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1.その選択の是非は問えない

 雪の夜だった。


 この寒いなか、ある一軒家の2階の窓が開いている。

 風はないため、カーテンが雪を遮ってはいるが。


 そんな静かな夜の、静かな窓辺の下。

 そこに、



 一人の中年男性がうつ伏せで倒れている。



 まだ降りはじめたばかりなのだろう、石レンガの地面に雪化粧は()()()

 安物のカーペットほども敷かれておらず、当然クッションにはなり得ない。


 その結果だろう。



 男性は頭から血を流している。



 それだけならまだいいが


 ──顰蹙(ひんしゅく)を買う覚悟で、あえて克明(こくめい)に描写するなら──


 側頭部が割れている。

 流れる液体が赤黒くさえなければ、ココナツを割って中のジュースを出すかのよう。

 生温かい()()は、薄く儚い雪をどんどん染めては溶かしていく。


 おそらく彼の命数のメタファーだろう。

 この傷では助かるまい。


 いや、もう尽きているか。


 なので埋葬してやるかのように

 あるいは見るに耐えない頭部を隠してしまうように


 動かぬ男の上に、しんしんと雪が積もっていく。











 年末年始が迫るキングジョージ市。

 視線を上げれば、雪がパラパラ降る曇天の空は昼なお薄暗い。


 視線を下げれば、まばらな雪の隙間を埋めるかのように往来は人で溢れている。


 人を個体で識別できなくなりそうな雑踏の中で、

 妙に目を引く集団がいる。


 理由は


「まったく。なぜ私があなたの、買い出し、しかもパーティーの! 付き合わなければならないのか」

「まぁいいじゃないのさ」


 男性かのようにパンツスーツで身を包んだ女性

 日常会話に支障が出るレベルで軽薄そうな顔をした男

 この二人、いや、雑踏全体でも一線を(かく)す、品のいい長身な男。


 凸凹どころではない取り合わせの3人が、大声で会話しているからだろう。


「一緒に事務所で『救世主の日』を祝おうよ」

「嫌です」

「なんでさ。別に実家に帰って祝うでもないんだろう? だったら僕と一緒に事務所を飾り付けようじゃないか」

「却下」

「ジャーンヌ」

「そうか。では『救世主の日』は私の家で」

「それもお断りです」

「ザマァ見ろ」

「言えた立場か」


 喧喧諤諤のうちに、一行は酒屋の前へ。


「あ、お酒も用意しておこう。発泡ワインとかさ。ジャンヌ買ってきてよ」

「私に荷物持ちをしろと?」

「だって僕もう手が塞がってるんだもの」

「同じく」

「まったく、男があれこれお飾り買うんじゃない」

「偏見だなぁ。ま、ジャンヌの好きなお酒も買っていいからさ」

「仕方ありませんね」

「あ、4,000円台(25パウンドくらい)にしといてね」

「ちっ」


 ジャンヌが先頭を切って店内へ入ろうとしたそのとき、


「あらっ」

「おっと」


 ちょうど店から出てきた、ウイスキーの小瓶を持った男とぶつかった。

 どちらかが痛い思いをするほどの勢いではなかったが、


「すいません」

「いえ、こちらこそ……」


 男の視線は地面へ。

 転がっていくコインを眺めている。

 どうやらぶつかった拍子にポケットかどこかから落としたらしい。


 男は数秒それを目で追っていたが、


 やがて軽く会釈すると、そのまま立ち去ろうとする。


「あ、落としましたよ」


 反射的に彼女がコインを拾いに行く。

 が、今日は寒いので普段の白手袋ではなく防寒用。

 分厚くて小さいものをうまく摘めないようだ。


 ジャンヌはわざわざ手袋を外して拾い、


「どうぞ」


 男に手渡す。


「あ、どうも」


 男が素直に手を差し出すと、彼女はそれを包み込むようにコインを渡し、


「……何か?」

「いえ、知り合いに似ているもので」


 そのまま数秒、相手の顔を見つめる。

 が、すぐに


「人違いでした」


 何事もなかったように場を離れた。


「大丈夫かい、ジャンヌ」


 タシュが近寄って声を掛けるも、

 彼女は黙って右手を挙げて彼を制する。


 そのまま足早に酒屋へ入ると、商品棚ではなくカウンターへ真っ直ぐ向かう。


「すいません。電話を貸していただけませんか?」

「えぇ、かまいませんよ」


 ジャンヌはレジ店員から受話器を受け取ると、カウンターに肘を付く。

 つま先で床を叩き、少し落ち着きがない様子。


『こちら電話交換台です』

「キングジョージ警察署をお願いします」

『少々お待ちください』

「どうしたんだね、メッセンジャーくん」


 今度はアーサーが声を掛けるが、彼女はまだ取り合わない。


「もしもし、ボロー警部をお願いします。『メッセンジャーから』と言っていただければお分かりになります」


 一度受話器を右耳から離すと、横髪を耳に掛けて再度寄せる。


「ハロー、ミスター。単刀直入に言います。男が自殺しようとしています。『修道院橋』に人をやってください。男は痩せ型、髪は伸び放題で肩まで。チェスターコートを着て、ウイスキーの小瓶を持っています。はい。『修道院橋』です。『キングジョージ』じゃない。はい、よろしくお願いします。失礼します」


 それから早口に捲し立てると、


「ふう、ありがとうございました」

「い、いえ」


 店員に受話器を返した。

 彼は横で聞いていた内容に驚いているようだった。


 一方何事もなかったように商品コーナーへ向かうジャンヌに、タシュが話し掛ける。


「読んじゃったのかい?」

「そのつもりはなかったんですがね。全自動ですから」

「しかし、自殺を未然に防ぐとはお手柄じゃないか」


『気疲れした』という顔の彼女をアーサーが励ます。

 が、当の本人は


「どうだか」


 淡白な反応。


「どうしてだ」

「彼がどういった理由で死のうとしていたのかは知りませんが。どのみち私は根本的解決をしたわけではないので。そこがクリアできなければ、遅かれ早かれまたやります」

「……なるほど。だがまぁ、それでも見過ごせないのが人情だよな」


 なんとかいい話風にまとめようとする伯爵だが、


「別に人情ではありませんよ」

「なにっ」


 ジャンヌはドライ・ジンを手に取る。


「彼が橋から身を投げたとしましょう。それはもちろん水死体になる。発見が遅れれば、目も当てられない状態になる」

「うむ」


「それに触るのは私です」


「えっ!? なぜ!?」


 思わず荷物を落としそうになったアーサーをよそに、彼女はラム酒のコーナーへ。


「自殺か他殺か事故か。断定するのに一番手っ取り早いのは、私が生前の記憶を読むことです。だから警察に呼び出される」

「なるほど」

「そのために私は、人が死ぬ瞬間の記憶を見なければならない」

「そ、それは」


 ジャンヌはここでようやく振り返る。

 品のない笑みだった。



「私が何回自殺したか、知っていますか?」



 本人からすれば、彼に対して当て付けや悪意はないだろう。

 だからこそのこの表情だろう。

 タシュは『おまえもう余計なこと言うな』という顔をしているが。


 しかし、


「だから止めたんです。あぁメンドくさい」


 そう付け足す彼女に何も言えないアーサーは


「……ここは私が支払おう」


 それが精いっぱいだった。






 翌朝。

 その日も雪が降るなか、アーサーが『ケンジントン人材派遣事務所』を訪れると



「ジャンヌっ! ホントーにごめん!」



 タシュが彼女のデスクの前で両手を合わせ、より低い位置まで頭を下げている。

 対するジャンヌは


「別にかまいませんが」


 相変わらずの鉄面皮。


「どうした。お気に入りのティーカップでも割ったか」


 そこにアーサーが声を掛けると、タシュはムッとした顔を向ける。


「違うよ」


 彼は一枚の便箋を差し出す。



「依頼が来てるんだ。『父親が自殺した』って人から」

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