9.もう一人の心の奥
「えっ」
フランクが短く声を漏らすや否や、
「それってそんな聞かなきゃ分からないような話かい?」
「死んだかもしれない幼馴染が、10年越しに見つかったんだぞ?」
他の男たちの方がクエスチョンを返す。
人の心などなさそうな顔のジャンヌである。
言ってやりたくなる気持ちは分かるが、
「そうではなくて、それ以前の話です」
彼女からすれば、今回の指摘は微妙に違うらしい。
「ていうと?」
「ではミスターケンジントン。あなた、10年まえ親しかった近所の人たちを、どのくらい大切に思っていますか?」
「えぇ?」
タシュはあごに手を当て、むーんと唸る。
「まぁ、機会があれば会ってみたい、ような?」
「伯爵。小さいころキングジョージの社交界で会った同年代の子どもたち。今現在の消息を把握していない方もいらっしゃるでしょうが、どうしても知りたいですか?」
「いや?」
アーサーは首を左右へ振りつつ、しかし反論する。
「だが異性の幼馴染なんてのはまた別だろう。ただの旧友やご近所より関係は濃かったろうし、何より」
「野暮だよジャンヌ。それに別れ方ってのもあるさ」
「あっ、あのっ!」
自分の話なのに他人がどんどん掘り下げるのは堪らなかったか。
フランクが割り込む。
「えぇ、はい。僕は、エリンのことが好きでした。幼馴染や友人ではなく、女の子として」
正直黙っておきたかった気持ちではあるだろう。
それでも言い出すと止まらないのが人間というもの。
「でも、告白とかはしませんでした。関係が壊れるのが怖い、とかいうほどの理由すらありません。ただ勇気がなかった。踏ん切りを付けるきっかけがないから流されていた」
饒舌だったフランクだが、ここで言葉に詰まって俯く。
「そしたら、永遠に機会が失われてしまった……」
気まずい空気に、タシュとアーサーがジャンヌへ非難の目を向ける。
しかし彼女はデリカシーを母親のお腹の中に忘れてきた人間である。
「果たしてそれだけでしょうか?」
「マイナスの世界へ行こうというのか!」
「もっと人類の役に立つ壁越えをしてくれ!」
遠慮も容赦もない。
長身でも痩せ型の器に、そんなものを積むキャパシティはない。
「それでも、10年です。10年ですよ」
「それがなんだってんだい」
「普通は諦めたり、整理がついたり、忘れるものです」
「人の心!」
「特にリンスカムさんは大学へ行くほどの秀才です。そう女性に縁のない生活とも思えない」
「純愛じゃないか。たまにはそういうものも信じてみたまえよ」
なぜか男二人でフランクを全力擁護する流れになっている。
じゅうぶん異様な会話なのだが、
「いえ、忘れるのです」
彼女はどうしても譲らない。
ただ、その目は決して悪ふざけだとか、妙な意固地さを宿してはいない。
「人が生きるために必要なことだから。忘れていくのです。今を生きるために、目の前に取り組むために、前を向くために。
エリンさんがそうしたように、それがどれだけ大切な記憶でも」
思ったより大きな話と悲しい具体例。
タシュとアーサーが押し黙ると、ジャンヌはフランクを真っ直ぐ見つめる。
「それが普通です。でもあなたは違う」
いや、彼女は最初から彼に話し掛けているのだ。
彼に問うているのだ。
「10年間思い続けた。最近思い出したとかではない。このためにお金を貯めて、少なくない額を注ぎ込んだ。決して小さくない骨が、あなたの喉に引っ掛かっている」
ジャンヌは手を伸ばす。
右手がフランクの右手に触れる。
「フランクさん。おっしゃいましたね。『この手術を契機にピリオドを打つ』と。しかし、本当にそうなるでしょうか」
「メッセンジャーさん」
「あなたの心に残り続ける理由。それを解き明かさないかぎりは、そうはならないのではないでしょうか。いえ、むしろ
『エリンさんは二度と戻らないと分かったうえでしこりが残り続ける』
そうなってしまいませんか?」
彼女は素手で触れてはいない。
『メッセンジャー』は手袋をしている。
読み解かない。
『自分で話してごらん』と言っている。
「そう、ですね」
フランクは白い生地を見つめながら、ポツリと言葉を紡ぐ。
「告白しなかったことと、もう一つ。未練というか、心に引っ掛かってることがあるんです」
今度はジャンヌが静かに聞く番である。
「夢を見るんです。何度も。エリンと最後に駅で別れたときの夢です」
タシュとアーサーも口を挟まない。
運転手は最初から何も言わない。
ただモーターの音だけが響く。
「彼女は窓から身を乗り出して、僕にたくさんの別れの言葉をくれた。でも、一つだけ」
天を仰いだフランクの、静かなため息が聞こえるだけ。
「最後の最後が、汽車の、出発の警笛で聞こえなかった」
今、彼の脳裏には、その日のままの光景が浮かんでいることだろう。
「『彼女はなんて言ったんだろう』
『最後に伝えたかったことはなんだったんだろう』
それが今も気になっているんです。ふとしたときに思い出すんです。もしかしたら『さよなら』一言だけだったかもしれない。それでも」
かと思えば、それを振り払うように首を左右へ振る。
「おっしゃるとおり、今までの人生で他の女性との出会いだってありました。
でも、思い出すんです。気になるんです。あの日の受け取れなかった言葉が」
フランクは自嘲気味に笑う。
きっと今まで一緒にいた女性への申し訳なさがあるのだろう。
「そのたびに、『自分はまだエリンのところに取り残されている』と感じる。エリンを愛していた以上に、そこに囚われていると感じるんです」
ようやく彼は、顔をジャンヌの方へと向ける。
「彼女の記憶はもうないのだから、それを知る方法はもうありません。でも」
それは寂しくも、爽やかな笑みだった。
「やっぱり、向き合わないことには、僕も前には進めないのでしょうね」




