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5.ケガの功名ならぬ光明

 その後もジャンヌはあの手この手を仕掛けた。



 早朝から


「ステファンさん! メイドの方が洗濯するとおっしゃていましたので! 手袋を回収に来ました!」

「手袋だけ?」


※なお本来は寝起きの判断力が鈍っているところを狙う計画だった。

 が、一流の使用人の方が朝が早かった。






 昼には


「ああっ! ついうっかり手が滑って大事な大事な兄の写真入りロケットペンダントが庭の池の中に落ちてしまった! どうしよう! 取りに行きたいけれど深さとか入っていいのかとかが分からない!」


「大丈夫ですか、ポルナレフさん」

「ステファンさん!」

「私が回収いたしましょう」

「本当ですか!? ありがとうございます!」


 さぁ! 手袋を外して水の中に手を突っ込め!

 これも仕事だ、悪く思うまいな!


「では手網を取ってきましょう。アレなら底まで届きます」

「」



「どうした? ミスター・ケンジントン」

「今、なんかジャンヌにすっごく()()()()に扱われた気がする」

「なんだ、いつものことじゃないか」






 夜も


「ステファンさん、もうお仕事は終わりですか?」

「ポルナレフさん。いえ、食後の小休止ですな。使用人には厳密な終業時間というものはないのですよ」

「そうですか。でしたら一局だけ、()()()の相手をしていただけませんか?」

「私でよろしいのですか?」

「セシリーは『もう疲れた』と」

「承知しました。実は私も野戦盤は大好きでしてね」


「よろしい! では手袋をお投げなさい!!」


「えぇ……、それは遠慮しておきます」



 しかしどれも、一流の使用人たる牙城を崩すには至らなかった。






 明くる日の朝、朝食を終えたあと。


「うぅ〜〜〜〜〜む」


 ジャンヌはあごに手を当て、眉根を寄せて広い庭を散歩している。


 あれこれやってはいるのだが、どれも絶妙に届かない。

 本人が絶妙にと持っているだけで、絶望的に届いていない。


 やはり向こうも必要があって手袋をしている民。

 迂遠なやり方では剥がすことができない。

 ジャンヌのは迂遠なのではなく的外れなのだが。



 いっそ警察が犯人探しでやるときのように、ブライアンあたりが


『ステファン! キサマ怪しいから「メッセンジャー」を呼んだぞ! これで読心してくれる! 手を出せ!』


 とかやってくれれば早いのだが。


 しかしマルクス家としては、できるだけ秘密裏に遺産の行方を暴きたいらしい。

 家令に横領されていた、というスキャンダルを避けるべく、


『別の口座に保管されていたのを見つけた』


 かたちにしたいのだろう。



「こうなれば強硬策……いっそ『お背中流しに参りましたぁん♡』とか……いや変態じゃねぇか」


 彼女の隣には生け垣エリア。

 いかにも金持ちの庭でイメージされる、大規模で迷路みたいになっているやつ。

 今のジャンヌの心理そのものである。


 中ではメイドが一人、サンザシに水を撒いている。



 私の悩みにも手を差し伸べてくれ〜



 ジャンヌの脳も、ついに張り詰めるには限界が来た。

 抜けたことを考えながら、なんとなく視線をあげると



「おーよしよし、怖くないぞぉ」



 悩みのタネ、ステファンが脚立の上にいる。

 どうやら庭木に登って降りられなくなった猫を救助しているらしい。


「……いい人なんだよなぁ」


 ジャンヌはボソッとつぶやく。


 ここまで彼女はハッキリ言って、手袋を外させるため彼に迷惑を掛けた。

 しかしそのたびステファンは嫌な顔ひとつせず、甲斐甲斐しいまでだった。


 ジャンヌも何も、

『あんないい人が横領なんかするはずない!』

 とは言わない。


 そういう仮面を被る人もいれば、

 よき家庭人が戦争では人を殺せることも知っている。



『夫の浮気なんか分かった日には虚しいだけ』



 などとアーサーに(のたま)ったが。

 暴いて虚しいのは彼女の方かもしれない。


 思考が停止したジャンヌ。

 ぼんやりステファンと猫の行方を見守っていると、



「ああっ!」



 急に背後からメイドの声が。


 何事かと振り返った彼女の眼前に、



 迫るジョウロ。

 ぶち撒けられる水。



「ぎゃっ!」


 急に視界を奪われるだけでなく、人間基本的には顔が濡れるのを嫌う。

 予期せぬダメージに彼女がよろめくと、


「あ痛っ」


 体が何かにぶつかった。

 その直後、



「おおおおぉぉ!?」



 頭上から慌てふためく声がする。


「え?」


 ジャンヌが視界も戻らないまま反射的に顔を上げると、


「逃げっ!」

「へ?



 ぐえっ」



 そこに何かが降ってきて、彼女は下敷きになった。






「いやぁ、申し訳ありません、ポルナレフさん」


 それから数分後。

 使用人たちの休憩室にジャンヌはいた。


 目の前には数人掛けのソファがあり、

 ステファンがうつ伏せになっている。

 ジャンヌはその隣に一人用の椅子を持ってきている。



 言うまでもないと思うが、あのとき降ってきたのは彼である。

 水でよろめいたジャンヌがピタ◯ラスイッチ的に脚立を倒したのだ。


 幸い彼女は鼻血が出たくらいの軽傷で済んだのだが。


 ステファンは老齢の身にして腰を強打。

 治療が必要になったのである。


「私のせいで怪我をしてしまって。ただでさえ()()()()()()ことなのに、老いた男の下敷きとはもう」

「いえ、私の方こそ脚立を揺らしてしまって。ちょっと違えば危ないところでした」

「あなたは悪くありません。水を掛けられただけなのですから。玉突き事故です」

「であれば、あなたもそうですよ」

「ははは、そう言っていただけると」


 ペラペラと受け答えをしているジャンヌだが。


 実はほとんど脊髄反射、彼女の脳内はそれどころではなかった。


 何せ、


「ではステファンさん、膏薬を塗りますね」

「いやぁ、本来は自分か家の者にやらせるべきところを」

「いいっこなしです。塗らせていただければ、私も埋め合わせができたと安心する」

「では喜んで」


 ジャンヌは手袋を外した右手に軟膏を取り、

 左手でステファンのシャツを捲る。


 (あらわ)になる、さすがに若くはない肌の背中。



 このタイミングで、というのはさすがに申し訳ないけど

 私には『渡りに舟』だ



 人生でこれほど老人の生肌に興奮することもないだろう。

 ジャンヌは少し唾を飲むと、



 その背中に触れた。

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