1.北の国から
一面の雪景色をして銀世界と評することがある。
だが、雪が降っていれば、積もっていれば銀世界か
と言われるとそうでもない。
意外と必要なのが、雪とは真逆と思われる太陽と晴れである。
文字どおり天敵とすら言える。
が、銀世界が眩しいのは雪が太陽光を反射するから。
素材としては必須なのだ。
だからこそ、こんなどんより灰色の雲が垂れ込める日などは。
世界全体がくすんで見えたりする。
昼なのに、眩しさではなく気圧で頭痛と眩暈がしそうな薄暗さの下、
広大な雪原を汽車が走る。
新品の画用紙に一本線を引いたような線路の周囲には何もない。
車窓から眺めて遠くに辛うじて、
黒々とした針葉樹林
そんなに高くはない山の峰々
家がちらほら、クリスマスがテーマの絵本に出てくるような村落
そんなものが見える程度。
光景からしてまた寒い眺めを、汽車の中から
窓辺に頬杖をついて眺めているのが
ジャンヌ=ピエール・メッセンジャーである。
いつも防寒具といえばタシュから奪ったダッフルコートな彼女だが。
今日はマフラーを巻き、耳当て付きの毛皮帽を被っている。
そして傍ら、誰も座っていない座席には
旅行カバンの他に、小包が二つ置かれている。
そもそも乗客が少ない。
ジャンヌがいる車両には誰もいないし、他の車両も数人しか乗り込むのを見ていない。
寒いからだろう。
この時代の木造で揺れる車内に、この時代のストーブなど危なくて置けない。
なのでこの季節この気温、下手に長距離列車など乗っていたら凍死しかねない。
逆に言えば、ジャンヌは今そうなりそうな条件下に晒されているわけで。
いつもより防寒に気合を入れつつも、唯一普段どおりな手袋に後悔している。
おそらく乗客がほぼいないからだろう。
切符を切りに来た車掌がサービスしてくれた、水筒のコーヒーとマグカップ。
おそらく高熱の機関室に置いておくことで熱々だったろうそれも
今はただ石炭臭いだけの汁となっている。
ジャンヌが窓の外を眺める姿はぼんやり。
他人からは退屈か凍死寸前で朦朧としているのか、判別がつかなくなってきたころ。
外気と変わらぬ寒さのせいで、あまり結露が付いていない窓の外。
ようやく線路の先に家が見えてくる。
先ほどの村落レベルではない。
1秒近付くごとに見える数は増していき、街と言って差し支えないレベルと分かる。
彼女はなんとか心躍らせ、凍えた体に熱を与えようとするが
「はぁ」
力んで溢れた息が、車内でも白いのを見て
どうにもテンションが上がらなかった。
それでも密閉空間というのは一定の効果があるらしい。
「ううぅっ」
ジャンヌは駅に一歩降り立つと、犬のようにブルリと震えた。
「ガハハ! 外国からの旅行客かい?」
その姿を見て、警察官らしき中年の男が笑う。
鉄柵で作られた屋外用のコークスストーブに手をかざしている。
「よく分かりますね。帽子も買ったんですが、やはり西の顔は違いますか」
「それもあるが、コートは薄くて着膨れしている。地元民の格好じゃないね」
「ですね。地元民になるまえに、冷凍シチーになってしまう」
「よく知ってるじゃないか、公爵夫人」
確かに彼の着ているコートは毛布かと思うほどに分厚い。
寒さを見極め、過剰に着込まずとも少ない枚数で済ませる肌感覚がある。
しかし、これでも寒冷地に類する王国から来たジャンヌが笑われるのだ。
尋常ではない。
そんな男はストーブから離れず、彼女へ近付いてくる様子はない。
どうやら侵入した異邦人を駅で取り調べるとかいう仕事ではないらしい。
あるいはそうだがサボっているのか。
やましいことはないにしろ、それに安堵したか呆れたか。
それとも寒さに嫌気が差したか。
「ほぅ」
ジャンヌは少し顔をあげ、短くため息をつく。
空はやはりどんより灰色で、雪がちらちら彼女目掛けて落ちてくる。
そのなかを先ほど吐いた白い息が、すれ違いながら昇っていく。
ここは北東帝国。
大陸で最も北、大陸で最も寒い国。
それは1ヶ月ほどまえのことだった。
年が明けてからも1ヶ月、いよいよ寒さが最終形態に入るころ。
「うーむ寒い寒い」
いつものようにアーサーが『ケンジントン人材派遣事務所』を訪れる。
あまりの雪で車が出せず、極寒の中歩いてきた体は冷え切っている。
「冬出歩くと、暖かい室内に入ったとき文明を感じるよな」
そこにこの、ガンガンに暖炉を効かせた狭い部屋。
彼はコートも脱がずに定位置のソファへ腰を下ろす。
「もう私はテコでもここを動かないぞぉ」
背もたれに腕を回し、足を広げてご満悦の姿勢だが
「そうかい。帰んな」
タシュは相変わらず素っ気ない。
「君はいつまで経ってもそうだな。そんなに私とメッセンジャーくんの仲が進展するのが怖いかね?」
アーサーの反応もまた相変わらずではあるが、
「いえ、今日は本当に帰った方がいいですよ」
答えたのはめずらしく、普段二人の会話に介入しないジャンヌだった。
「君もまた辛辣だね。だがまぁそんなところが」
「そういう話じゃないんですって」
アーサーがあえて普段どおりに引き戻そうとしても、重ねて振り切ってくる。
「ふむ?」
いつもと違う手応えに伯爵が首を捻っていると、
チーン
と、1階から呼び鈴の音がする。
アーサーが使わないし客は手紙や電話が多いので、久しぶりの音である。
しかしそんな余韻を味わう様子もなくタシュは立ち上がり、素早く部屋を出ていく。
今度はめずらしく機敏な動きである。
「どうしたどうした」
その背中を見送っているアーサーへ、ジャンヌがため息一つ。
「来てしまいましたね。帰った方がいいと言ったのに」
「なんだ、借金取りでも来たのか」
半ば冗談半ば本気。
金で解決できる相手なら、ジャンヌのために一肌脱ぐのもやぶさかではない
そう考える伯爵だが、
「どうぞ」
またドアが開く。
タシュが戻ってきたのだ。
彼に伴われて現れたのは、
黒いスーツに身を固めた中年男と
軍服に身を包んだ屈強な巨漢。
「借金取りどころか殺し屋か!?」
声を上げたアーサーに、タシュがしーっと人差し指を立てる。
やはり失礼があってはいけない連中のようだ。
しかし、
「まぁ大きく違ってはいないですね」
ジャンヌは平常運転。
タシュの顔が青くなる。
それと同時に
スーツの男の、ポケットに突っ込まれていた右手がゆっくり上がる。




