表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/134

7.あなたの腕のなかで

「陰日向に支える、ですね」


 ジャンヌは深く頷くと、メモ帳をゆっくり閉じた。


「おっしゃるとおりですわ。まさにパワフルあってのミアンシー家なのです。なにか参考になりまして?」


 彼女はメモ帳を胸の内ポケットにしまうと、首をゆったり今度は左右へ。


「申し訳ありませんが。『その輪の中に入るには、時間をかけて繋がっていくしかない』ということだけ」


 それから柔らかく微笑むと、


「そう」


 エンディも明るく笑った。

 ジャンヌは椅子から立ち上がると、窓の外へ目を向ける。

 薄いレース生地のように優しい陽光が差し込んでいる。

 彼女は軽く伸びをする。


「あぁ、いい天気だ。ちょっと散歩にでもいって、それから明日出直してきます。パワフルちゃんを寝かせてあげないといけませんからね」

「そうね。それがよろしいわ」


 エンディも深く頷く。


「解決に時間がかかることはお許しください。手で触れて読むより先に、心で触れ合って読むべきでしょうから」

「もっと長引いてもよろしいのよ? 最近メッセンジャーさんがお話し相手になってくださるから、退屈しないんですもの」

「光栄です」



 ま、案件一つに時間をかけると事務所は困るみたいだけどね



 ジャンヌの脳裏にタシュの顔が浮かぶ。ザマァ見ろである。

 彼女はリビングを出る間際に振り返る。


「パワフルもまた明日」


 彼はうんともすんとも言わなかった。






「あら、メッセンジャーさんではなくて?」

「ごきげんよう、ヴェンジーさん」


 心の交流といえば、あいさつだって大事なこと。

 少し温かい、吹いているかいないかの風を感じつつ、ジャンヌはゆるい坂道を下る。


 繋がりは出会った瞬間できるものではない。

 目が合ってその気になって、少し話して知ってみて、馬が合って。

 それから『また会いたい』と思ってようやくできる。

 その繋がりを繰り返して深めていって、素敵な関係ができる。心が通じ合う。


 本来そうであるところを。



 自分は触れるだけで心が読める性質に甘えて、見失っていたんじゃないか



 彼女は少し晴れやかな気持ちだった。


 だから今回の案件はじっくり。

 読心を生業とする者として、心の本質を見つめなおすために。


『メッセンジャー』として更なる成長ができるステップとして。

 慌てずマメに取り組んで行こう。


 そう青空に誓ったところで、


「メッセンジャーさん! メッセンジャーさぁん!」


 急な大声に振り返ると、エンディがこちらへ必死に走ってくる。

 彼女はジャンヌの目の前まで来ると、手を膝に付け、大きく肩で息をする。


「どうしたんですかミアンシーさん」


 彼女の尋ね方はなんの気なしなものだったが。

 エンディは息を整えるのも忘れ、絶え絶えといった様子で声を絞り出した。



「パワフルが……、パワフルが……!」






 ミアンシー宅に戻ったジャンヌが目にしたのは、


 苦しげに短く浅い呼吸を繰り返し、横たわるパワフルの姿だった。


「ど、どうしましょう! ふと見たらパワフルが! どうしてしまったのかしら!」


 それは分からないし、何より答えるまえにするべきことがある。

 ジャンヌはパワフルを抱えて家を飛び出した。


「メッセンジャーさん!?」

「最寄りの動物病院は!」

「そ、それなら坂を下ってぶつかる大通りを右へまっすぐ……」

「急ぎましょう!」

「は、はい!」






 緩やかな坂を一気に駆け降りる。


「あぁ……、神さま、神さま……!」


 エンディの消え入りそうな声が、走ることで生まれる向かい風に飲まれていく。

 途中何度か、ゆったり漕いでいる自転車を追い越していくと


 ついに大きな建物が連なる大通りに出た。


「神さま、どうかパワフルをお助けください!」

「!」


 不意にジャンヌがピクッと立ち止まる。


「どうなさったのメッセンジャーさん!?」

「……ミアンシーさん」

「は、はい」

「右に行ったら動物病院ですね?」


 エンディの数歩先にいる彼女は、背を向けたまま話を続ける。


「ええ」

「パワフルをお願いします。私は先に行って事情を話し、処置の準備を済ませておいてもらいます」

「わ、分かりました!」


 彼女は腕の中のパワフルを、そっとエンディに抱かせると


「ではのちほど」


 そのままぐんぐん駆け出していった。











「すでに父なる神の御国へ導かれたようです」



 動物病院の待合室にて。

 お歳を召した獣医は、処置室から出ると厳かに呟いた。


「あぁ! パワフル……!」


 顔を覆い、膝から崩れ落ちるエンディ。

 ジャンヌはその背中を、ゆっくり()()()ことしかできなかった。



 処置室に入ると、

 パワフルは台の上で、ただただ静かに瞳を閉じている。


「パワフル! パワフル……!」


 立っていられないエンディを支えながら、

 ジャンヌは小さく、誰にも聞こえないような声で呟いた。


「おまえは立派な犬だったよ、パワフル」






 その後ジャンヌは、どうにか崩折れたエンディと重たくなったパワフルを連れ帰ったが。

 正直あまり道中のことは覚えていない。

 どう抱えたかも、何を話していたか、いなかったかも。


 はっきり記憶があるのは、エンディがパワフルを彼愛用の寝床に横たえたあたりから。

 彼女はジャンヌに背中を向けたまま声を絞り出した。

 震えてはいるが、涙声ではない。


「メッセンジャーさん、今日はまだ帰らないでくださる?」

「はい」


 証拠を示すようにジャンヌは食卓の椅子に座る。

 エンディはこちらに顔を見せないようにしながら台所へ向かう。


「でしたらお茶を淹れましょう。お客さまがいるんですもの!」


 彼女はテキパキ準備をしながら早口で話す。

 ジャンヌに話し掛けるというよりは、独り言のように。

 何かしゃべり続けていないと、別の何かが溢れ出してしまうかのように。


「そういえばパワフル、今朝は全然吠えなかったわね」

「そうですね」

「寝てないから眠いとかではなくて、もう体が限界だったのね」

「無理をさせてしまいました」

「あなたのせいではないですからね? にしても、ごめんなさいねメッセンジャーさん。あの子の心を読んでもらうために依頼させていただいたのに、先に死んでしまうんじゃあね」


 ここまで早口で、やや大声ですらあったエンディだが。

 炉に着火すべくマッチを灯した瞬間、


「にしてもパワフルったら、どうしてまた急に。やっぱり年かしら」


 火を見て流れが途切れたか、ポツリとつぶやく。


 すると、さっきまで静かな相槌を打つにとどめていたジャンヌが、


「ミアンシーさん」


 ようやくはっきりした声を出す。


「なんでしょう」


「実は、『急に』ではないんです」


「えっ?」



「パワフルちゃんの体調が崩れたのは、ちょうど彼が人に吠えるようになったころでした」



「……なんですって?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ