9.コレットの世界
次回より、18:22 / 1日1回更新となります。ご了承ください。
『私、いったいどうしたら!? 一緒に来てもらえませんか!? ナタリーの、ナタリーの家! どうしよう、どうしたら!? ナタリー!』
どうしたらと言いつつ行動しようとしていたり。
状況も拗れているが、それ以上にコレットの具合がよろしくない。
「落ち着いてください」
いつもは辛辣でズバズバ話すジャンヌだが、努めて0.8倍速に。
大きい声で制しても恐慌状態が悪化するだけだろう。
緩急でフックを設ける。
『は、はぃ』
「あなたは今どちらに? 自宅ですか? 公衆電話ですか?」
『大家さんの家の電話を借りています』
「大家さんのお宅は?」
『アパートの隣……』
「では自室に戻って準備をしておいてください。すぐ迎えに行きます。ではのちほど」
ジャンヌは受話器から顔を離すと、
「伯爵」
「車を回そう」
「ありがとうございます」
さっきの分まで早口になる。
そのまま事務所を飛び出そうとするジャンヌへ、
「待ちなよ」
タシュが声を掛ける。
「なんですか」
やや鬱陶しげに振り向いた彼女へ、
「うわっ」
「君も落ち着くんだ。暖かくして行きなさい」
バサッと投げ付けられたのは、ライトブラウンのダッフルコート。
「一張羅だから汚さないでね」
「だったら投げるな。渡し方ってものがあるでしょう」
「君らはカントさんを拾ったら、とりあえずナタリーさんのアパートへ向かうといい。僕は駅へ向かうよ」
彼は着ているヨレヨレのジャケットの襟をつかみ、パンッと引っ張ってシワを伸ばす。
「駅?」
「黒髪、長身、涼しい顔、ピーコートだったね? このまえカフェで張ってたときは見逃したんだけど」
「え、あ、はい」
「そういう人が来てないか、どっち方面の電車に乗ったか聞き込むよ。もう出発したかもしれないし、そもそも駅の電話から掛けてきたかもしれない」
「確かに」
「だから、君たちは安心して行っておいで」
タシュが思い切りウインクすると、
「ありがとうございます」
ジャンヌも微笑みかえし、部屋を飛び出した。
「なぁケンジントンくん」
残されたアーサーがタシュの耳元に首を伸ばす。
「なんだよ伯爵。早く行けよ。せっかくジャンヌの隣を譲ってやるってんだからさ」
「君も出るんだったら、コートは貸さない方がよかったんじゃないのか? 駅の方が寒いだろう」
すると彼はまさかの、アーサーにさえウインクしてみせる。
「僕っていい男だろう?」
「カントさん!」
「メッセンジャーさん!」
結局コレットはアパートの前で待っており、二人は素早く合流。
「じゃあ目的地までナビゲートしてくれ」
運転席にいるのはアーサー。
後部座席は二人乗りなので、基本3人は乗れない。
よって使用人の運転手は事務所で電話番をさせられている。
「次の指示まで、ピケッドリーと逆方向へ真っ直ぐ進んでください」
「よしきた」
急いでいるからかもしれないが、運転手より荒い挙動で車は大路をかっ飛ばす。
「あぁ、ナタリー! ナタリー!」
隣で震えるコレットの手を、ジャンヌは強く握った。
距離にすれば『遠くも近くもない』が正直なところ。
渋滞もなかった。
それでも時間が掛かったような気がする。
そのあいだ後部座席でうずうずしていた二人は、
「ここだな!」
「お先!」
車がアパートの前で急停止すると、慣性で投げ出されるかのように車から飛び出す。
「おっとと、危ないぞ」
アーサーの忠告も聞かず、そのまま建物の中へ。
明らかにジャンヌより走るのが遅いコレットは、半ば引きずられるようだが。
それでも文句を言わずに喰らい付くほどの勢いである。
手を放せばいいのに。
あっという間にナタリーの部屋。
階段を登る途中で合鍵を受け取り、ジャンヌが勢いよくドアを開け放つ。
そのまま一息にリビングまでなだれ込むと、
「ナタリー! ナタリー! いないの!? 返事して!」
家具や調度品はそのまま。
やはりというべきか、そこに彼女の姿だけがない。
失礼を承知で寝室にも踏み込むが、やはり見当たらない。
「あぁっ! ナタリー! どうして……!」
コレットは膝から崩れ落ちる。
手を握ったままなので右手は吊られるような格好で、片手で顔を覆って泣く。
「どうした……、と聞くまでもないか」
遅れてアーサーがやってきた。
ジャンヌが周囲を見回すようにあごで指すと、彼は腰と口元に手を当てる。
「見事にもぬけの殻、だな」
「公衆電話でも見つけて、所長とも連絡をとってみましょう」
「そうだな」
アーサーは身も世もないコレットをチラリと見やる。
「それがいい」
この状況を少しでも早く切り上げた方がいいと思ったのだろう。
二人で左右から彼女を助け起こし、
「まだ駅へ急げば追い付くかもしれません。さぁ、泣いている場合ではありません」
励ましながらリビングへ戻ると、
「コレッ、ト……?」
「ナタリー?」
そこには、黒髪で、長身で、ピーコートの、
涼しい顔立ちを驚愕と、
喜びに歪ませた
女性が立っている。
「ナタリー!」
「コレット!」
彼女は表情をグニャリと崩す。
みるみる真っ赤になって、
「戻って、きてくれたの?」
「えぇ、えぇ! ごめんなさい、あんな電話して。やっぱり私、こうするのが一番だって思って。でも、あのあと家を出てから考えたの」
フラフラとした足取りでコレットの方へ歩み寄る。
「メッセンジャーさんが言ってたでしょ? 『決断に他人を挟んだらずっと後悔する』って」
「うん、言ってた、言ってたよ!」
「私、思ったの。『あなたのため』とか『正しい選択』とかのせいにしてたら。自分の気持ちで決めなかったら、私後悔する!」
「うん、うん!」
それから彼女は両腕を広げると、
「私、コレットと離れたくない!!」
ボロッと目から大粒の涙をこぼした。
「ナタリー!!」
コレットも腕の中へ飛び込むべく駆け出す。
その背中を眺め、一件落着と頬を綻ばせたジャンヌの
手からコレットが離れた瞬間、
「え」
彼女の視界がガラリと変わった。
明かりがなく、極めて薄暗い室内。
モノクロームの家具も調度品もなく、壁も床も建材が剥き出し。
誰かが住んでいる形跡もなく、長らく放置されていたであろうホコリの溜まり方。
さっきまで見えていたナタリーの住まいは消え失せ、
「え」
そこには、前の住人が置いていったのか、
ボロボロで革もゴワゴワになった二人掛けのソファしかないがらんどうと、
その中心で、虚空を抱き締めるコレットがいるばかりだった。
「え、あ、え?」
ジャンヌは一瞬で喉がネバ付くのを感じた。
うまく言葉が出てこない。
「あ、な、ナタリーさん、は? ここ、は、彼女の、家、は?」
すると、
「どうしたんだ」
隣に立っているアーサーが、やや怯えた表情を向けてくる。
「あの! ナタリーさん! ナタリーさんがいなくなって! 部屋も、消えて! いきなり!」
必死に訴えるジャンヌへ、
彼は怪訝な顔で首を捻る。
「何言ってるんだ。
そんなもの、最初からいなかったじゃないか」
「え」
「入ったときから空っぽだったじゃないか」
「え」
「それにしても、彼女はどうしたんだ。
幻覚でも見えているのか」
──『メッセンジャー』はケンカを仲裁する 完──
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