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7.ある家庭の結末

 この日のことは、少女に大きなショックを与えた。



 まさか母に、この世でただ一人血を分けた人間に疎まれていたとは。

 それも自分のせいなのかと言われたら、


『女の子に生まれたから』


 素行不良だからとか、自業自得ならどれだけよかったか。

 性格が気に食わないとか、改善できることならどれだけ救いがあったか。



 こんなことなら、せめて知りたくなかった。

 たとえ殺意を持たれていて、明日には食事に毒を盛る計画があっても。

 それを知らずに死んでいきたかった。



 深い絶望に陥った少女は、それでも冷静に理解していた。


 読心が発生するのは、素手で触れるか素手に触れられるかのとき。

 その可能性を排除すれば事故は起きない。


 ジャンヌ=ピエールは普段から乗馬用の手袋を着用するようになった。


 たとえクラスメイトにからかわれようと、そっちの方がよっぽどマシだった。






 だが、そうはいかないのが親である。

 母は


「あらピエール。カッコいいじゃない」


 くらいのことだった。

 だが本心では、女性らしく細く()()()()な指が隠れてちょうどよかったのだろう。



 しかし父は違った。


「ジャンヌ。最近ずっと手袋をしてどうした。ケガでもしたのか」


 ある夜、彼はシャーロットが寝静まったあとのリビングにて。

 部屋へ引っ込もうとする娘を呼び止めた。


「あ、いや」

「蒸れるぞ」

「それは、うん」

「皮膚病でも隠してるのか? 女の子だから気になる、というのも分かるがな。そういうのは大抵乾燥させとかないと悪化するんだ」

「や、違うんだ」

「違うなら違うにしても、だ。隠してもいいことはないだろう。話してごらんなさい」


 父はウイスキーを召していたが、酔ってはおらず真剣だった。


 彼は継父で相手は娘。ジャンヌ=ピエールからしても過剰と思うくらい配慮をする人だった。

 なので、適当にはぐらかしても逃さないだろう。


 何より、そんな人に心配をさせてしまっている。

 これはよくない。

 なので、


「あのさ、めちゃくちゃ変なこと言うんだけどさ」

「言ってごらんなさい。妖精に引っ掻かれたのなら、父さんも文句言いに行ってやる」


 正直に話してみることにした。

 父はゆっくり、大きく頷く。


 だから彼女もゆっくり話した。



 手で触れると相手の心が読めるようになったこと。

 それで母の心を読んでしまったこと。

 母は男子に生まれなかった、亡き夫の代わりにならない自分が気に入らないこと。



 全て話した。

 どれだけ時間が掛かっても話した。

 途中涙が出そうになって堪えると、父は「我慢しなくていい」と言った。


 そのせいで途中何度も詰まった。

 それでも最後まで話した。


 父も最後まで聞いてくれた。

 正直あとは慰めにしかならない言葉をくれる程度だったが、それでよかった。


 人に話せただけで、言葉にしたことで、いくらか気持ちが楽になった。



 やっぱり気持ちって、読むものじゃなくて伝えるものだ



 少女はそう心に刻んで眠りについた。






 しかし現実は違った。

 翌日から、彼女を取り巻く環境は大きく変わった。


「だから! 靴下裏返ったまま洗濯に出さないでって何度も言ってるでしょ!?」

「オレだって疲れて帰ってきてるんだ! 細々(こまごま)したことくらい忘れることもある!」

「それで誰の手間が増えると思ってるの!」

「じゃあ裏返ったまま洗濯して干せばいい! そのままにしときゃ、履くときに自分で戻す!」

「そういうこと言ってるんじゃないのよ!」


 両親の夫婦喧嘩が増えた。

 今までは『自分が悪かった』と引き下がっていた父が、言い返すようになった。


 もちろん自分に落ち度があるパターンもあったが、我慢していたのだろう。

 しかし、



『妻はまだ亡き夫のことを愛している』

『娘を夫の代わりにしようと思うほど愛している』

『自分なんかより断然愛している』



 その現実を知ってしまった。

 だから今の彼にはもう、我慢する理由も気力もなかったのだ。


『愛されるより愛する方が好き』とか『無償の愛』とか言うが。

 表に出ない愛を知っているのと、愛がないのを知ってしまうのは別物である。


 自分も娘も愛していない。

 独りよがりな愛情の犠牲にしている。


 それが許せなかったのだろう。

 暴力こそ振るわないが、反論するだけでなく、父からも母に攻撃的になっていき、


 二人は顔を合わせれば大ゲンカか殺意すら感じる睨み合い。

 関係は急速に冷え込み、






 2ヶ月後には離婚が決まった。






 ジャンヌ=ピエールは母方の祖父母に引き取られることとなった。


 父は優しかったが。

 そもそもはシャーロットの娘への男性教育を止められなかった程度の人。


 血の繋がっていない親権争いには勝てなかった。



 しかし母は母で問題があると、係争の過程で親戚たちの知るところとなった。

 それで『どちらにも任せられない』と、祖父が名乗りを上げたのである。



 ただ、少女は今でも少しだけ、双方から厄介払いされたのではと思っている。

 そんな自虐と自責の心のトゲは、


 引き取れなかった娘が祖父母の元へ行ったために、実家に戻れなくなった母の、



「今度こそ幸せな家庭になると思っていたのに。うまく行っていたのに」



 荷物をまとめた玄関での、去り際のつぶやき。



 それが(くさび)となって、今も抜けないでいる。











「というのがまぁ、まだ若造なりの前半生でして」


 場所と時を戻して狭い車内。

 とっくに日は沈んで暗く、相変わらず鮨詰めの車内。


 ジャンヌはおどけるように肩をすくめた。


「そこから『メッセンジャー』になるまでは、さらに紆余曲折あるわけですが」


 彼女はチラリと視線をタシュへ向ける。

 きっと彼との出会いが関わっているのだろうが、

 当の本人はドヤ顔するでもなく無表情に外を見ている。


「これがルーツ、私の原体験というヤツです」

「……そうか」


 アーサーの声は、しゃべりっぱなしだったジャンヌより掠れている。


「私はこの能力で、表面上だけでも幸せな家庭を壊してしまった。父と母に、負わないでいられたはずの傷を刻んでしまった」


 暗い車内では、相手の表情は今ひとつ分かりづらい。

 しかし彼は、



「だから私は償わなければならない。この能力は、人の心を守るために使わなければならない。



『メッセンジャー』が幸せな家庭を破壊するわけにはいかないのです」



 母方の祖父母に引き取られても父方の、

 後生大事に幸せだったころの名字を名乗る目の前の少女は、


 孤独に震える顔をしているのだろうと思った。

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