表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
60/134

6.メッセンジャーは手袋をしていなかった

 前述のように、ジャンヌ=ピエールも乗馬は嫌いではなかった。



『人馬一体』


 馬に乗せてもらうには、彼らの機嫌を理解していないといけない。

 思うように動いてもらうには、こちらの考えや指示が通じなければならない。

 ロスなく走ってもらうには、動きを同調させなければならない。


 まさに馬と一つにならないと完成しない取り組みなのである。



 馬は人の言葉を理解するし、『どうどう』なんて言葉もあったりする。


 だが、彼らの側から言葉を発したりはしない。

 そもそも人を乗せて走る義理はないので、協力的とはかぎらない。


 それでもともに過ごし、仕草や態度で気持ちを察し、歩み寄りを続けると、


 ある日向こうも乗せて走ることを受け入れ、愛してくれるようになる。



 彼女はその模索の道のりと、心が通った瞬間を

 神経が繋がっていない馬体に来る向かい風すら感じるような

 一つになれる感覚を愛していた。



「馬の気持ちになりなさい。心を読みなさい」


 先生は常日頃そう説いており、ジャンヌ=ピエールもそこを目指していた。



 そんなある日のことだった。






 ジャンヌ=ピエールはいつも、馬に乗るまえに相手の首を撫でていた。

 あいさつのようなもので、必ず乗馬用の手袋を外して行なうのがルーティーンだった。


 その日も厩舎から連れ出した馬の首を撫でた、そのときだった。



『今日はお嬢ちゃんか。蹴りが優しいから好きなんだよな』



「え?」


 彼女の脳裏に、声が響いたのである。


 思わず周囲を見回したが。

 少なくともあんな響き方がする距離に人はいない。


 というかそもそも、今のは人の言う内容ではない。

 乗馬の指示の過程で蹴られる、


 つまりは馬側の思うことである。


 彼女が人を蹴るようになるのはタシュと出会ってからである。


「もしかして」


 ジャンヌ=ピエールはふと、今首を撫でている馬と目が合った。

 馬は優しい瞳で彼女を見ている。

 いつだって優しい目をしている。


 しかし、


「気のせいか、自惚(うぬぼ)れか」


 そんなはずはない。馬がしゃべるわけがない。

 馬に愛されたいという、自分への贔屓目が聞かせたものだろう。


 その日はそう片付けた。






 だが、また別の日。

 その日も素手で首を撫でてやると、



『今日はやるぜ! 飛ばすぜ!』



「は?」


 そんな声が聞こえてきたのである。


「私は疲れてるのか?」


 またも気のせいと流したジャンヌ=ピエールだが、


 その日馬は軽く蹴っただけで、彼女の想定以上にグングン駆け回った。



『右後ろ脚がなんか変だ』


 という声を聞いて診てもらうと、見事に蹄鉄が欠けていたこともあった。






 段々自分に何が起きているのか少女が察しはじめたころ。

 それでも


『一流の騎手になれたんだ。だからいろいろ気付けるんだ』


 と片付けていたころ。



 決定的なことが起こった。






 ジャンヌ=ピエールは学校ではおとなしい子であった。

 母の目がないために、ここでは好きなだけ静かに過ごせる。


 そのため、あまり人には関わらず、

 ぶつかったり触れたりすることも多くなかった。



 そんなある日、帰り支度をしていたときのこと。

 前の席の子が筆箱をカバンに入れようとして


「あっ!」


 落とした。


 たまたま口が開いていたために、鉛筆や消しゴムがぶち撒けられる。


 ジャンヌ=ピエールも積極的に交流はしないが冷酷でもない。

 鉛筆削りを拾い、


「どうぞ」

「ありがとう」


 手渡そうとして触れたそのときだった。



『あ。ジャンヌちゃん、爪割れてる』



「へ?」

「どうしたの?」

「あっ、いや」


 また脳内に声が響いたのである。

 それも、馬のときには分かるべくもない、



 相手の少女本人の声で。



 思わず右手を確認すると、知らぬ間に人差し指の爪が欠けていた。



 彼女はこの日、自分に読心の能力があることを認めた。






 しかし、なかなか認めなかった割に。

 いざその段になってジャンヌ=ピエールは悲観しなかった。


「これでますます乗馬が楽しくなる。馬の体調不良にも気付いてあげられる」


 そのくらいにしか考えていなかった。


 今のところ、将来厩務員か馬医になりたい少女には『ちょうどいい』程度の話。

 自身の馬を思う気持ちに、天がギフトを授けてくれた

 なんて喜んでいるくらいだった。



 しかしその感情は、その日のうちに砕け散ることとなる。






「ただいま」


 夕方。

 ジャンヌ=ピエールが帰宅すると


「お帰りなさい」


 母はキッチンで夕食を作っていた。


「ちょうどよかったわ、ピエール。グリンピースのポタージュを作っていたところよ。手伝ってちょうだい」

「……分かった」


 彼女が手を洗い戻ってくると、調理工程はグリンピースを潰す段階に。


「さ、ピエール、お願い」

「ん」


 ボウルと麺棒を渡され、作業をするジャンヌ=ピエールだが。

 このごろは少し、嫌いなメニューへ真面目に取り組むのがバカらしくなってきた。

 それが動きに出ていたのだろう。


「ピエール。何度も教えたでしょう? こうよ」


 見かねた母が背後から手を伸ばし、麺棒を握る彼女の手に重ねる。

 動きを直接教え込もうとしたのだろう。


 その瞬間だった。



『どうして』



「!」


 少女の脳裏に、母の声が流れ込んできた。

 それは



『どうしてこの子は女の子に生まれてきたの?』

『ピエールの月命日に生まれた、約束の生まれ変わりのはずなのに』


『確かに目鼻立ちはスッキリしてる』

『確かに声は低い方』

『確かに背は高い方』

『確かに胸は薄い』


『でもそれも、女の子の範疇じゃない!』

『この子はどうしたって女の子じゃない!』


『ずっとピエールとして育ててきたのに! ピエールになるよう育ててきたのに!』

『この子はどんどんピエールから離れていく! ピエールじゃなくなっていく!』


『このままだと、ピエールが失われてしまう。私はどうしたらいいの? 約束はどうなるの?』

『私のピエールはどこにいるの?』

『私のピエールを返して!』


『男の子に、本当のピエールに生まれてくれればよかったのに』

『こんな』



『娘なんか産んだばっかりに』



 残酷な現実であり、地獄のような時間であった。

 強烈な目眩と吐き気が襲い、体のあちこちから汗が吹き出した。


 今すぐにでも、心を読むのをやめたかった。

 この情報を遮断したかった。


 しかし、母の方からガッチリ握っている手を解く手段はなく、



 彼女は初めて、この力がON/OFFもできないこと

 絶望的な呪いであることを理解した。



「どうしたのピエール。ちゃんと自分で手を動かして」

「はっ」


 ジャンヌ=ピエールは母の声で我に返る。

 しかしそれは、あるべき世界へ引き戻してくれる母の福音ではなく、

 地獄へ引きずり込む呪いの(いなな)きとしか思えなかった。


「ピエールったら」

「はっ、はっ……!」


 最初についた息が、乱れたまま戻らない。

 苦しい。

 うまく酸素が吸えない。


「どうしたの? 具合悪いの?」

「いや、まぁ、そうかな」

「それは大変だわ。部屋でゆっくりしてなさい」

「うん」


 ようやく彼女は母の手から解放されたが、

 そのあとのことは記憶がない。


 ただ視界が真っ暗になったようにも、

 何かがチカチカ光っているようにも感じた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ