1.手垢の付いたトリック
「うっうっ、なんていい話なんだぁ〜」
薄曇りの陽光優しい、冬の朝の『ケンジントン人材派遣事務所』。
小さな小さな暖炉がパチパチ音を立てるだけの、ファンシーな静寂を引き裂いて。
タシュが来客用のソファーで新聞を読みながら、大粒の涙を溢している。
こちらの方がデスクより座り心地がいい。
アーサーが屯するようになる以前はよく座っていた。
ではジャンヌはと言えば。
ソファーには座らず、タシュにもまったく反応せず。
自身のデスクで紅茶を飲みながら、チラシを眺めている。
「おぉ〜、いい話だぁ」
「……」
「こんなに感動する話は滅多とない!」
「……」
「とても! いい! 話!」
「……」
「ジャーンヌ!!」
不意にタシュがソファーから立ち上がる。
「なんですか」
「『なんですか』だって!? むしろ逆になぜ何もない!?」
「はぁ?」
「そこは『なにがそんなに泣けるんですか、私の愛しいタシュ?』って気にするところでしょ! そして紙面を僕の背中越しに覗き込んで、顔と顔が急接近するところでしょう!」
「今日も全力で気持ち悪いですね。絶望」
彼は新聞を手にジャンヌのデスクに腰掛ける。
「なんですか。邪魔だな」
「まぁそう言わずにさ。君も読んでみなよ。連載小説の今日の分がすごく泣けるんだよ」
「遠慮しておきます」
「なんでさ! こんなにいい話なのに!」
タシュは勝手にデスクへ新聞を広げた。
すると彼女は新聞の上にチラシを置いて読み続ける。
「このっ!」
さらに上から被せるために、新聞を引き抜こうとするタシュだが。
ジャンヌはチラシを持つ両手から肘までをベッタリ接地。
しっかり挟み込んで新聞を動かさせない。
「このこのっ! じゃあいいよ!読み聞かせをせがむ可愛いジャンヌに語ってあげよう!」
「せっかく伯爵がいなくて静かな朝だというのに。結局おまえがうるさいのか」
「愛を囁いてるのさ。僕ラブバード! ピヨピヨ!」
「殺すか」
このやり取りのあいだ、タシュは一切臆さないしジャンヌは一切相手を見ない。
よくもまぁ人間ここまで勝手に生きられるものである。
「そんなことよりさ。これ推理小説なんだけど」
なので彼はもはや相手が聞いているか関係なく話しはじめる。
聞いてほしいのではなく感動を放出したいだけなのだ。
「いいかい? ある女性は双子の妹が殺人を犯してしまったことを知るんだ。毎日集団でイジメてきた連中を祖父の猟銃でね」
「イジメられっ子とは思えないストロングさ」
ジャンヌの相槌は呆れ気味だが、タシュは構わないようだ。
もう語る内容を脳内で映像化することにトリップ中である。
「それで妹は毎日死体を埋めに行かないといけなくなったんだ。そのときは姉がとった行動は! なんと!」
「……」
「妹のフリをして学校に行ったんだねぇ。アリバイを作ってあげるために」
「…………」
「しかしさらなる悲劇が二人を襲う! なんと死体を捨てに行っていた妹の目撃情報が警察に!」
「」
「でも二人は双子でそっくりだから、他人には見分けがつかない。そうなると……」
「 」
「なんと疑惑はアリバイがない姉の方へ!」
」「
「しかし姉は全てを語らず! 警察の追及を受け入れ! 妹の罪を庇い! 裁判所で微笑みながら死刑判決を受けるところで物語は幕を閉じるんだ! どうだ! 感動するだろう!」
一気に語り終えてムフーッとするタシュだが、
ジャンヌはチラシから目を離さない。
「今どき双子の入れ替わりって。またずいぶんとありがちな話に感動するんですね」
「悪いかよ! 王道は何回見てもいいから王道なんだぞ」
「では毎日3食ベーコンエッグで過ごしてみますか?」
「ベーコンはカリカリに焼いてね」
「自分でやれ」
そもそも、それをそのまま通してしまった妹に問題がありすぎる。
全然感動できない。
ジャンヌは呆れたようにチラシをデスクの端へやる。
それをタシュが拾い上げる。
「ずっとこのチラシ読んでたけど、なにかオモシロイことでも書いてあったのかい? そんな読み耽るほどの文字数もないみたいだけど」
チラシに目を通すと、
内容は質屋の少し早い歳末買取フェア。
「質ぃ?」
彼がジャンヌに目線を戻すと。
彼女はそこらじゅうにゴチャゴチャ置かれた、謎の民族オブジェを見つめている。
「あっ!? ダメダメダメ! ボゼゼは売らないよ!」
「ボゼゼ以外なら?」
「売らないって! 僕が集めたコレクションなんだぞ!」
「このやたら細長い、ジャングルにいそうな格好をした民族の木彫りは?」
「そうやって段階踏んでいって譲歩させようったって、そうはいかないぞ!」
「よく分からないデザインの弓は」
「邪気払いしてくれるありがたいアイテムだぞ!」
「ゴルフクラブ」
「それは普通に使ってるから」
結局タシュも一歩も譲らず、ジャンヌが
「おまえを質に入れてやる!」
と鷹の剥製で彼を突きはじめたあたりで、
タシュのデスクの上の、事務所唯一の電話が鳴る。
「お客さんだ」
「早く出たらいかがですか」
「だったら突くのをやめてよ。剥製壊れる。はいもしもし! こちら『ケンジントン人材派遣事務所』でございます!」
威勢よく通話に応じるタシュだが、
「はい、はい、はい、……はい? はい、
双子」
急なワードにジャンヌの片眉が動く。
「はい、はい。かしこまりました。お受けできますか、スケジュールを確認いたしますので、はい。3日以内にこちらからご連絡差し上げますので。はい。失礼します」
タシュが受話器を置くと同時に彼女は口を開く。
「こんなときまで、さっきの三文小説のお話ですか?」
「いや、違うけど」
彼はすぐに否定するが、少し考える素振り。
「いや、違わない? 違う、よな?」
「なんですか。ジョークで考え込まないでください」
「あぁいや、ごめん」
タシュは思考を切って、ジャンヌに向きなおる。
「双子は双子の案件でさ。それが、入れ替わりっていうか、
どっちがどっちか分からないんだって」
「はぁ?」
そう語る彼の左前額あたりの髪には、鷹の羽が付いていた。
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