11.こんにちは、愛しいひと、これからの時間
病室から手術室は、近いとも遠いとも言えない絶妙な距離だった。
人によっては心の準備になるが、
「手術が始まったら帰るの?」
「『立ち会わせて』って言ったじゃないか。廊下にだけど、ずっといるよ。待ってる」
逆に有無を言わさぬ速攻の方がいい人もいる。
メリーも気が強いようでいて繊細なのか。
運ばれていくベッドの上、やけに口数が増えている。
やや早歩きの看護師に置いていかれないよう、フランクも早歩きで追従する。
少し揺れる彼女の瞳は、こちらに視線をピッタリ合わせている。
だから彼も切れないように、ずっと隣を保ち続ける。
だがそれも束の間の時間でしかない。
近くも遠くもないのだ。
数分で手術室に到着してしまう。
「では、お友だちさんはここまでです」
看護師からもはっきりキープアウトを告げられてしまう。
「じゃあ、ここで一度お別れだ。がんばって」
フランクが一歩離れようとしたそのとき。
看護師がまずドアを開けようとベッドを止めた、わずかなタイミング。
「っ」
メリーは精いっぱい手を伸ばし、
彼の手を握った。
しかしそれすら一瞬。
ベッドはすぐに運ばれていき、
二人の手は離れ、メリーは手術室へと消えていく。
それでも、ドアが閉まるその瞬間まで
彼女はフランクを見つめていた。
フランクもずっと目を離さず、
かつて野山で街で星座の下で、
自分の手を引いた少女の感触を思い出していた。
それからどれくらい経ったろうか。
いや、それはどうでもいい。
手術が無事に終わるならなんでもいい。
フランクは手術室前の廊下にある椅子から、じっと動かなかった。
レンドン夫妻が
「カフェでも行ってくればいい。そこまでする必要はない」
と心配しても、
「いいんです。好きでこうしてるんです。メリーさんはメリーさんだから。手術が終われば、僕もエリンを忘れるから。だからそれまではこうして、近くに感じていたいんです」
そう断って残り続けた。
しかし他人がずっと離れないでいると、親もなんとなく休みづらい。
なのでタシュとアーサーが夫妻を連れて出たりした。
が、ジャンヌは緊張している両親とカフェに行くほど社交的でもない。
時たま一人で席を外したりはしたが、基本的には手術室前にいた。
そのあいだもフランクはずっといた。
誰が見ていても、いなくても。
そうしてようやく、
手術室のドアが開いたのは意外と早く、ランチにもならないころだった。
ちょうど一家も一行もそろっているタイミング。
手に盆を持った執刀医が現れる。
さすがに手術衣に血がついており、満座が少し驚くなか、
「先生、どうですか!」
レンドン氏が切り出すと、初老の男性医師はやや疲れた顔で
「手術は無事終了しました」
しかし力強く告げた。
「あっ、あぁ……!」
声をあげて崩れたのはドロシー。
それを夫が支える。
「今はまだ麻酔で寝ています。目が覚めて、安静時間を過ぎたら少し話してあげてください」
「はい……! はい……! ありがとうございます……!」
夫婦はポロポロ涙を流し、固く抱き合っている。
そこに医師はやや空気が読めないというか、
「こちらが今回摘出した木片です」
盆の上のものをアピールしてくる。
もはや血の塊のようになっているものの、よく見ると細かいガラス片が食い込んでいる。
「うわぁ、こりゃ取り出した方がいいかもだ」
「うぅむ」
タシュとアーサーがしげしげと見つめるなか、
「それ、引き取ってもよろしいですか?」
「えっ?」
「はい?」
ジャンヌが口を開いたかと思えば、とんでもないことを言い出す。
これには冷静沈着な外科医も怪訝な顔。
「……なんのために?」
しかし彼女は飄々としている。
「エリンさんを弔うために」
「弔う? 手術は成功しましたよ」
「まぁちょっと、事情があるんです」
「はぁ」
医師は少し考えて、
「感染症とか怖いので、しっかり洗浄してからお渡ししますね」
と答え、別室へ下がっていった。
それから4時間くらいあとだった。
「メリー!」
「メリーぃぃ!!」
「お父さん、お母さん」
病室へ戻されたメリーと家族が再会したのは。
まだ抱き締められない分、ベッドサイドから身を乗り出す夫妻。
それを廊下から遠巻きに眺めている
「君も行かなくていいの?」
フランクをタシュが肘で突く。
しかし彼は首を左右へ振る。
「いいんです。まずはご家族で。もう彼女はメアリーさんだから。それに」
そこで一度言葉を区切ると
発言とは逆に、横並びの一行から一歩だけ前へ抜け出て振り返る。
「あとでいくらでも時間がありますから」
「ほう」
晴れやかな笑顔にアーサーの眉が動く。
が、彼が具体的に述べるまえに、フランク自身が話を続ける。
「皆さんは今からお帰りですよね?
僕はもう少し残ります」
「そりゃまた」
タシュが微笑んで肩をすくめると、彼は少しだけもじもじと動いた。
「彼女、手術の直前、僕の手を握りました」
それでいて、目には確かな心の芯がある。
「分かっています。彼女はもうエリンではないことも。本当のところは不安で不安で、誰でもよかったんだとも思います。僕じゃなくても。
それでも、彼女を支えていきたい。
どれだけ前を向いたって、エリンがくれたものは消えないから。
今度は僕が返す番だから」
「そうですか」
頷いたのは男二人より一歩引いた位置のジャンヌ。
「では、今回のご依頼はこれにて無事完了、ということで」
「ありがとうございました」
「このたびは『ケンジントン人材派遣事務所』をご利用いただき、誠にありがとうございました」
彼女は深々頭を下げたかと思うと、
「さ、それでは純然たる過去の我々はとっとと引き上げましょうか」
さっと上げ、タシュとアーサーの肩をつかむ。
「そうだな、邪魔者は消えるとしよう」
「今から出発したら、どの辺で日が暮れるかな」
「どうせなら食事のうまいところで泊まろう」
「だったら海沿いのルートで行こうよ。ここまでずっと山だったし」
二人も素直にくるりと振り返ったところでジャンヌは、
「それでは、またのご利用をお待ちしております」
ウインク一つ残し、病院をあとにした。




