表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
79/134

10.さようなら、愛しいひと、10年の恋

 一行がアイレ村を出たのは9時にはならないくらい。

 ヴァリアントに着いたのは15時過ぎであった。


 まだ日は高かったが


「長時間の移動でお疲れでしょう。手術には体力がいる。今日、場合によっては明日も休んで、それから取り掛かりましょう」


 医師の提案により、その日は手術を行わなかった。


 フランクはというと、


「なんだか自分のことのように緊張します。今日じゃなくてホッとしたような、ひと思いに終わらせてほしいような」


 確かに疲労困憊、手術には耐えられそうになかった。

 いや、おまえがそうなってどうするという話なのだが。



 さすがに心身が保たなかったか、それともデリカシーか。

 その日はヴァリアントに着いてからも、彼とメリーが会うことはなかった。






 しかし翌朝。


「……」

「大丈夫かい? リンスカムくん」

「はい」

「大丈夫な人間は牛乳をグラス2杯も並べないと思うぞ」


 フランクが男3人でホテルの朝食(ビュッフェ)を嗜んでいると、



「リンスカムさん!」

「あなたは、エリ、メリーさんの父親の」



 レンドン氏が姿を現した。


「どうしてこんなところに」


 レンドン一家は親戚の家に泊まったらしく、このホテルにいるのは意外なことである。


「あの、食べ終わったらでいいので、少し来てくださいませんか?」

「どこへ?」


 そんな彼によると、



「手術まえに一度会ってほしいと娘が」



 どうやら午前中には手術を開始することになっているらしい。






 朝食を牛乳2杯で無理矢理流し込んだフランク。

 別のテーブルでトーストにジャムを塗っていたジャンヌを捕まえ、病院へ急ぐ。


 2枚のトーストにそれぞれ

 イチゴとブルーベリー、リンゴとモモを()()()塗りたくってご満悦だったが仕方ない。

 それにしてもカロリーに飢えている。



 レンドン氏の案内で117号室へ着くと、

 メリーはすでに患者衣でベッドに腰掛けていた。


「エリ、レンドンさん」


 フランクが声を掛けると、彼女はゆっくり振り返った。

 二人の目が合う。


「あっ、あのっ」


 と、切り出したはいいが。

 そこで彼は言葉に詰まる。


 目の前の相手はエリンではないのだ。

『手術直前の知らない人』になんと声を掛ければいいかなんて、誰にも分からない。


 だが、意外にもそれは、『来てほしい』と言った彼女の方も同じらしい。

 フランクが先に切り出したのをいいことに、急かしもせずに待っている。


 あまり女性を待たせてもいけない。

 かといって励ませばいいのか、触れて意識させない方がいいのか。

 手術を受けたことがない彼には分からない。



 どうしよう。

 思えば小さいころも、いつだってエリンがリードしてくれた気がする。


 エリンはこうして変わっていったのに、僕は何も成長しちゃいないな。

 エリン……



 困り果てたフランクが絞り出した言葉は、



「わざわざ呼んでくれてありがとう。どうしたんですか?」



 ともすれば、一番聞かない方がいいかもしれない核心だった。

 メリーは面食らったように目を見開いたが、


 すぐに少し逸らす。


「お別れを、しておこうと思って」

「お別れ? 僕に? 今?」

「えぇ」


 彼女は少し俯き、両手を顔の前へ持ってくる。


「実はね、私も思ってるの。『私はかつてエリンという少女だったんだろう』って」

「!」

「覚えてはいない。実感もない。写真とか来歴とか、状況証拠がそう囁いてるだけ」

「……そっか」

「でもこの体はきっと、エリンだったのよ。いえ、中身は変わってしまっても、エリンの体であることに違いはないのよ」


 メリーは自身の体をギュッと抱き締める。

 確かめるように、(いつく)しむように。


「手術、弱気なわけじゃないけど、正直どうなるか分からないわ。お腹開いたりするわけじゃないけど、麻酔っていうのもするし、血もいっぱい出る。うまくいったって、目が覚めるまえにあなたは帰ってしまうかもしれない」


 ここでメリーはもう一度、フランクを真っ直ぐ見つめる。


「だから、お別れをしておくわ。エリンちゃんの代わりに、彼女の体として。


 さようなら。わざわざ探しに来てくれてありがとう」


 彼からすれば、これほど切ない言葉はない。

 思わず一度目線を外す。


 だが、すぐに戻し、ベッドに向かって一歩進む。


 本来メリーに、エリンやフランクの気持ちを汲む義理などない。

『どうせもう戻らないのだから忘れろ』以上のことはない。

 そもそも何か言う必要がない。


 それでも彼女は二人のために場を設けた。

 手術まえで不安ななか、普通自分のことしか考えられない状況で。


 なのに目を逸らし固まっているなど、こんな失礼はない。


「気を遣ってくれてありがとう。僕からもお別れに、少しいいかな」

「もちろん」

「レンドンさんからすれば聞きたくもない話かもしれないけれど。



 僕はエリンが好きでした。ずっと。



 最後に、これだけは伝えたかった」

「そう」


 メリーは大袈裟なリアクションをするでもなく、ただゆっくりと頷く。


「10年もずっと、思っていてくれてありがとう」


 その後しばし、時が止まったように誰も何も言わないでいると、


「レンドンさん。お時間ですが、大丈夫でしょうか?」



 若い女性の看護師二人が、手術用の移動ベッドを押して現れた。


「あっ、はい」


 メリーは反射的に答えたあと、父や母と目を合わせる。

 ドロシーは夫にそっと寄り掛かり、ジョナサンはゆっくり頷く。


「大丈夫だから、行ってきなさい」

「……はい!」


「……」


 フランクはそこに、確かな親子の絆を感じた。

 かつて自分と過ごしたエリン以上の。


 もう彼女は自分と仲が良かったエリン・シャーディーではないのだ。

 レンドン家の娘であり、いつかまた別の人のところへ行くのだろう。


 彼が静かに病室を去ろうとすると、



「ちょっとフランク!」



 少し低くなった、それでも聞き馴染みのある、忘れたことのない響き。

 思わず足が止まる。

 代わりに涙は溢れようとする。


 それを堪えつつ、ゆっくり振り返ると、


「なによ、手術室まで見送ってくれないわけ?」


 そこには、変わらないエリンのイタズラっぽい笑みがあった。


 記憶のない彼女がエリンを知っているわけはない。

 話した覚えもない。

 体が覚えている、なんてのもナンセンスだろう。


 しかし、そこには纏う空気までそのもののエリンがいた。


 メリーがなんとなく察して、再現してくれたのかもしれない。

 あるいは、


「ずっと振り回されてきたけど、これが最後のワガママか」


 本当に、お別れに来たのかもしれない。


 彼は胸に手を当て、深々とお辞儀をする。



「仰せのままに、お嬢さま」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ