表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/134

2.温厚な人物は目立たない、ということもある

「どう? ジャンヌ」


 タシュは彼女の顔を覗き込む。

 しかしジャンヌはまともに目も合わせず、便箋を突き返す。


「どう、もなにも。仕事を受けるかどうかはいつも、あなたが決めていることではありませんか」

「僕はすばらしい雇い主だからね。君の意思も確認しておきたいのさ」


 キス顔で迫るタシュに、ジャンヌは箪笥の上にあった鹿人間を身代わりにする。


 一方キス顔はしないが。

 逆方向から至近距離まで迫るのはアーサー。


「私の送迎が必要かな?」


 対するジャンヌは、


「ロイヤルオークは鉄道で行った方が早いので」


 デスクにあった新聞の、財務大臣の顔写真で蓋をした。






 それから数日経った朝。


 ロイヤルオーク市は緑豊かな住宅街である。

 特にリタイア世代が余生を過ごすのに人気。


 そのなかでハーキュリーズは、なだらかな丘を中心とした一区画。

 平坦な『ウォースパイト通り』のジャンヌには新鮮な光景が多い。

 普段なら自転車の若者なところ、今日は手押し車の老人を尻目に


 中腹まで来ると例の家はあった。

 ツタや窓際の観葉植物が映えるオレンジの壁。

 街全体の雰囲気を象徴しているかのよう。


「さて」


 ジャンヌがドアノッカーに手を伸ばしたそのとき、


『ワンワンバウワウ!』


 玄関の向こうから。

 鼓膜に凄まじい咆哮が叩き付けられる。

 それを皮切りに


『こら、やめなさいパワフル!』


 という女性の声と、パタパタ走ってくる足音が届く。

 もちろんそのあいだも


『バウガウアーッ!』


 と怒号が絶え間ない。

 ジャンヌは細かく聞き分けた自分の耳を、少し誇りたい気持ちにすらなった。


 彼女の脳が先制パンチの情報量で処理落ちしかかっていると、


「すいませんね、うちの子が……。どちらさまでしょう?」


 ゆっくり、その速度が申し訳なさの象徴かのようにドアが開く。

 現れたのは、


 決して若いとは言わないが。

 道中見かけた人々よりは年を食っていない、栗毛の女性。


「『ケンジントン人材派遣事務所』から参りました。『メッセンジャー』のジャンヌ=ピエール・メッセンジャーです。エンディ・ミアンシーさんですね」


 エンディは目を丸くする。


「まぁ! あなたが『メッセンジャー』さん? ようこそいらっしゃいました! ささ、上がってください」


 彼女が手で促すと、ちょうどその先に


「バババワウ! ガウ! ワウ! オウ!」

「……」


 茶色い猟犬系中型犬。

 あまりの剣幕にエンディは顔を覆い、ジャンヌは鼻から深く息を吸った。






 エンディの案内で廊下を歩いている最中もパワフルは付いてくる。

 名のとおりパワフルに、ジャンヌの足元をグルグル回りながらパワフルしている。


「この子がパワフルちゃんですか。名は体を表すようで」

「ヴルルル……」

「はい、お恥ずかしながら……。手紙にも書いた通りのありさまでして。玄関ま」

「ガーッ! バーッ!」

「え?」

「玄関まで聞こえていたでしょう!?」

「ええ、お陰で迷子にな」

「ガガガハゥアッ!」

「すいません、よく」

「『迷子にならずに来られた』とすぐ分かりました!」

「それはよかった!」

「ギャウギャウ! グイングイン!」

「……」

「……」

「……こちらが応接間です」

「どうも……」






 エンディが紅茶を淹れに行くと、パワフルは静かに付いていった。

 が、彼女と一緒に戻ってくるとまた、嵐のように吠えだす。


「オンオォンオン!」

「こらパワフル! 部屋の外にいなさい!」


 彼女がパワフルを部屋から締め出すも、まだドア向こうから


『アゥアッ! カーッ!』


 という怒号と、ドアを足で叩く音がする。


「……」


 テーブルを挟んで向かいに座った顔が八の字眉で固着する。

 ジャンヌは話を振って、気分を変えさせることに。


「改めまして。『ケンジントン人材派遣事務所』のジャンヌ=ピエール・メッセンジャーです」

「私がエンディ・ミアンシーです。それにしてもメッセンジャーさんが『メッセンジャー』さんなんて。こちらも名は体を表しますのね」

「雇い主の命名でして。愚かなもので」

「あらまぁ」

「ふふふ。ではご依頼内容ですが。『なぜ利口で吠えなかったパワフルちゃんが吠えるようになったか知りたい』と」


 ジャンヌがメモ帳を開き確認すると、笑っていたエンディの眉がまた少し下がる。


「えぇ、それも数ヶ月前から急に……」

『ウォン! ウォン! ハーッ!』


 話を補強するように、ドアの向こうから絶え間なく雄叫びが響く。


「確かパワフルちゃんは老犬だとか」

「はい、もう11にもなりまして。それが何か」


 ジャンヌはメモ帳に11と書き込む。


「いえね、たくさんのお客さまやペットとご縁があった経験からなのですが。どうも人間も動物も、年を取ると気が短くなる。病院へ行ってごらんなさい。横柄な患者は年寄りが多い」


 そもそも病院は年寄りが多いのは内緒である。


「そういうものですか」


 しかし彼女流のジョークも、品のいいマダムには今一つウケなかったようだ。


「……そういうものです。つまりなにが言いたいかというと」


 ごまかすためではないだろうが、ジャンヌはメモ帳を閉じる。



「『心理を読み取ったところで、加齢が原因であれば解決は難しい』ということです」



「なるほど……」

「そもそも『私加齢で気が短くなっているの』なんて自覚する生き物はいないので。それを読み取ること自体難しい場合がほとんどですが」

「生き物ですものね。仕方ないということもありますわね」


 エンディはゆっくり頷くと、


「はい。そのときは『私の元でこんなに長く生きてくれたのね』と、優しく受け止めてあげてください。それをご理解いただいたうえで、心理的要因があるのかを読ませていただきます」

「分かりました」


 少し寂しそうに笑った。

 それは飼い主としての、パワフルの家族としての覚悟に満ちた笑みだった。

 ジャンヌもそれを慈しむように頷くと、


 右の手袋のホックを外し


「ではそろそろ始めましょうか」


 部屋のドアを手で指す。

 促されたエンディがノブを回すと、


 待ってましたとばかりにパワフルが部屋へ飛び込んでくる。


「ワンワンワンワンバオバオバオバオ!」


 パワフルはテーブルに上がり、ジャンヌの真正面を陣取って吠え掛かる。


「こら、パワフル! おりなさい!」

「ふふ、ずいぶんと嫌われたものですね」


 彼女は余裕そうだが、エンディは申し訳なさそうに目を伏せる。


「すいません。ただ、馴染みのお客さま以外はこうなってしまうので。あなたが特別嫌われているわけではないのですよ」

「そうあってほしいものです」


 ジャンヌは彼女に軽く笑い掛けると、視線をパワフルへ戻す。


「この子、噛みますか?」

「そんな! 生まれてこの方、食事とテニスボールしか噛んだことはありませんわ!」

「それは安心」



 なら君がいくら吠え掛かろうと、私は受け入れよう……



 ジャンヌは美しく気高い慈愛に満ちた微笑みを浮かべ、

 そっとパワフルへ手を伸ばし……



「ガフ」



 ガブっ。


「あっ」

「あっ」



 あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!



 老人に人気な閑静な住宅街。

 のどかな午後を若い絶叫が引き裂いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ