5.前代未聞の大ショック
右手はコレットに繋がれている。
彼女はあらかじめ手袋を外しておいた左手を伸ばし、目を閉じる。
それがナタリーの右手に重なると、
「ん」
ジャンヌの手がピクッと動く。
「なるべく早くしてね。変な目で見られるから」
ナタリーがもっともなコメントを述べる。
しかし、
「……」
ジャンヌは何も答えず、眉根を寄せて集中している。
邪魔をしてはいけないと感じたのだろう。
二人はそれ以上何も言わず彼女を見守り、
10分は過ぎただろうか。
ジャンヌは少し前のめりの背筋を伸ばし、
「はぁ」
ため息とも深呼吸ともつかない息を吐く。
額には薄ら汗が滲んでいる。
彼女は相手から放れた左手で、懐からハンカチを取り出した。
「じゃあ私の今日の役割は終わりってことでいいかしら」
ジャンヌの仕草を見届けたナタリーは席から立ち上がる。
「ナタリー」
コレットが声を掛けるも、付き合うことなく立ち去っていった。
場に残されたのは二人。
となると、彼女の意識はもちろん、
「メッセンジャーさん!」
ジャンヌへ向く。
いまだ目を閉じたままハンカチをしまう、探偵の両肩をつかむ。
「ナタリーは!? ナタリーはいったいなんて!?」
華奢で弱々しい印象のコレットだが、今ばかりは力が籠る。
ガクガク揺さぶられるジャンヌはまず手を放させる。
「あの、ですね、カントさん」
それから彼女に向きなおる。
も、目は閉じたまま。
流れで、というよりは、あえて開けないでいるような。
そんな表情の顔は、汗は拭き取られているものの
「大変申し上げにくいのですが」
なんだか少し青白いように見える。
「『何も読めなかった』だって!?」
その夕方からジャンヌたちはパブにいた。
あのあと。
店を出てコレットと別れたジャンヌを捕まえ、
『どうだった?』
タシュが首尾を確認したのだが。
彼女は
『酒を……飲むしかない……』
なんかいろんな意味でヤバそうな返事しかしなかった。
まぁ二人としてはジャンヌと飲みに行くのはやぶさかではない。
それでタシュが根城にしている店へ行ったのだが。
彼女は初手、店で一番高いウイスキーをツーフィンガー。
二人を驚かせてから先ほどの場面に戻る。
「それは、いったい、どうしたことだい?」
「わたしがしりたい」
「うひゃあ、文章が全部ひらがなになってるよ」
ジャンヌよりはタシュの様子に、フードメニューを見ていたアーサーも反応する。
「察するに、事務所始まって以来の大事件かね」
「そうともさ。相手が記憶喪失とかなら別だけどね。それ以外でジャンヌが読心できなかったなんて、見たことも聞いたこともない! 食べるなら王国風カレーがオススメだよ」
「んああああ」
「そうか、チリコンカンを一つ」
「貴様」
聞いたわりにはタシュのオススメもジャンヌの奇声も無視。
自由な男である。
「メッセンジャーくんも、酒のまえに何か腹へ入れないと壊れるぞ」
が、一応気を使ってはいるらしい。
しかし当のジャンヌはカウンターに突っ伏し、すでに背骨が破壊されている。
タシュは自身のジントニックを少し離れた位置に置く。ぶつかって倒されては敵わない。
「にしても、ジャンヌが『読めない』なんて、そんなことあり得るのか」
「げんにおこっているんですよ」
「どういう仕組みなんだろうねぇ」
「私自身がまず、降って湧いた能力ですので構造を把握していませんが」
「漢字が復活した」
どうやらボロカスになっても読心の話となればシャッキリするらしい。
専門分野を語らせるとイキイキしだす理系学生みたいなものか。
他にアイデンティティないんかとか言ってはいけない。
「たとえばそれこそ記憶喪失。彼らは何も覚えていないが、記憶を取り戻すことがある」
「小説では定番だな」
アーサーは相槌を入れつつエル・ドラケを一口。
「これは『記憶喪失』と言っても、実は記憶自体はあるわけです。『栓が開いていないのでビールが飲めない』のであり、『ビールそのものがない』わけではない」
「なるほど。つまり場合によっては」
タシュはいつの間にか注文した王国風カレーを受け取る。
夕食もここで済ませるつもりのようだ。
「はい。もし相手がなんらかの『完全に心を閉ざす』方法を知っていれば。私に対しても蓋をすることが可能かもしれない」
「ジャンヌキラーだね」
「スパイ育成でも受けたのか、というレベルだな」
しかしそんなことを言っても始まらない。
相手がスパイだろうが生物兵器だろうが立ち向かわねばならないのが、
いや、そんなの相手なら逃げてもいいとは思うが、
とにかく読心能力で依頼に取り組むのが彼女の使命である。
「で、どうするんだい? 何か手段の目処はあるのかい?」
タシュはオニオンリングを受け取るジャンヌに問う。
あまり心配している様子はないような、だからこそ気軽に聞いているような。
対して彼女はため息一つ。
「現状栓がなされているのであれば」
深刻ではなさそうだが、
「まずは栓抜きを用意するところからでしょうね」
楽でもなさそうな表情だった。
翌日の昼過ぎ。
ジャンヌはあるアパートの一室を訪れていた。
そんなに広くもないワンルームで、物が散乱しているわけではないが、
「……」
壁やタンスの上など、そこかしこにぬいぐるみや工芸品が置いてある。
事務所と違い、整理整頓されていながら圧迫感を醸し出す。
そんな部屋の真ん中にあるテーブルへ紅茶を運んできたのは、
「あの、砂糖やミルクは」
「いえ、お構いなく」
コレットである。
向かいへ腰を下ろした彼女へ、ジャンヌはまず世間話から入る。
「見かけないものがたくさんありますね。収集がご趣味ですか?」
「いえ、趣味ではなくて」
「お土産が多い?」
「いえ、お守りなんです。夜な夜なぬいぐるみたちが話し掛けてくるので」
「……」
「効果はすごいんですよ? あれはドリームキャッチャーといって、あっちはナザールボンジュウ」
「……ぬいぐるみを手放すという判断は?」
「? かわいそうじゃないですか」
「……」
これは、アヘン窟よりヤバいところに来てしまったかもしれない……
来て早々帰りたくなるジャンヌだが、
「それで、今日はどうなさったんですか? 別にナタリーが来る予定は……」
タイミング悪く、逃げられなくなる質問が飛んでくる。
こうなるともう、立ち向かうしかない。
彼女は数回目を逸らしたが、意を決してコレットへ軽く身を乗り出す。
「本日はですね。一度しっかりあなたの記憶と心を読ませていただきたくて」
正直こっちが汚染されそうで嫌なのだが。




