1.遠い昔と、なんてことない今
『フランク! ピクニックに行きましょう! え? 「そんな急に」ですって? 細かいこと言わないの!』
『ほら、サンドイッチ作ってきたのよ! これでも行かないっていうの!? じゃあ一人で全部食べちゃうわよ!』
『どこっていつもの丘よ? ちょうちょを見て、ウサギと駆けっこして、四葉のクローバー探して』
『どう? おいしい? 当然でしょ! 私が作ったんだから』
『あ、そうだ。これあげる』
『なにって、シロツメクサの花冠よ。え、そういうことじゃない?』
『今日は付き合ってくれたから、その……、お礼!』
『いいから黙って受け取りなさい!』
『フランク、見て! 木の上に猫ちゃんが! 助けないと! 今行くわ!』
『フラーンク! 助けて! 降りれなくなったわ! どうすればいいの!? フラーンク!!』
『え? 「大人呼んでくる」!? 待ってフランク! 置いてかないで! ここに残って!』
『はぁ!? 「僕も降りられなくなった」!? バカじゃないの!? 何しに登ってきたのよ! 私を抱えて降りられるとでも思ったわけ!?』
『……悪かったわよ。言いすぎたわ』
『あ! パパー! ママー! ここよー!』
「ねぇフランク。その、ありがとう』
『「何が」ってアンタねぇ!』
『さっきは「何しに登ってきた」なんて言っちゃったけど』
『私、フランクが隣にいてくれなかったら、きっと耐えられなかったわ』
『夏ってホント、夜でも蒸し暑いわね。今夜は風もないし』
『でもいいわ。冬は寒すぎてお外出られないもの。まぁ星は冬の方がよく見えるけど』
『でも夏だって負けてない! ほら! 夏の大三角!』
『きれい。本当きれい』
『フランクの家の、屋根の上で見る星が一番きれい』
『ねぇフランク、冬の大三角もここで見ましょうね?』
『「結局冬も外に出るんじゃないか」って? 細かいことはいいのよ!』
『はぁ。なんだったら、冬までずっとこうしてたい』
『この時間がずっと続けばいいのに』
『フランク! 何泣いてるのよ! こっ、棍棒、根性? の別れじゃあるまいし』
『だから、泣か、ないでっ。遠くに行っても、また、会えるからっ!』
『ばかっ! フランクのばかっ! アンタのせいで、私まで泣けてきたじゃない!』
『あっ、汽車もう出るみたい。危ないから離れて』
『追い掛けてくるんじゃないわよ! アンタ絶対転ぶから! ベタなんだから!』
『フランク! ねぇフランク!』
『私たち、
「ん」
フランクが瞼を開くと、朝7時まえだった。
ちょうどぼちぼち起き出す時間である。
カーテンの隙間から春の朝日が覗いている。
「また、か」
彼は緩慢な動きで上体を起こす。
どうやら先ほどのものは夢だったらしい。
起きれば分かりきっていることでも、最中ではなかなか気付かなかったりする。
逆になぜ起きれば分かりきっているかといえば。
もちろん駅のホームから打って変わってベッドの上、ということもある。
が、それ以上に
あの光景は全て、
今18のフランクが、年齢2桁になるかならないかのころの記憶だからである。
そしてそれを、今まで何度も、嫌というほど夢に見ている。
見ているが、
「エリン」
何度繰り返しても、少女との別れ際、去っていく車窓からの最後の言葉
その続きが語られることはない。
当然である。
当時の、現実の彼自身が、汽笛の音で聞き取れなかったのだから。
なので答えは闇の中、遠い記憶の向こう。
昔からずっと、
おそらく、これからもずっと。
なぜなら、
『フランク! 大変よ!』
『どうしたの? お母さん』
『ロドニー行きの列車! エリンちゃんの一家が乗った列車が!
事故に遭ったって!!』
『え?』
別れの数日後には刻まれた、もう一つの忘れられない記憶。
それを最後に、少女の消息は一切分かっていないのだから。
あれから、人の人生で言えば決して短くない時間が経っている。
どんなに頑固な人間でも、天に召さるれば土へ還るにはじゅうぶんであろう。
そのせいもあろうか、
彼女はいまだ、塵一つ見つかってはいない。
フランクは意図的に激しく頭を左右へ振る。
今浮かんでいる記憶や考えを振り払うように。
眠気が残る、まだ寝ていたいような、もう寝たくないような頭を起こすように。
若干やりすぎて少し気持ち悪くなる。
しかし彼はダウンすることなく立ち上がり、洗面台へ向かう。
今朝ばかりはテキパキやらねばならない。
大学へ行くまえに行くところがあるのだ。
顔を洗って歯を磨いて、それからパジャマのままリビングへ。
「おはよう」
「ん、おはよう」
すでにテーブルに着いている父に朝のあいさつ。
彼は新聞を読みながら、朝の一服をしている。
そこに、
「もう、あなた! 食事まえのタバコはおよしになって! あら、フランク。おはよう」
「おはよう」
母がキッチンから朝食を持って現れる。
トースト、目玉焼き、ブラッドソーセージ。
「歯は磨いた?」
「うん」
「じゃ、熱いうちに食べちゃいなさい」
なんの変哲もない、それがありがたいメニューをミルクティーで流し込む。
それから弁当を受け取り、自室へ戻る。
着替えてカバンの中身をチェックすれば朝の準備は終わり。
「それじゃ、行ってきます」
「あら、今日は早いのね」
「ちょっとね」
玄関を出て近ごろ流行りの安全型自転車に跨り、静かな朝の住宅街へと飛び出す。
なんてことはない、いつものルーティーンだ。
繰り返される日常だ。
それに不満はないが、
本当に若干の下り坂。
それでも速度が出すぎないよう、ブレーキを絞りながら進む。
しばらくそうしていると、坂の終点にてT字路のかたちで大通りに当たる。
普段なら右に曲がって大学へ向かうところを、
今日はすいっと左へ舵を切る。
そのまま道なりに進んでいくと見えてくるのが、
大きな赤レンガの建てもの。
看板には『TSOP ECIFFO』
郵便局である。
フランクはその正面に自転車を停めると、アーチ状の玄関をくぐる。
そのまま真っ直ぐカウンターへ向かうと、
カバンから封筒を取り出し、流れるように受付の女性へ差し出す。
「すいません。これ、キングジョージまで」
前述のように、彼は変わり映えのしない日常に不満はないが
それでも今だけは少し、何かが変わるのを期待した。
しかしそれも一瞬のこと。
彼はすぐに郵便局を出ると、春風を切りながら一路、大学へと向かった。
それから数日後。
朝から車や馬車や人の往来が激しい街で、
「ふあぁふ」
あくび混じりにポストを開ける男がいる。
「今日もいっぱい手紙来てるなぁ」
パジャマのまま出てきた彼は、眠たそうな目で差し出し人名を眺める。
「全部知らない名前だ。ご新規さんの依頼かな?」
格好が格好だけに、中に入ってから確認すればいいのに。
ポストに肘を乗せ、ダラダラ封筒を検める男。
その背後にあるのは、青いレンガが特徴的な細長い3階建て。
名を、『ケンジントン人材派遣事務所』という。




