10.ジャンヌの審判
その後ジャンヌが部屋で荷造りをしていると、
「メッセンジャーさん!」
ステファンが飛び込んできた。
「女性の部屋に入るのならノックはするべきですよ」
「あぁ、いや、失礼」
彼女は一瞥もせず、ベッドの上で開いた旅行カバンに荷物を詰める。
一流の使用人たる彼が初歩的なマナーを忘れるほど。
相当取り乱しているのだろう。
「それで、なんのご用でしょうか?」
衣類を詰めたジャンヌは、次に香水やら細々したものを取る。
非礼を指摘され、1歩引いていたステファンだが。
話を向けられて2歩前へ出る。
「先ほどブライアンさまよりお詫びの言葉を頂戴いたしました。『疑って悪かった』と」
「よかったではありませんか」
「しかしですな」
彼はさらに詰め寄り、ついには彼女の隣まで来る。
「こうもおっしゃられました。『あとはメッセンジャーさんが回収に向かってくれる』と」
「この50年で渡航制限は緩和されていますからね」
「そういうことを言っているのではありません!」
ステファンは少し声を荒げる。
が、それはお門違いと思ったのだろう。
代わりに少ししょげた声を出す。
「黙っていては、くださらなかったのですね」
「えぇ」
ジャンヌは軽く頷く。
彼の話を聞いていたにしては、淡白な反応をする。
「確かに社長のやっていることは間違っていません。というか、そもそも遺産は故人の遺志が優先されるべきではあります」
「ならなぜ」
「ですが私は、ご遺族から依頼されている側の人間ですので。そして何より」
ここで彼女はようやくステファンに目を合わせる。
大事なことだと言い含めるように。
「いくら王国がキディーブに悪事を働いたとしても。社長がタータさんを大切に思っていても。ご遺族に争いの責任があるわけではない。また、事実として長年彼を支え続けたのは彼女らです」
ステファンの口がキュッと引き結ばれる。
「なので、ご遺族がその割を食うのはおかしい。遺産についてもいくらかの権利があるはずです」
「それは……」
「私は当事者ではありませんが、多少は分かるつもりです」
ジャンヌは旅行カバンを閉じると、ベッドに腰を下ろす。
「私の父も戦争で死んだそうです。20年ほどまえ、共和国がまだ帝政だったころ。まだいくつかの王国に分かれていた帝国との戦争です」
「! それは」
「私は稼ぎがいいので、離れて暮らす母に仕送りをしています。が、帝国の知らない人がそのお金を負担すべきとは考えない」
「そう、ですか」
「戦争は虚しい。こんなところにすら、何も残さない」
ステファンもここまで言われては、さすがに食い下がらない。
「そうですか。そうですな。善意とエゴを履き違えてはならない」
ただ少し寂しげに微笑んで、足は1歩退がった。
そこにジャンヌは
「40数年です。あなたも社長も、そろそろ償いから解き放たれてはいかがでしょう」
優しく微笑み、
翌日キディーブへ出発。
およそ二週間後に戻ってくると、
無事マルクス一家に遺産が相続されることを告げた。
こうして今回の依頼は無事終了し、ジャンヌはカレイジャスをあとにし、
ほどなくしてステファンもマルクス家を去っていった。
「ジャンヌもナッツ食べるかい?」
ところ変わって、朝の『ケンジントン人材派遣事務所』2階。
「いえ、結構」
ジャンヌがカレイジャスより帰ってきてから、もう一週間ほどが過ぎようとしている。
「私はもらおうかな」
「おまえにはやんねーよ。ジャンヌが僕にくれたお土産だぞ」
「港町へ行ってお土産がどこでも買えるナッツ缶とはな」
「僕の大好物だからいーの!」
「シーソルトですよ。どこでも買えるとは失礼な」
今日もソファなアーサーの発言へ、デスクで紅茶片手に反論するジャンヌだが。
やや平板な調子なのは、本人も言うほど真面目に選んでいない自覚があるのだろう。
しかしタシュは幸せそうなのでよしとする。
「あ、そうだジャンヌ。君にお手紙が来てるよ」
「私にですか。事務所ではなく」
「そう。君宛て」
するとジャンヌはアーサーと目を合わせ、それから首を左右へ振った。
「やれやれ。ついに事務所ではなく私個人の活躍として世間に広まりましたか」
「これで中間マージンを啜る寄生虫も不要になったな。メッセンジャーくん、独立開業したまえ。私がパトロンになろう」
「そんなことさせないぞ! 金に目が眩んで僕の愛を失ってみろ! 絶対後悔するぞ! 具体的には思いつかないけど!」
ひとしきり騒いだところで、タシュは咳払い一つ。
「ほら、中を確認しなよ」
ジャンヌへ封筒を渡す。
彼女は蝋止めされたそれをナイフで開くより先に、差出人の名前を確認する。
するとそこには、
「おや、“ロブ・スティーブ”」
「ていうと、アレかい?」
「えぇ。先日の依頼でお会いした、元マルクス家家令のロバート・ステファン氏ですね」
「上下とも愛称になると、もはや別人だな」
「わざわざ手紙を寄越してくださるとは」
ジャンヌは引き出しから小さいナイフを取り出し、鼻歌混じりに開封へ移る。
その一方で男たちは、
「あの案件かぁ。ジャンヌの判断にケチ付けるわけじゃないけどさ。まぁ人情としては、タータちゃんに相続させてやってほしかったよね」
「ステファン氏のポジショントークはあるだろうが、又聞きしている私でもそう思う。彼にはよっぽど無念なことだったろう」
「あれ? てことは、結構ジャンヌのこと恨んでるんじゃないのか?」
「少なくとも、親しく手紙を送り付けてくるような関係にはなるまい」
「もしかして恨み言とか呪いの言葉とか書いてあったり?」
「カミソリが入っていたり?」
「「ひえ〜っ!」」
「アンタら仲いいね」
修学旅行の夜みたいなテンションで盛り上がる二人を、ジャンヌは無感情に評する。
するとアーサーは真面目な顔になって彼女の方へ体を傾ける。
「そういえばな、メッセンジャーくん。私はあの案件について、いまだに一つ分からないことがあるんだ」
「私がなぜタータさんに相続させなかったか、ですか?」
「いや、そういう『価値観の理解に苦しむ』という意味じゃない」
「ではどういう」
ジャンヌは淡々と封筒の中身を抜き出す。
タシュが覗こうとデスクから動くなか、アーサーは話を続ける。
「君が依頼の最後の方でやった、『遺産の在処が分かったので回収に向かう』というヤツだ」
「それが何か」
「うわっ、危なっ」
彼女は寄ってきたタシュを鹿人間の木像の角で迎撃している。
「君はそれをしにキディーブまで行ったんだろう?」
「えぇ」
「おかしいじゃないか」




