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1.本当にあった怖くない話

 あるよく晴れた秋口の朝。

 その日も『ケンジントン人材派遣事務所』の2階には、3人の人間がいた。


 いつものように各々のデスクと来客用ソファ。

 いつものように紅茶人、書類人、新聞人。


 アーサーは家で読めばいいものを、事務所で新聞を読む。

 一応貴族兼実業家らしく、複数紙を読む。

 なので今は、いつもうるさい事務所にはめずらしい、静かな時間である。


 これこそジャンヌが望む静謐の世界。

 全人類が不必要な会話をしない、質実とした機能美の世界。

 あとは物さえゴチャついていなければ……


 と思ったら


「いぁっく、ふぇっへ、



 ぶあっくしゃあーい!!」



 それを必ずぶち壊すのがタシュである。


「ぶち殺すぞ」

「勘弁してよ、花粉症なんだから」


 ジト目のジャンヌと鼻をズビズビ言わせるタシュ。

 この有りさまなら、さっきまで鼻も鳴らさず静かにしていただけ気配りだが、


「そういえばさぁジャンヌ。聞いてよ」

「嫌です」

「そう言わずにさ」

「しゃべんな花粉が飛ぶ」

「それは絶対にない」


 一度静寂が破れると、戻そうとしないあたりがこの男。

 彼女の敵となる人種である。


「聞いてやった方が早いぞ」


 アーサーがお悔やみ欄から目を離さずアドバイスするが、


「芋づる式に話が展開して終わらなくなりますよ」


 簡単な問題ではないらしい。

 ただ、


「それでね、ジャンヌ。僕昨日の夜中ね」


 どうせ聞いていなくともコイツはしゃべる。


 仕方がないので

『夜どおし田んぼのウシガエルがうるさい』

 の心持ちでやり過ごそう

 ジャンヌがそう決め込んだときだった。



「幽霊見たんだ。幽霊」



 あまりの発言に空気が凍る。時間が止まる。

 彼女のティーカップは口とソーサーの中途半端なあいだで止まり、

 伯爵の新聞も、捲ったページの裏の記事がギリギリ見えない角度のままに。


「……ついに花粉が脳に」

「上の世代は花粉症を『夏季カタル』とは言うがな。もう夏は終わったぞケンジントンくん」

「いやいやいや、大真面目なんだよ、大真面目!」

「大真面目で言っているから心配しているのです」

「私は今、君が不真面目に生きるのは正しいことだったのだと感心しているよ」

「やはり花粉が脳で発芽して、乗っ取られているのでは」

「いや、それはない。そうだとしたら知能指数が上がっているはずだ」

「うるさいなぁもう!」


 タシュは機嫌が悪い猫のようにテーブルをベシベシ叩くと、その反動で立ち上がる。


「でもね! ホントにホントなんだ! 証拠もあるんだぞ!」


 そのまま棚へ向かうと、中からナッツ缶を取り出す。


「昨日の夜中だよ。3階で寝てたら、2階から物音がして目が覚めたんだ。それで様子を見に行くとね」

「あぁ、それ」

「なんと! 暗闇の中で動く人影があったんだ! 僕も最初は物盗りかと思ったさ! でも今朝確認したら、ソイツは何を盗んでいったでもなく!」


 彼は缶の蓋を開け、二人に中が見えるように突き出す。


「ほら! ナッツだけが異様に減ってる! アイツが食べたんだ!」

「はぁ」


 タシュは缶の蓋を閉めると、涙声になりながら缶を撫でる。


「ああぁ、これはきっと飢えで亡くなった幽霊が、食べ物を求めて現れたんだ」

「亡くなっていない飢えた人間なんじゃないのか?」


 アーサーの意見が至極真っ当である。

 しかし、


「飢えても亡くなってもいない酔っ払ったあなたが、昨日ボリボリ食べてましたよ」

「えっ」

「それはもう凄まじい勢いで」

「待って、記憶にない」


 事実はさらにしょうもない。

 タシュは間抜けな顔になるが、なおも食い下がる。


「ま、まだだ! 僕は謎の人影を見ているんだっ!」

「それ私です」

「えっ」


 そこにジャンヌのカミングアウト。

 彼の手から缶が落ちる。


「そ、そんな。ジャンヌ、君、死んでいたのか……?」

「違います。事務所に櫛を忘れたので、取りに戻ってきただけです」

「あんな夜中に!?」

「夜中じゃないんじゃないですか? 私が行ったのは20時くらいですけど。あなた昨日は17時くらいから飲みはじめて、私が帰るまえに3階へ寝に行ったじゃないですか」

「そうだっけ?」

「なにを勤務時間中から記憶失くすくらい飲んでいるんだ」

「自由業だからね。競馬でボロ勝ちしたんだよ」

「勤務時間中にか」


 業務内容が内容だけに、ジャンヌが不在だと暇なのだろう。

 それにしたって最低の雇用主である。

 彼女は鼻からため息をつく。


「本当に物盗りで、殴られればよかったのに」

「まぁまぁまぁまぁ」

「というかメッセンジャーくん。君はここの合鍵を持っているわけか」

「そうですが」

「私の住まいの合鍵はいかがかな?」

「金庫の鍵も付けてください」

「それはつまり、私と資産を共有する続柄(つづきがら)になるということだな!?」

「超ポジティブじゃん」


 アーサーで変なオチも着いたところで。

 これにてこの話もおしまい、となりかけたそのとき、


「えーとさ、じゃあ、幽霊じゃなかったってこと?」

「幽霊だっということにしたいのであれば、尊重はします」

「へー、えへへ、あー、へー」


 タシュの態度が露骨におかしくなる。

 何やら動揺して、フラフラ視線を合わせない。


「なんですか」

「へへへ」

「おい」

「はい」


 ドスの効いた声でようやく背筋を伸ばす。

 そのまま彼は書類の山を漁り、


「こちらになります」


 一枚のメモ書きを取り出す。

 ジャンヌが受け取ると、アーサーも寄ってきて覗く。

 その内容は、


「『最近噂の“メッセンジャー”にインタビュー』」

「『果たして幽霊は存在するのか』……ケンジントンくん、これは」



「以前『断っておく』とか言っていた案件では?」



 ジャンヌが視線を戻すと、タシュはまた逸らす。


「『保留』であって、断るとは一度も」

「断る流れだった案件では?」

「はい、そのとおりでございます」

「……」


 彼の目が言い訳を探すように、ぐるーりぐるーり360度周る。


「去年の依頼だったでしょ? でも繰り返しオファーがあって、しつこくてさ?」

「で」


 それを戯言(ざれごと)と切り捨てるように、ジャンヌはデスクに身を乗り出す。



「受けたんですか?」

「……受けました。朝イチで電話しました」



「はぁ〜」


 ジャンヌは背もたれへ身を引くと、腕を組んでため息。

 チクチク言葉以上のチクチク感を演出する。

 さすがのタシュも


「だって、僕もさ、幽霊見たと思ったからさ。気になったんだよ、実在するのか」


 バツが悪く、子どもっぽくて恥ずかしくもあるようだ。

 それに対し彼女は、


「そんなに知りたきゃ、おまえで実験してやるよ」


 チクチク(物理)になりかねない顔を浮かべている。

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