操作できる。


 1をコンプリートしなければ2に進めない、ということはない。

 関係ないこと、見たくないものは流し読みすればいい。


 今回の仕事も死因の特定ではない。

 この場面は読み飛ばせばいい。


 それは彼女も分かっていた。

 だからそうしようとした。


 それでも、最初のワンタッチ。

 この瞬間だけは必ず受けねばならない記憶であり、そこに






『ようスパイ野郎。今日はな、おまえのために「メッセンジャー」ってのが来るんだぜ』






 自分の名前が、出てきたら。



 ダメだとは分かっていた。

 ロクなことにはならないと予想できた。

 依頼の最中に道草など許されないと理解していた。


 それでも彼女は、



 読んでしまった。











 ヴェールイ・フィヴィキニコフはベッドに寝転び、天井を眺めていた。

 別におもしろい形のシミがあるとか、数を数えているとかではない。


 過酷な拷問の結果、右目は意図的に失明させられ左目の視力も著しく落ちた。

 この独房の薄暗さで、そんなものが見えようはずもない。

 熊撃ちだった祖父にも将来を期待された視力は、見る影もない。



 まぁそもそも、オレは捕まったスパイだ

 どうせ生きては帰れないだろう

 視力が残っていようといまいと関係ない



 残せないものを気にしてもしょうがない。

 では自分に残せるものは何か。



「アリョーナ……」



 彼は遠い故郷と、遠い過去のことを思った。






 ヴェールイ少年が父を亡くしたのは4歳のときである。

 炭鉱勤めで肺を悪くした。


 母を亡くしたのは10歳のとき。

 なんの病気かは知らないが血を吐いて死んだ。


 その後引き取ってくれた母方の祖父も、14のときに死んだ。

 祖母は生まれるまえからいなかった。

 父方とは連絡がつかない。


 残されたのは自分と、2つ違いの妹アリョーナだけ。

 炭鉱夫の息子、熊撃ちの孫にロクな遺産もない。

 これではどうしようもない。


 かといって親戚筋の家庭も裕福ではなく、二人を引き取る余裕はなかった。

 国土の多くが雪に閉ざされる北東帝国は、誰もが貧しかった。



 彼らは話し合った。


『1年だけ伯父の家で引き取り、みんなで金を出し合って扶養しよう』

『そしてヴェールイが15になったら軍隊に入れよう』

『あそこなら飯を食わせてもらえるし、俸給も出る』

『そうして二人でがんばってもらおう』


 それをヴェールイは部屋の隅で聞いていた。

 非情とは思わなかった。


 ただ不安だった。

 呪いのように自分の身内は死んでいく。


 では次は?

 もしかして、


 次は命より大切な、この世でただ二人になってしまった妹が?


 それだけは許せなかった。


 だから、妹を守れるならなんでもよかった。

 祖父のときまで無力だった自分に、何かができるようになるなら。

 悪くない話だとすら思えた。


 何より、


 軍隊は危険な職場。



 順番が自分になって、その分妹が遠ざかるなら



 これでいいのだと感じた。






 15歳、ついに彼は入営を果たした。


 訓練は厳しかったが、熊撃ちの祖父と山を駆けた体力だけはある。

 なんとか乗り越えるとともに、そのスキルが認められて猟兵部隊に配属された。


 他より厳しい環境で行動する兵科だが、その分エリートである。

 俸給もよければ出世もしやすい。


 ヴェールイとしては、それなりに不満のない日々を送ることができた。


 文句があるとすれば、やはり軍隊生活は妹に会えないということくらい。

 唯一妹の安否が分かる手紙も、送るにも受け取るにも検閲があってテンポが悪い。


 しかしそれも仕方ないと思って任務に励んでいた。






 転機となったのは18歳のときのこと。

 久々の休暇で地元に帰ったある日の夜だった。


 兄妹で食卓を囲んでいると、アリョーナが上目遣いに言うのである。


「兄さん。もう軍隊なんて辞めない?」

「え?」


 検閲かもしれないが、今まで手紙に不満は書かれていなかった。

 ヴェールイはいささか驚いた。


「どうしてだい?」

「だって、軍隊は危ないし。それに」


 彼女は体を()()()()させて、一呼吸挟んだ。


「それに、たまにしか兄さんに会えないなんて、寂しいわ。この世でたった二人の家族なのに……」


 そこは彼も唯一、常に引っ掛かっていたことである。

 やはり妹もそういう思いをしていた、というのは心に刺さる。


「でもアーリャ、そうするとだね」

「兄さんはまだ若いわ。いくらでも他に仕事がある。私だってもう16よ。働いて支えるから大丈夫!」


 そのうえで、これだけの決意をもって言っているのだ。


「そうだね。今すぐ退役はできないけれど、そうしようか」


 今までは状況に追い立てられて生きてきたが。

 ヴェールイも自分の人生へ踏み出すことを決めた。


「あ、でも熊撃ちはダメよ? お祖父ちゃんも雪山へ行って帰ってこないんだから」

「え? じゃあ他にスキルが……」






 それから半年ほどあと。

 いよいよ彼の任期が一時終了しようとしているときだった。


「フィヴィキニコフ伍長」

「はい、連隊長どの!」


 駐屯地にて。

 午前の体力作りが終了したあと、ヴェールイは呼び出しを受けた。


 場所は連隊の司令本部室。

 相手は彼のトップ。


 面会するなど夢にも思わないほど上の存在である。

 彼からすれば、光栄なことであるが


「辞令がある」

「辞令、ですか」


 デスクを挟んで椅子に座る連隊長は、哀れむ目を向ける。



「帝国情報部からのお誘いだ」

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