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1.汚い狭いロクでもない

「私は君を選ぶことにしたんだ。メッセンジャーくん」



「……は?」


 昼中の路上、『ケンジントン人材派遣事務所』前。

 ジャンヌ=ピエール・メッセンジャーは耳を疑った。

 話を半分聞き流していたので、聞き間違えたのかとすら思った。


 しかし、目の前の彼が嘘や冗談を言っているようには思えない。


 彼女は不意打ちを喰らった頭でなんとか、ここ数日の記憶を掘り返す。



 いったいどうして、こうなったんだっけ


 と。


















 朝から馬の蹄で石畳を叩く音がする。

 近ごろは金持ちが車のモーターを叩き起こす音も。



 ここは王国の首都キングジョージ。

 その一等地『ウォースパイト通り』。


 高級住宅にカンパニーの本社。

 星付きレストランや移動屋台。

 薬局からアンティークショップまで。


 暮らしに関わるものはひと通り揃った、美しく騒がしい街。



 そのまた一角、大きな十字路の流れ。

 場所としては申し分ない、あえて注文を付けるなら


『十字路の角を取れたらよかったね』


 くらいの好立地。

 しかしながら、左右のチーズ屋とブティックに圧迫されているかのような


 妙に細長い三階建て。


 真っ青なレンガが美麗な以外、建築物としてなに一つ魅力がない建物を

 臙脂にストライプのスーツを着た女性が見上げている。



 彼女はジャンヌ=ピエール・メッセンジャー。



 手袋に包まれた右手には書類カバン。

 見上げている看板は『ケンジントン人材派遣事務所』。


「はぁ」


 ジャンヌはため息をつくと、郵便受けに差し込まれた新聞と手紙を抜き取り、


 ノブを回してドアを開く。






 1階は受付。無人のカウンターには呼び鈴があるのみ。

 人を待たせることは織り込み済みで、椅子がゴミ捨て場のように置いてある。

 残ったスペースは観葉植物と、


 中身は空っぽ、捨てていないだけの木箱が圧迫している。


「う」


 ジャンヌはハンカチで鼻と口を覆ってから奥へ踏み込む。

 床の軋みとともに舞ったホコリが、ドアから差し込む光でキラキラ、キレイ汚い。

 朝とはいえ、夏に閉め切られた空間特有の濁った空気が引き立てる。


 窓を開けると仄暗いカウンターにも光が差す。もちろんそこにもホコリが溜まっている。

 治安の悪いパブでももう少し清い。


 彼女は胸ポケットから万年筆を取り出すと、キャップを外さずホコリに


狭い(worran)


 と書いた。






 2階に上がると事務所スペース。

 ここは小綺麗に掃き清められていて文明を感じる。


 なにせジャンヌ自身が丁寧に掃除しているのだから。

 本来彼女の担当ではないのだが。


 入ってまず目に付くのは、こちらに背を向けた来客用のソファ。それとテーブル。

 美しいビロード絨毯の上に鎮座している。


 そこに座って右手側と、テーブルを挟んで正面にデスクが二つ。


 内壁は青レンガと違い、白木が張られて落ち着いた雰囲気。

 お洒落な食器棚は収まりがいい。ガラス戸の向こうのティーセットやサイフォンもいい感じ。

 観葉植物も映える、狭い以外完璧な世界。

 ジャンヌが作り上げた夢のジオラマ。


 ただ一つ



 ただでさえ狭い空間の隙間を埋めるように、

 謎の民族的オブジェが乱立していることを除けば。



 足の踏み場もない空間を、隙間を縫うように移動し、

 ボゼゼとかいう東洋の風変わりな神を模した巨大な仮面をどかせて、


 ようやくジャンヌは壁際へたどり着き、カーテンと窓を開ける。

 次に3階へ続く階段の手すりを、


 カンカンカンカン!


 壁に立て掛けてあったステッキで叩く。

 木で木を打つ小気味よい音がする。


 それから少し経ってからだった。

 3階で人が動く物音がするのは。






 ジャンヌがソファ右手側、自分のデスクで紅茶を飲んでいると、


 3階から若い男が降りてきた。



 タシュ・ケンジントン。

『ケンジントン人材派遣事務所』の代表であり、ここに住んでいる男。


 目も眉も少し下がり気味で、口角がニヤリと上がった顔付き。

 非常に軽薄な印象を与えるが、生得のものなのでどうしようもない。

 下はヨレヨレなグレーのスーツ。上はジャケットを羽織らずベストでノーネクタイ。

 軽い感じを増幅させるが改める気もない。


 加えてジャンヌは彼を軽薄な奴だと思っているので、なにも問題はない。



「おかえり、ジャンヌ」

「ただいま、ミスターケンジントン」

「他人行儀だなぁ。僕と君の仲じゃないか」

「チッ」

「うわぁ、舌打ちした。怖いなぁ」


 中性的以上に鋭い視線が向けられるが、

 まったく怖がっていない様子でタシュは身を乗り出す。


「で、どうだったのさ。ミタミブル家の案件は。土産話でも聞かせてよ」

「たいした話はありませんよ。小遣い目当てで寝たメイドが約4,000円(20パウンド)しか貰えず激怒」

「へぇ」


 彼は笑いながら3階へ戻る。


「そりゃ確かにしょうもなさすぎて、動機が判明しやしないね」


 と思えば2階に降りてくる。

 手にはトレー、その上に食パンとチーズと牛乳瓶。


「それでも取っ掛かりにはなりますし。刑事さんは大喜びで、入金もちゃんとされていましたよ」

「さすがウチの稼ぎ頭だ」


 タシュは牛乳瓶の蓋を開けながら笑うが、


「……」

「どうしたのジャンヌ? なにか気に障った?」

「いえ」


 彼女はため息をつくと、二人きりの狭い事務所を見回した。



「稼ぎ頭もなにも、実働部隊は私しかいませんが」






 ジャンヌが新聞を読んでいるあいだ、タシュは手紙を読んでいる。


「君、鉄骨を運ぶ気はあるかい?」

「あなたの遺骨ならいくらでも捨てにいきますよ」

「じゃあナシで」


 タシュは便箋を机の端へ追いやる。


 仕事を選ぶのが、この事務所における彼の数少ない仕事である。


 時に手紙、時に電話、時に来訪する客の依頼を聞く。

 そこから仕事を受けるか判断。

 適宜唯一の所員であり人の心が読める『メッセンジャー』ジャンヌを派遣する。


 あとは役所に届ける書類くらい。本当は掃除も彼の仕事。


「『好きなあの子の気持ちが知りたいです』ってさ。これは受けよう」

「お金を払って依頼することですか?」

「そうまでしても知りたいんでしょ」


 そのため受ける案件は基本的に、ジャンヌのスキルを活かせるものが中心となる。

 よって小さい案件でも受けることはあるし、逆に先ほどの工事現場のような。


 事務所の売り文句も確かめていない。

 『人材派遣』の部分しか読んでいないような依頼はお断り。


「友人に頼めばタダなのに」

「友人に好きな人を知られたくないタイプもいる」

「あなたも?」

「ジャンヌ〜♡」

「うわ」


 ジャンヌがキス顔で迫るタシュをボゼゼ仮面でガードしていると、


 キンコーン!



 1階の呼び鈴が鳴った。


「お客さんだ。いいところなのに」

「早く行け事務員」


 ジャンヌはタシュを蹴った。






「ささ、こちらへどうぞ」


 ややあってタシュが連れてきたのは、


「そちらのソファへお座りください」

「ありがとう」


「おや」

「どうしたのさジャンヌ。まさか見惚れてるのかい? ダメだよ、僕以外の男に」



 スラッと伸びた体躯の上には整った顔。

 うなじに掛かる金糸、長いまつ毛に挟まれた二つの翠玉。

 美術品のような若い男である。

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