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3.地獄は地下にあるという

「何をやっているんだ! あれだけ『目を離すな』と言っていただろう!」


 ようやく聞くことになった軍服の声は怒声だった。

 国防省内の広いエントランスホールに響き渡るほど。

 ジャンヌは耳よりビリビリ来る肌で感じる。


 今度は報告に来た彼が締め殺されそうなほどの怒気。

 先ほどまでは石像のようにじっとしていたのが、今や大股でズンズン進む。

 ジャンヌとしては、もう少しゆっくり歩いてほしい。


 一行が周囲の視線から逃れるようにエレベーターへ入ると


「今日の当直は誰だ! 懲罰モノだぞ! 査問会だ!」

「まぁまぁ中佐、そのくらいで。で、少尉。彼はどうやって死んだんだ」


 スーツの方、室長が冷たい声を出す。

 他所者(ジャンヌ)に見せていた紳士的態度は一切ない、命を奪う世界の音。


 重ねてゴンゴン音を立て地下へ進むエレベーター。

 彼女には土葬される棺桶に思えた。


 同じ緊張を感じたかは知らないが。

 怒鳴られ丸まっていた少尉も、今度は仰け反らんばかりに背筋を伸ばす。


「はいっ! 10時21分、独房内で壁に頭を打ち付け死亡しているのが発見されました! 同時に舌を噛み切ったようで、そちらが死因と思われます」


 あまりに凄惨な報告。

 ジャンヌは眉をしかめ、口元を閉じ合わせるように手を添えたが、


「前歯が足りんのによくやる」


 中佐の発言で「ヴェッ」と小さく声が漏れた。

 しかし動揺しているのは彼女ら若手だけである。

 室長は鼻から息を抜くと、


「それなら見張っていても間に合わなかっただろう。房の鍵を開けて、止めに入るより早い。そうだろう? 中佐」

「そういう問題ではないのだ」


 あくまで『やれやれ』の域。

 チン、と到着を報せるエレベーターのベルすら、事態を軽く扱う鼻息かのよう。


 これが彼らの日常。

 太々(ふてぶて)しさ『ウォースパイト通り』代表のジャンヌが、

 すでに何度か似たような案件で協力している彼女が、


 いまだに慣れない世界に馴染んだ日常。


 そんな閉塞感を象徴するような、地下の狭く薄暗い廊下。

 ジャンヌは口に手を当てたまま、逃げ場を求めるように壁を見たが、


 そこにはちょうど案内の看板があった。



『←Ecne()gill()etni() Secivres(統 括 室) Sre()tra()uqd()aeh()





 廊下は途中で十字路になっており、統括室は真っ直ぐ進んだ先。

 それよりさらに進んだ先、一番奥にその部屋はあった。


Yspotua (検死解)moor(剖室)


 ドアノブに手が掛けられるとジャンヌは嫌な顔をしたが、誰も見てはいない。

 そのまま容赦なく地獄の門が開くと、


 無機質な室内

 棚やら、流し台っぽいなんやら、もはや何をするのか見当も付かない台やら

 光沢あるシルバーの構造物と、くすんだミントグリーンの床や壁が織りなす空間。


 その中心に、検死台はあった。


 一分の隙もなく布で覆われた、縦長の、成人男性大の物体を載せて。


「なんだこの邪魔な布は」


 中佐がまだイラ立っている声で隣に立ち、布を剥がそうとする。


「待ちたまえ中佐。我々はいいが、メッセンジャーさんに見えてしまう」


 それを室長が制する。

 いかに半分身内で、警察関連でもたくさんの死体を見てきたジャンヌとはいえ。

 やはり一般人には見せないのが彼らのエチケットなのだろう。


「お気遣い感謝します」


 彼女が小さくつぶやくと、


「いえ、我々が困るのですよ」


 室長はにっこり笑った。

 その一方で中佐の方は、ジャンヌから見えない角度で顔のあたりの布を捲り


「間違いないな。ヴェールイ・フィヴィキニコフだ」


 淡々としている。

 さすが裏社会の人間である。

 ジャンヌは布の向こうをイメージし掛けた脳を一度シャットダウンする。


「まぁ死んでしまったものは仕方ありません」


 しかしそれを許さんというように、室長が真顔になる。


「メッセンジャーさん。このように対象が死亡するケースは初めてでしたね。まずは驚かせてしまったこと、申し訳ありません」

「あぁ、いえ、ははは」


「それでですね。我々が持っている情報では、あなたは残留思念というのも読むそうな」


「……」

「死体から記憶を読んで、自殺か他殺が判断することもできるとか」

「……」


「『メッセンジャー』さん?」

「やらせていただきます」

「お願いします」


 ジャンヌは表情にこそ出さないが、泣く泣く手袋を外す。


 そのあいだに死体の方は、少尉がパッケージを解いている。

 今は布が上から被せられているだけとなり、

 人間の体の凹凸が浮き出ている。


「……」

「どうぞ。端から手を入れていただければ見ずに触れられます」


 彼女は口を真一文字。

 どんな拷問をされたかは知らないが、壁にぶつかって自殺できるレベル。

 まだ人間とカウントできる状態ではあるだろう。


 それでもこう、見えなくされていると。

 バラエティの『箱の中身はなんじゃろな』というか。



 水死体の次、焼死体といい勝負で触りたくないな



 それがジャンヌの正直なところ。


 しかしやらないわけにもいかない。

 でなければ、明日にも水死体になっているのは自分かもしれないのだから(そんなことはない)。


 ジャンヌは少し人型の膨らみを眺め、

 ゆっくり布の端から、肩の辺りへ手を差し入れた。


 手:死人と握手したくない。爪を剥がされていることも多い。

 胴体:そんな奥まで手を突っ込みたくない。

 太もも:柔らかいし、椅子に座らせた姿勢で針とか刺しやすい。

 脛:殴打されていることが多い。

 足:爪は同上。熱湯に漬けるとかもある。

 顔:絶対にイヤ。


 ということからの消去法である。

 まさか肩を何度も脱臼させるとかいう拷問まであったら知らんが。



 あとは切り傷とかあって、そこに指が触れませんように



 彼女は恐る恐る遺体の冷たい、柔らかいのが妙に気持ち悪い皮膚に触れて、


「……!」


 地獄とも言える作業を始めた。

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