8.彼女の事情 彼女の道
コレットとナタリーは数秒顔を見合わせる。
お互い、勝手に許可せず相手の様子を窺う素振りだった。
その後、隣で手を握っているコレットの方が、
「どうぞ」
心なしか、小さい声で答える。
「ありがとうございます。では失礼してナタリーさん」
さっきまではまだるっこしい物言いをしていたジャンヌだが。
急に切り替わった表情で相手を見据える。
「何かしら」
ナタリーもそれを感じて、やや背筋を伸ばして彼女と向き合う。
「まず確認したいのですが。あなたの『いては邪魔になる』というのは、どの程度を想定なさっているんですか?」
「どういう意味?」
「いえ、『カレシに時間を割いてあげてほしいから、ちょっと距離置きましょ』なら分かるんです。それなら私もあなたの意見にこそ賛成です。ですが」
続き、核心へ移るまえに、ナタリーは視線をわずかに逸らす。
それが答えのようなものだが、ジャンヌはあえて確認を取る。
「さっきからお二人の会話を聞いていると、今生の別れみたいな。もう『姿を消してしまう』ことが前提みたいな盛り上がりをしていたので。その認識で間違いないですか?」
「そう、ね」
顔の角度も若干正対から逃げるナタリーだが、
「そうよ」
意を決すると、真っ直ぐ相手へ向きなおった。
「どうして!」
また反射的にコレットが声を上げると、ジャンヌは右手で制する。
「でしたら聞いていただきたいことがあります」
「……どうぞ」
お互いの視線が深く交差する。
まるで何かの対決のよう。
「この際あなたが何を思っているのか、『何がカントさんのためにならないのか』。それは聞きません」
ナタリーは『いい』とも『悪い』とも言わない。
首が縦にも横にも微動だにしない。
「ですので、こちらもカントさんの事情で言わせていただきます」
「妥当ね」
「単刀直入に言います。全て彼女のためだとおっしゃっていますが」
ジャンヌは一度コレットへ目を向ける。
彼女は青白い顔で行く末を見守っている。
「当の本人は、これだけ嫌がっています」
「それくらい言われなくても分かってるわよ」
ナタリーの声に少しだけ感情が乗ったか。
『おまえより私の方がこの子のことは分かっている』とでも言いたげな。
「でも必要なことなの。これがたった一つの正解……」
「だとして、どうしてあなたが一人で決めてしまうのでしょう」
「う」
「あくまでカントさんにとって必要なこと。カントさんの今後を左右することなのに」
「それは」
「あなたの言うとおり、これが正解だとしましょう。あなたほどの人が、彼女の不利益になることを考えるとは思えない。そこは疑っていません。ただ」
ジャンヌは軽くソファへ座りなおす。
自身の気持ちを入れなおすように。
「『メッセンジャー』として多くの人を見てきた、その経験からですが。人は二択を選んだとき、どれだけ正しい選択をしても未練が残ります」
相手にここからが大事とアナウンスするように。
「何せ、選ばなかった未来を確認する方法はありませんからね。隣の芝生のように、いえ、見えない分だけ無限に。青く感じる」
「でしょう、ね」
「そのとき、『自分で選んだ道か、他人に決められた結果か』。それは納得できるかを大きく左右します」
ナタリーの口元がキュッと結ばれる。
言いたいことがあるのかもしれないし、逆に何も言えないのかもしれない。
が、ジャンヌは『こちらの事情で話す』と言ったのだ。
ここは拾わず、話を続ける。
「『絶対』とは言いません。ですが、間違った選択でも自分で選んだなら『悔いなし』と思いやすい。逆に他人に決められたら、わずかな未練が自分の中で解決しない。それがどれだけ正しい選択であっても」
ジャンヌの左手を包むコレットの右手。
また少し力が入る。
「途中に他人を挟んだのだから、一人で消化できなくなる。正解も正解でない気がしてくるし、実際それが心に影を落とすから」
しかしそれは強張りではない。
いつもの気が遠くなっているような冷えではなく、体温の上昇がある。
「救われない。それが正解ではなくなってしまう」
今度はナタリーの手が、膝の上でスカートの生地を握り込む。
ジャンヌも我知らず、少し前のめりになっている。
「いいですか、ナタリーさん。あなたが今行なっていることはですね。コレットさんのためになることが『ためになる』のを、永遠に奪ってしまうかもしれない」
「……」
「考えなおすにしても、本当に離れるにしても。どうか二人で、納得のいく結論を話し合ってください」
ナタリーは深いため息を漏らし、目線を90度右へ向けると、
しばし何も言わなかった。
コレットも何も言わず彼女を真っ直ぐ見つめ、
ジャンヌも静かに見守った。
ややあって、ナタリーはもう一度深いため息をつくと、
「ちょっと、考えさせて」
顔は背けたまま、絞り出すような声で答えた。
「それで引き上げてきたってわけだね?」
翌朝の『ケンジントン人材派遣事務所』。
タシュはデスクで土産話を聞きながら、ビーフジャーキーを噛み締めている。
「えぇ、急かして得することもありませんしね」
ジャンヌは相変わらず紅茶のおともに新聞を広げている。
「いいんじゃないのか? 正直な話、他人の人生を左右する判断なんて背負えないものな」
カラカラ笑うアーサーは指定席でカタログを読んでいる。
どうやらゴルフ用品のようだ。
「そうですね。そういう場面に多く立ち会う仕事だからこそ、退きぎわは心得ていたいものです」
ジャンヌの返事は淡白な響き。
まさに退きぎわという言葉が似合う熱のなさである。
「そう聞くと、日々地雷原を歩くような仕事なんだな」
「本当ですよ。こんなことをさせられて、最悪がすぎる」
「愛してるよジャンヌ」
「死ね」
彼女は東洋の縁起物らしい熊手を振りかぶる。
タシュの蒐集癖のおかげでこの事務所は武器に事欠かない。
しかし暴れるには狭すぎる。
アーサーが宥める。
「まぁまぁ。今日は予定はあるのかな?」
「いえ、特には」
「じゃあ一緒にゴルフでもどうだい。今までのパターンなら、カント女史からもしばらくは呼ばれるまいさ」
彼はカタログの表紙を彼女へ向ける。
宣材写真で美女がフルスイング。
「やったことがありませんので」
「私が手取り足取り教えてあげよう」
「あーっ、ゴルフ界隈に多い教え魔だー!」
面倒な仕事ならパーッと気晴らしをするまで。
3人でワーワー騒いでいると、
リリリリリリン、と
タシュのデスクにある電話が鳴る。
「なんだなんだ、こんなときに」
大事なお客さまかもしれないのに、明からさまな態度のタシュ。
仕方なく受話器を取ると、
「もしもし。こちらは『ケンジントン……」
『私カントです! コレット・カント! メッセンジャーさんはいらっしゃいますか!?』
「うわビックリした」
受話器から切羽詰まった声がする。
ほぼ金切り声の気迫に、ジャンヌも思わず立ち上がる。
「カントさん、メッセンジャーです。どうなさいましたか?」
もはや受話器を受け取るのも忘れ、タシュが持っているところに顔を寄せる。
『メッセンジャーさん! 大変なんです!』
「落ち着いて。落ち着いて話してください」
『さっきナタリーから電話が掛かってきて!』
ジャンヌは思わずアーサーと目を合わせる。
彼にも聞こえているらしく、やや険しく眉根を寄せている。
タシュとは角度的に無理がある。
嫌な予感をさせるワードに続くのは、
『一言「さよなら」って言って切れてしまって!』
予想どおりの最悪だった。




