表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
62/134

8.人生の往来

 ジャンヌがアーサーに自身の過去を語ってから、どれほど経っただろうか。


 気付けば『救世主の日』も過ぎ、それどころか年も明けた。

 世間がようやく慌ただしい祝賀ムードを落ち着かせはじめたころ。


 ある日曜日の昼。

 イベントは終わっても冬は終わらない。

 その日も空は濁った白。しんしん雪が降り、たまらなく寒い。


 そんななかジャンヌとタシュは出掛けていた。

 別にデートとかではなく、暖炉用の薪を買った帰りである。


「なぜ私を駆り出す。こんなものは業務外です」

「だって重いんだもん」

「重いものを運ぶのに女性を駆り出すと?」

「君も使うんだからいいでしょ?」

「あぁ寒い重い早く帰りたい」


 などとゴチャゴチャ文句を垂れ流していた彼女が、


「あ」


 不意に立ち止まる。


「どうしたの? 頭に雪積もるよ?」


 タシュが目線の先を追うと、そこには



 キングジョージ警察署。



「やっぱりちょっと気にしてる?」

「何をでしょうか?」


 ジャンヌの返事は明らかに、分かったうえで()()()()いる。

 タシュは顔を覗き込むようにして続ける。



「オーベン夫人を通報したこと」











 ジャンヌはトーマス・オーベン自殺の真相を知ってから、一晩悩みとおした。

 アーサーの説く法治のあり方が第一の正論であることは分かっている。


 だが、そこには彼女の『メッセンジャー』としての足元を崩壊させるような、

 アイデンティティの死が隣り合わせとなっている。



 彼女は翌日も丸一日悩んだ。

 タシュすら静かにし、伯爵の来訪を断っておいてくれたなか、じっと考えた。



 その翌朝。

 事務所に姿を現した彼女は、タシュに電話を貸してくれるよう求めた。


「どこに電話するんだい?」

「警察の、ボロー警部に」



 こうしてキャスリーンは傷害容疑で逮捕されることとなった。











「聞かないでおこうと思ったんだけどさ」

「では聞かないでおきましょうか」

「まぁまぁ」


 タシュは視線を警察署へ戻し、静かに話を続ける。


「君も話しておいた方がスッとするんじゃないかと思ってね」

「はぁ」


「何が君に通報を決心させたんだい?」


 ジャンヌは一度視線を下げる。

 答える気がないのか、頭を整理しているのかは分からない。

 なのでタシュが水を向ける。


「伯爵の正論が背中を押したのかな?」

「正論は」


 すると彼女は目を合わせないまま、即座に言葉を返す。


「大抵人を救わないし、受け入れられない」


 どうやら確固たる考えはあるようだ。


「なぜなら、本当に万人にとって正しいことなのなら。誰かが『正論』などと名札を付ける必要もありませんから」

「うん」


 タシュも目を合わせないまま頷くと、


「ニセモノほど『僕ホンモノだよ!』っていうアレだね?」

「違いますけど」

「あれっ」


 そんな締まらないやり取りをしているときだった。



「あっ」

「こんにちは」



 二人はちょうど警察署から出てきた人物と目が合った。

 それは、



「こんにちは、オーベンさん」



 一人残された息子のフリッツである。


 彼とジャンヌはしばし、無言で向き合う。

 なんとも言えない空気にタシュが背筋を伸ばす。


 しかし、


「……」

「……」


「……ありがとうございました」

「いえ、どうも」


「へっ」


 一触即発と思えた両者は、軽い会釈をしてすれ違った。


 タシュはチラチラ横目でその背中を見送りつつ、雑踏の中に消えたのを確認すると、


「思ったより普通な反応だったね」


 緊張が抜けるため息とともにジャンヌへ囁く。


「というのは」

「恨まれてなかった」

「あぁ」


 対して、一番それを心配すべき彼女の反応は淡白


 というか、こうなることが分かっていたかのような態度である。



 いや、もちろん


『常識ある人なら突っ掛かってこない』


 とか、


『一度依頼が終了するおり報告へ行っているので、そのとき和解した』


 とかもあり得る。


 だが、


「だから通報したのであって」

「えっ、そうなの?」


 どうやらもっとまえから、前提から違っているようである。


「どういうことなの。君は通報されてもフリッツさんが怒らないって分かってたのかい?」

「えぇ、まぁ」

「どういうこったい」


 さっきまでコソコソ話していたタシュも、今や身振り手振りまで入れる。

 一方ジャンヌはじっと突っ立ったまま、青年が去っていった方を眺めている。


「彼は『母親が立ち直れていないから、きっかけになるかもしれない』って依頼してきたんだよ? それくらい母親思いの彼がさ」

「それは本当でしょう。でも」


 彼女は一拍入れるように白い息を吐く。


「あの話にはいろいろ、おかしいところがあるんですよ」

「ふむ」


 タシュは薪の入った袋を持ったまま腕組み。

 聞きに入る姿勢である。


「『妻が灰皿で殴った。取り乱して逃げた。父は偽装に飛び降りた』これが一連の流れです」

「そうだね。そんで一度はうまく行ったんだ。せっかくね」

「ですが、それだけだと不完全なんですよ」


 タシュの眉が『ほほう』と動く。

 ジャンヌの目は自身の吐いた白い息で細まる。



「それだと、現場に血の付いた灰皿が残されてしまう」



「……なるほど?」

「ですが警察は自殺と処理した。あからさまな凶器があるというのに」

「つまり、現場には凶器がなかったってことだ。とすると」

「はい。


 それを回収した人物がいる」


 彼女は少しだけあごを上げ、首を左右へ振る。

 結んだ髪が馬の立て髪のように揺れる。


「夫人自身ではありません。指輪から読んだ記憶では、彼女は取り乱して一目散に逃げました。夫はその後窓から飛び降りている」

「じゃあ残るは……」


「フリッツさんしかいません」


「確かに、同じ家に暮らしてるんだ。大声で夫婦ゲンカしてりゃ、気付かないわけはないよね」

「ですので、全てを理解した彼は隠蔽したのでしょう。母の罪を」

「調査を依頼するまえから、大体のことを知ってたわけだ」


 タシュは鼻からため息をつく。

 振り回された感があるのだろう。

 彼自身は動かないが、ジャンヌが死の瞬間を読まされることには気を張っている。


 が、当の本人は今、違うことを考えている。


「しかしそれで平穏が訪れることはありませんでした」

「母親が、罪の意識で衰弱していく」

「はい」


 彼女は軽く頷き、目を細める。


「悩んだことでしょう。『弱った母を警察なんかに突き出せない』『でも肩の荷を下ろさせて、この苦しみから解き放ってやるべきなのではないか』と」


 雑踏に消えた青年を、もう一度見つけ出そうとするように。



「だから事務所に依頼したのでしょう。真実を暴ける第三者に、判断を委ねるために」



 ジャンヌは白い息とともにつぶやくと、


「これだから自殺の案件は嫌いなんです」


 機嫌が悪い馬のように首を振り、180度向きを変え、



「他人の人生が終わったかと思えば、別の他人の人生を左右させられるから」



 タシュに合図すらせず歩き出し、雪の街へと消えていった。


 今日も多くの人が往来をゆく。






       ──『メッセンジャー』は窓から飛び降りる 完──

お読みくださり、誠にありがとうございます。

少しでも続きが気になったりクスッとでもしていただけたら、

☆評価、ブックマーク、『いいね』などを

よろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ