5.ピエールとピエール
およそ20年ほどまえ。
王国と海峡を挟んで向こう、大陸でのお話。
「ピエール!」
「すまない。こんな大事なときに、君を一人にしてしまう」
朝の大きな鉄道駅。
ホームにはたくさんの女性や子ども、老人たちが駆け付けている。
彼女らは一心不乱に旗を国旗を振ったり、停まっている車両の窓に張り付いたり。
その窓から首や手を伸ばして受け答えしているのは
軍服に身を包んだ青年たち。
冒頭の『ピエール』と呼ばれた彼も、そのなかの一人だった。
当時大陸では『中西高地 北方連邦』が、中西地帯の統一を目指していた。
それに猛反発したのが、ピエールの暮らす帝国であった。
よって両国の関係は悪化し、ついに『電報編集事件』を経て開戦に至る。
そのためピエールも徴兵され、今まさに出征するところなのだ。
「あなたのせいじゃないわ」
窓から伸ばされた夫の手を握り、励ますのは妻だろう。
「ありがとう。君も思い詰めないで。お腹の子に障る」
彼女の体は新たな命を宿した特有の丸みを持っている。
臨月、ではないが、そう遠くもないだろう。
「必ず帰ってきてね? この子のためにも」
「もちろんだとも。必ずだ。必ず、身がたとえ滅びようとも、僕は君たちのところへ帰ってくる」
「やめて、そんな言い方!」
妻の手の力が増すと、ジリリリリンと音が鳴る。
汽車の出発の時が来たのだ。
「シャーロット、危ないから手を放すんだ」
「ピエール」
彼女がか細くつぶやいたのを合図に、車両が少しずつ動きはじめる。
夫はゆっくり小さくなる妻へ手を振りながら、声のボリュームを上げる。
「そうだシャーロット! 頼まれていた子どもの名前!」
「えっ!?」
「ちゃんと考えておいたんだ! 男の子ならローラン、
女の子ならジャンヌだ!」
妻が是も非も言うまえに、
汽車は遠く見えなくなっていった。
それから1ヶ月としないうちに。
出産が迫り、夫の実家にいたシャーロット。
彼女がリビングでロッキングチェアに座り、編み物をしていると
『すいませーん』
玄関で声を上げる人がいる。
「はーい!」
身重の彼女に変わって義母が玄関へ向かう。
まぁ町内会か何かだろう、と編み物を続けていると、
「うあっ!?」
義母の発音が不明瞭な叫びが聞こえてきた。
「お義母さん?」
思わずつぶやくが返事がない。
まぁ向こうまで聞こえていたとも思えないが。
「どうしたのかしら」
重い体を動かし玄関へ向かうと、そこには
「ううぅ……」
「お義母さん!?」
顔を覆って崩れ座り込む義母と、
「娘さんですか?」
二人組の男。
一人は若い軍人で、もう一人は背広に山高帽の中年。
「はい、嫁なので義理ですが」
「あぁ、ではピエール・オリヴィエ・リシュリュー伍長の奥さん?」
「え、えぇ、そうですけど」
シャーロットが頷くと
中年の方が、薄く幅広い直方体の箱を差し出した。
「お気の毒ですが」
蓋に夫の名前が刻まれているのを見た瞬間
彼女は何がお気の毒か聞く間もなく、
意識を失った。
不幸中の幸いは、今さらストレスで流産するような段階ではなかったことか。
シャーロットは失意のあまり、半ば無理矢理亡き夫の実家を去った。
そのまま祖国である王国の実家へ帰り、
「リシュリューさん! 元気な女の子ですよ!」
「あ、あぁ、あぁ……」
娘を産んだ。
「『女の子なら』……『ジャンヌ』……」
夏も過ぎてひんやりとした、薄曇りの朝のこと、
「それと、ピエールは『私たちのところへ必ず帰ってくる』と。『身が滅びても帰ってくる』と言ったわ。
だからこの子はピエールよ。ピエールの生まれ変わりなのよ。
ピエールが私のために帰ってきたのよ」
夫の最初の月命日のことだった。
「だからこの子の名前はジャンヌ……
ジャンヌ=ピエール・オリヴィエ・リシュリュー」
それが、幼い少女が物心ついたときから聞かされてきた、父の記憶である。
彼女が
『学校で男性名をからかわれた』
と泣きながら帰ってきたとき、必ず聞かされる物語だった。
「でもお母さん。私にはお父さんがいるよ? それにリシュリューじゃなくてメッセンジャーだよ?」
「そうね」
名付けられてから8年が過ぎたころ。
少女はそう母に尋ねたことがある。
それだけの歳月が経てば暮らしも変わる。
母娘の住まいは実家ではなく、表札の名前も別のものになっている。
すると母は
「あなたは2歳とかで覚えていないかもしれないけど。今のお父さんとは再婚なのよ。そうしたら名字が変わるの」
「へぇー」
「リシュリューではなくなったけれど、あなたを養っていくためよ。それに、名字くらい変わったって、
ピエールはピエールのままよ。
私のピエール」
うっすらと笑うのであった。
少女は正直、母からもからかいのタネである名前で呼ばれるのは嫌だった。
だが、あまり気にしないようにしていた。
きっと『その名前にもっと誇りを持ってほしい』ということだろうと思ったから。
だから彼女は、概ね幸せだった。
「ピエール。そんなの似合わないわ。らしくない」
女子ながら髪は短く、服装も味気ないシャツとパンツルックにされても。
──そのせいで大人になっても
髪を伸ばすもうなじが慣れなくてポニーテール。
鏡に映る女装の自分にギョッとするので男性服。せめて真面目に見えるよう
スーツで固める。
なんて後遺症が残るとも知らずに──
「ピエール。確かにピエールは優しくて丁寧な人だったけれど……。ちょっとお淑やかすぎるわ」
物静かにしていたいのだが、男性的で快活な言葉遣いと仕草に矯正されても。
──後年それをさらに矯正するべく、
共和国訛りの王国語は河口域発音を学びなおし
所作は普段から社交会のような折り目正しい動きを心掛け
わざわざ上塗りに努力を割くことになる──
「ピエールは乗馬と射撃が得意だったわ。だから早くに戦争へ取られてしまったのだけれど……。でもそうなんだから、ピエールも好きよね!」
動物は好きだったからいい。
が、射撃という別にやりたくないどころか耳が遠くなる習い事をさせられても。
──本音で言えば、手芸をやったり友だちと聖歌隊に入りたかったのだが──
「ピエールはグリンピースのポタージュが得意だったわ。よく作っては食べさせてくれたわね。だからあなたも早く、この味を身に付けるのよ。ね、ピエール?」
苦手なメニューを、変わり映えしないレシピを繰り返し練習させられても。
──本当は他所の子みたいに、母娘で作ったお菓子を持って集まってみたかったのだ──
それでもママ……母さんも父さんも優しいし、仲もいいし。
大切にしてくれるし生活も困らない。
彼女は概ね幸せだった。
いや、
あまり考えないようにしていたのだろうか。
それが崩れたのは、彼女が14歳のときのことである。




