7.エリンという過去、メリーという今
「エ、エリン……」
フランクが椅子から立ち上がる。
おそらく探偵からは写真を見せられただけで、直接見るのは初めてなのだろう。
「エリン、君だ……! 目鼻立ちも、左目の下の泣きぼくろも! 声だってそうだ、大人びているけどエリンの声だ」
「ええっと」
全然届く距離ではないのだがフラフラ手を伸ばす彼に、メリーは困惑している。
向こうは向こうで事情を聞いて入るだろうが、フランクが変態扱いされかねない。
ジャンヌが立ち上がって割り込む。
「はじめまして、メリーさん。私はジャンヌ=ピエール・メッセンジャーと申します」
彼女はきれいに15度のお辞儀をして見せる。
こうするとスーツ姿はよく見えるが、顔はやや隠れてしまう。
「ジャン=ピエールさん? 男性だったのね。あ! ごめんなさい! 中性的で『女性かな?』って思って。気を悪くしないで」
「いえいえ。それとジャンヌ=ピエールです。女性であっていますよ。母が男性名など付けるのが悪い」
「あらまぁ」
なんとかフランクによって作り出された空気が変わる。
普段は面倒のもとでしかない名前問題も、こういうときには役立つらしい。
今のでいくらか気分も解れたか。
メリーは彼女らへ近付き、椅子に腰を下ろす。
「それで、リンスカムさんのことは聞いているんだけど」
その呼び方にフランクの眉が歪むも、いちいちケアはしていられない。
「メッセンジャーさんたちはなんの用かしら?」
もっともな疑問に、ジャンヌはにっこり笑う。
「俄かには信じられないと思いますので、無理に信じていただくことはないのですが。私は人の心理や記憶を読むことができるのです」
おそらく内容が内容だけに、変な空気にならないための表情なのだろうが
……ジャンヌの満面の笑みって、なんか作り物っぽくて詐欺師みたいだな
タシュは思わず苦笑いをする。
自分だってオールタイム詐欺師フェイスのくせに。
そんな二人と、やたら身なりのいい男が並んでいるせいだろうか。
「へ、へぇ。ははぁ」
メリーは愛想笑いをしようとして失敗している。
「大丈夫です。嘘でも本当でも、あなたが損や被害を受けるようなことはしませんので」
「そうですか」
「ただちょっと、お手を拝借できますかね? あぁ、ただ握手してくださるだけでいいのです」
彼女は斜めにあごを上げ、少ししかめた表情でジャンヌを見ていたが、
ややあって、観念したように右手を差し出す。
さっさと終わらせた方がいい、ということだろう。
「では失礼」
であればとジャンヌも手袋を外し、速攻でつかむ。
お互い早く終わるに越したことはない。
そのまま静止する二人。
別にメリーまで固まる必要はないのだが、なんとなく動かない。
タシュやアーサーといった読心を知っている者も
レンドン夫妻のような正直信じていない者も同席し見守る空間。
微妙な空気感に、ジャンヌ以外は時間が長く感じられる。
が、実際のところは、そう長いものではなかった。
「ふう」
彼女はものの数分で手を放してしまうと、いそいそ手袋を着けはじめる。
「ど、どうでしたか?」
おそるおそるフランクが口を開く。
するとジャンヌは
首を左右へ。
「そんな……!」
「残念ながら、あらかじめお伝えしていたとおりといいますか。やはり覚えてはいらっしゃいませんね。ご夫妻に拾われる以前の記憶はございません」
「あぁ……」
フランクはすっかり項垂れてしまう。
まるで昼の朝顔。
「私に言えるのはこれくらいです」
丸まった背中へ、ジャンヌは重ねて声を掛ける。
それは『これで今回の件は終わり。用が済んだなら退散すべき』と促すものだろう。
萎れてしまった彼へ、レンドン夫妻は哀れむような顔をしている。
どうにかしてやりたいが、どうしたらいいか分からないような。
そもそもどこの誰とも知れない少女を拾って育てた人たちなのだ。
同情心に篤く、気が優しいのだろう。
そんな彼らを困らせてはいけない、ということなのだが、
「うぅ……エリン、エリン……」
フランクには伝わらなかったらしい。
「エリン! どうして忘れてしまったんだ!」
「そんなこと言われても……」
それは別に相手への問い掛けではなかったのだろう。
思いが溢れてしまったにすぎないのだろう。
だが、メリーが返事をしてしまったばかりに、明確な会話へとシフトしてしまう。
「あんなに一緒だったのに! 仲良く、楽しくやっていたのに! なのに全部忘れてしまうなんて! おじさんもおばさんもいい人だったのに! エリンを愛していたのに!」
その叫びにメリーの眉が動く。
一行はマズいと思ったが、割って入るまえに彼女も口火を切った。
「そんなねぇ! メソメソ言われてもねぇ!」
「エリン」
「メリーよ! 大体ね、『大切なことを忘れた忘れた』ってねぇ。そりゃ私が本当にエリンさんだったら、少しは申し訳ないとも思うわよ!?」
急な反撃に、フランクは目を丸くしている。
「でもそれ、私が悪いわけ!? こっちだって忘れたくて忘れてんじゃないのよ!」
「そ、それは」
「でも忘れないと気がおかしくなるから忘れてるんでしょう!? それとも何か? 私にその凄惨な事故を、素晴らしいらしい両親の死にざまを覚えてろって!? 思い出せって!?」
「そういうわけじゃ……」
「記憶だってねぇ! 今私がここにいるのは、今のパパとママのおかげなの! この人たちがここまで私を育ててくれたの! 二人が私のパパとママなの!」
ついにメリーは手のひらでテーブルを強く叩いた。
「それを、そんな言われなくちゃいけないほどの過去なわけ!? 私は今幸せなのよ! 大きなお世話だわ!」
「ぼ、僕はそんなつもりじゃ……」
しどろもどろになって、なおも弁解しようとするフランクだが、
その肩にポンと、アーサーが手を置く。
「あっ」
「やめておけ。さすがに君が無神経すぎた。こういうときは言うだけ相手に失礼だ」
「……はい」
一気に荒れてしまった空気。
慌ててレンドン氏も口を開く。
「その、娘も事情がありまして、気が立っているようでしてな! 今日はもうこれくらいに」
「そうですね。それが一番でしょう」
タシュが代表して応じると、彼はホッとした表情を浮かべる。
「でしたら、本日のお宿はもうお決まりですか?」
「いやぁ、帰りに道々」
「そういうことでしたら、村長が『お泊めする用意がある』と。案内しましょう」
「本当ですか? ありがたい」
そのまま二人で話をまとめてしまうと、
「さ、ジャンヌもリンスカムさんも。お暇しようね」
一行は思わぬ幕切れのなか、レンドン家をあとにした。




