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7.ご乱心

「は?」

「あ、いえ、もちろん代金はお支払いいたします」


 驚いたからとはいえ、顧客に向けるものではない声と顔のジャンヌ。

 慌てて夫は付け加える。


「ただですね。メッセンジャーさんに心を読んでいただいたでしょう? そのうえで、やはり娘たちは何も覚えていない」


 彼はチラリと、離れたところで野戦盤に興じる姉妹へ目を向ける。


「あの子たちからすれば、『どちらがアリスでどちらがスザンナか』『どちらが姉でどちらが妹か』そんなことは関係ないのですよ」

「そして、私たちも『娘たちを愛している』ということが唯一で絶対のことです」


 妻も言葉を引き継ぐ。

 よく考えて決めたことなのだろう。

 コンビネーションと、何より真っ直ぐ見つめる瞳が物語っている。

 夫の方が軽く身を乗り出す。


「だったらもう、どっちがどっちかは分からなくていいと。むしろそこにこだわっていては、娘たちが息苦しくなってしまう」

「幸い2人とも同じ学校に通っていて、しなければならないことも同じですし。別々のスキルが必要なことはありません」

「ですから、姉か妹かなんて好きに決めればいい。名前だってどっちがアリスでもスザンナでもいいし、新しく決めたっていい。全部また1からやりなおせば……」


 にこやかな夫妻。

 娘がいてくれれば、細かいことなんてどうでもいい、と。



 本質的に彼女たちを愛しているのだろうな

 言っている内容も、もっともなことだ



 アーサーもそう納得しかけたそのときだった。



「名前は、大事ですよ」



「え」


 ジャンヌが押し殺した声を出す。

 夫婦が自分たちで導き出した結論、暖かい空気に冷や水を掛けるような。


「名前は親が与えるもののなかで一番使う、最後まで残るものです。人生そのものです。その人自身です」

「メッセンジャーくん?」


「それを大事にしないなんて!」


 かと思えば荒げられる声に、夫婦は唖然としている。


「費用が問題だとおっしゃるのならよろしいでしょう! これ以降掛かる費用は私が持ってもいい!」

「落ち着きたまえ。いったいどうしたんだ」


 ついには椅子から立ち上がった彼女に、アーサーですら理解が追い付かない。


「マックイーンさん、ちょっと失礼。彼女は少し錯乱状態になっている。メッセンジャーくん、ちょっと来い」


 ただ尋常でないことだけは分かる。

 彼は『ケンジントン人材派遣事務所』の人間でもなければ、本件になんの関わりもない。

 だから助ける義理はないのだが、思わずジャンヌを連れて庭へ出た。






「今のはなんだ。どうしたんだ、らしくない」


 場を移動して間を取ったからか、はたまた穏やかなオレンジの空を見たからか。

 ジャンヌも幾分落ち着いたらしい。

 鼻からスーッと長い息を吐く。


「一応私も仕事ですからね。依頼が延長されるよう営業を」

「『費用は自分が持つ』なんてのは本末転倒だな」


 彼女は少しあごを上げ、首を振る。

 機嫌の悪い馬みたいな仕草に、まさしくポニーテールの赤毛が揺れる。


「まぁ『メッセンジャー』として譲れないと言いますか」

「それも嘘だな。人の心を読めばこそ、無理に踏み込まないのが職業倫理のはずだ」


 夕日を見るフリをして視線を逸らすジャンヌに対し、

 アーサーは無理にこちらを向かせたりはしないが、静かに語り掛ける。


「思えば君は普段からそうだ。『雇い主が愚か』と言ったり『母が男性名(ピエール)など付けるのが悪い』と言ったり。名前について、細かく反応する」

「よく言われるから、決まった返しができただけですよ」

「名前に『人生そのもの』とまで固執する人間がかね」

「あー、もう」


 ジャンヌはイラ立ちを隠さず頭を掻くと、アーサーを睨む。


「で、何が言いたいんですか」

「君が名前にコンプレックスを持っていることは理解できる。だが、それを仕事や他人に持ち込んではいけない」


 逆に彼は睨まずじっと見つめると、

 彼女はまた首を振った。


 しかし今度はイラ立ちではない。


「分かりました。依頼人の判断を尊重しろ、と」

「君が個人的に諦めたくないにしてもだ。アイシス島へは手紙を送って、返事が来るまで別の案件を進めた方がいい。雇い主もその方が助かるだろう」


 説得にジャンヌは返事も頷きもしなかったが、反論もしない。


 なので、何が彼女を駆り立てたのかまではアーサーも追求しないでおく。


「さ、戻ってご夫妻に取り乱したことを詫びて、一旦お(いとま)しようじゃないか」


 それはいつか素直じゃないジャジャ馬が、話してもいいと認めてくれたときでいい。


「それとも帰るのが嫌なら、商談が終わるまで私と蜜月を過ごすかい?」

「うっせ死ねバーカ」

「それは意外な一面がすぎるだろう」






 2人が室内へ戻ると、リビングには双子だけで夫妻はいなかった。

 おそらく姉妹に聞こえないところで話し合っているのだろう。

 ジャンヌがあんなことを言ったばかりに、である。


 ではエリー&スージーはというと。

 食卓で、2人で顔を寄せ合い、目を皿にしてアルバムを見ている。


「なつ……興味深い、ですか?」


 ジャンヌはその隣に立つ。

 夫妻が戻ってくるまでの時間潰し的に話し掛けたのだろう。


 キャンセルした言葉は『懐かしいですか』あたりか。

 アルバムを見ている相手に言いがちな言葉だが、記憶がない相手には刺さる。



 さっきまで取り乱していたのに、妙に落ち着いたものだ。



 アーサーは感心すると同時に。

 ジャンヌが言わなければ自分が『懐かしいか』と聞いていたところ。

 危ない危ないと胸を撫で下ろす。


「興味深、くはないですけど」


 何気ない声掛けだったが、双子の片方が律儀に拾う。


「何か()()()()がないか、私たちでもう一回探そうって」

「やっぱりお父さんお母さん、辛そうだから」

「それに手掛かりがなくってもね」

「『こういう記憶があったんだ』って頭に()れれば、2人とも喜ぶ」

「『あの話もこの話も通じないんだ』って寂しい思いを、少しでも」


 そこからは互いにリレーして言葉を紡ぐ。

 話す内容の健気さがより強調されるような。


 説得しておきながら、

『やはり調査を続けるべきなのでは』

 と思ってしまうアーサーであった。


「そうですか。では私も最後にお手伝いしましょう」


 ジャンヌも同じことを思ったのだろう。

 山積みの中から、別のアルバムを引っ張り出す。


「では私も協力しよう」

「だから伯爵はダメですって」

「む、そうだったな」






 その後20分くらい。

 夫妻はまだ来ない。

 重大な話なのだから当然である。


 アルバム鑑賞の蚊帳の外なアーサーは、動きがなさすぎて退屈。

 しかし静かな空気を邪魔はすまいとソリテッドに興じ、集中しはじめたそのとき


「あ」


 ジャンヌがポツリとそれを破った。


「どうしたんだね」


 彼が盤面から目を離さず問うと、


「伯爵」


 彼女もアルバムから目を離さず続ける。



「至急、買ってきてほしいものが」

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