3.お友だちになりましょう
夕方ごろ、ジャンヌはミアンシー宅に戻ってきた。
エンディは玄関まで飛び出して彼女を迎える。もちろんパワフルも迎撃に来る。
「すいません、本当にすいません!」
「ババガガーッ!」
「パワフル! すいません。それで手の方は」
「縫いましたね……」
「まぁ大変! 本当に申し訳ないわ。それと、病院のお代金は」
「経費の方で落ちますので。とりあえず今はお忘れください」
ジャンヌは露骨に落ち込んでいる。
右手は包帯でグルグル巻きだし顔も青い。
が、エンディの方はもっと落ち込んでいる。
「本当は病院にだってお送りしなければならないのに。主人がいませんと車が」
「あぁお気になさらず」
彼女を励ますべく、怪我をしたジャンヌの方が明るい声を出す。
「何せ私には」
彼女はチラッと視線を横へ向ける。
「アッシーくんがいますからね」
「アッシーくん」
「そう」
エンディも釣られて見たそこにいるのは
「ほう、君がメッセンジャーくんの手を噛んだ犬か。私の大事な大事なメッセンジャーくんを」
「ハーッ!!」
パワフルと睨み合う、
アーサーである。
ジャンヌが手を噛まれ、ミアンシー宅を飛び出したとき
『どうしたんだメッセンジャーくん!』
『キサマ、なぜここに!?』
『言い方!』
なんと表に車が止まっており、アーサーがいたのだ。
この男、送迎は不要とフラれたにも関わらず、
『君のことが気になってね。時間もあったから様子を見に来たのだよ』
もはやストーカーである。
「どうしてくれようかね」
「おやめください伯爵。あなたが噛まれたら問題がややこしくなる」
「確かに。人のペットが殺処分になるのはな」
「そうならないように、あなたを殺処分しなければ」
「おかしいね?」
「でもあっちの方が人畜無害ですし」
「噛む犬以下か」
「遊び人ですし」
「そういえばっ!」
話が不穏になってきたので、エンディが割り込む。
「噛まないと言っても、吠えられているのに触ろうとする方はいませんでしたわ」
「まぁ、普通はそうでしょう」
ジャンヌはパワフルの方を見る。
「ファファウ!」
「……今日の様子では左手も使えなくなってしまいます。明日にしましょう」
「そうですわね、それがよろしいわ」
「グワォウ!」
エンディの方もテンションが下がってきたようだ。パワフルだけがフルスロットルである。
また噛まれても困るし、
なによりジャンヌはもう家に帰って、何も考えずゆっくり寝たかった。
「では私が送っていこう」
「却下」
夜のウォースパイト通りは帰宅ラッシュと夕飯を求める人々で溢れている。
高給取りの多い街だけに、レストランも値の張るところが多い。
しかし表通りを外れて探せば、具合のよろしいパブだってある。
「災難だったねぇ。でもそれはジャンヌも迂闊が過ぎるよ」
「我ながらそう思います」
ジャンヌとタシュは窓際のテーブル席で向かい合っている。
利き手を怪我した彼女は、家に帰ったとて夕飯を作れない。
そこで外食で済ませることにしたのだが。
それを聞き付けたタシュが奢ってくれることになったのである。
『お嬢さん、ディナーデートはいかが?』
と手を差し出してきたときには、
『屈辱です』
と、はめていない右の手袋を投げ付けたものの、結局は奢ってもらうことにした。
アッシーくんの次はメッシーくんである。
「いやしかし、見知ったお客には吠えないんだろう? 犬が知らない人に吠えるなんて、よくあることじゃないか」
タシュはポテトにヴィネガーをドバドバかける。
「それが今までは吠えなかったわけですからね。急に宗旨替えしたから気にしてらっしゃるのです。おまけに初めて人を噛んだ」
ジャンヌは現状ナイフとフォークの組み合わせが使えない。
なので羊の肋肉のローストを、骨部分を持って食べている。
さすがに脂が付いては困るので手袋はしていない。
「君の手がテニスボールに見えたんだよ」
「むくんでいると?」
彼女はタシュのポテトにサルサソースをぶち撒ける。
「僕のポテトが! なにすんだよぅ」
「とにかく理由が老いであれ『犬なんてそんなモン』であれ。依頼されて代金をいただくからには、触れて何かしらの結論を得なければなりません」
「でも触ろうとしたら噛まれるんじゃなぁ。うわ、辛い」
ポテトを食べるペースが露骨に落ちる。。
「まったくです。辛い」
「まぁまずは仲良くなるしかないね。馴染みの客には吠えないのなら、馴染みのジャンヌにならないと」
「その分案件が長引いて、仕事が滞りますね」
まぁ私は困らないがね?
と言わんばかりの表情で、ジャンヌは肉を豪快に喰いちぎる。
この方ずっと手袋に守られてきた、白く繊細な指先。
ハリとツヤのある若い唇。
それらが脂で光るのを、タシュはじっと見ている。
「なんか、エロいよね」
つぶやくのとほぼ同時。
恐るべき反応速度で彼の手の甲に羊の肋骨が突き立てられる。
「痛ぁい!」
「次食事に誘っても、受けるとは思わないことです」
ジャンヌは指先と唇をナプキンで拭う。
タシュは涙目で右手をさする。
「まずは僕と仲良くなりませんか?」
「パワフルと仲良くなるのが簡単に思えてきました。ありがとうございます」
さっきからポテトはまったく減っていない。
翌朝も玄関の向こうから、
『ギャギャウ! アアウ!』
元気を通り越した叫びと、反応したエンディが走ってくる音がする。
「おはようございます。ようこそ来てくださいました」
彼女はちらっとジャンヌの右手へ目線を走らせる。昨日のことを気にしているのだろう。
噛まれたからお宅のワンちゃんは拒否します! なんて、あり得る話だ。
「ドアノッカーを叩かなくてよいので便利ですね」
相手に気を遣わせない雰囲気にするため、ジャンヌは軽口で会話を開く。
「本当、パワフルなんて名付けたからこうなったのかしら」
向こうも意図を汲み取ったのだろう、頬に手を当て大仰なため息をつく。
「そうでしょうそうでしょう。私も母が男性名などと付けるものだから、こんな顔に育ちましたよ」
「あらまぁ、でしたらお母さまに感謝しませんと。美人さん」
ジョークを交わしながら、今日はリビングに通してもらったのだが。
もちろんそのあいだもギャンギャンが止まることはない。
先日は応接室だった。
それを今回、わざわざリビングに通してもらったのは他でもない。
『パワフルと仲良くなる作戦』のためである。
タシュの助言どおり、まずは噛まれない関係を築く。
そのため今日はパワフルがリラックスできるリビングを指定。
彼と心ゆくまで遊び尽くすのだ。
さっそくジャンヌが繰り出したのは、ウサギのぬいぐるみ(経費)。
「サニー・バニー(命名ジャンヌ)だぴょん、仲良くしてね♡」
タシュが見たら横隔膜がトリプルアクセルして死にそうな地獄。
裏声で揺さぶられ、頭を小刻みに振る不審な何かがパワフルへ接近する。
しかし彼はアゴまで床に着けて伏せった体勢で一切興味なし。
ふいっと顔を背けてしまう。
「このっ、無駄な抵抗はやめておとなしく友だちになるぴょん!」
しかしバニーも正面に回り込む。
自慢(ジャンヌ設定)の長い耳が、鼻先に触れるかどうかの間合いに入ると
「ガフ」
「あ゛ーっ! ぴょん!」
ジャンヌ自身は噛まれていないが、ウサぐるみの耳がガッツリいかれている。
「イヤー! ヤメテー! 話せば分かる」
ジャンヌがなおも裏声で、キャラに徹して悲鳴をあげていると
ブチブチッ
「ヴァーッ!」
サニー・バニー、殉職。
先は長そうである。




