2.カレイジャスよいとこ
キングジョージは王国の南部に位置している。
が、それよりさらに南。
もっというと、南端の一辺の港町。
そこが今回の依頼人の住まう、シーシュース市はカレイジャスである。
海沿いの路線で、車窓から朝の陽光照りかえす水面とカモメを楽しみつつ。
駅に到着したジャンヌが改札を抜けると、
そこは港のほど近くだった。
海産物や輸出入が主な産業であるため、輸送用にはこの方がいいのだろう。
左手に船乗りや魚市場の人々が半ば歩行者天国しているのを眺め、
それから右へ目を向けると、今彼女が面している目抜き通りを中心に
なだらかな丘を登っていくように、南欧風の街が展開している。
つまりは街全体が緩やかな坂。
ジャンヌは遠くを見据えている。
「……なぜ金持ちは高いところに住みたがるのか。老後に坂を登り下りしなければならないのに」
彼女自身はまだ若いので、そこまで関節に堪えたりはしないが。
夏真っ盛り。
しかも街並みが示すように温暖な気候らしく、霧雨の多いキングジョージとは大違い。
直射日光に炙られるのも段違い。
「日傘でも持ってくればよかったでしょうか」
さすがにこの日差しでハイキングは勘弁願いたいな
ジャンヌが右手を眉に当て、目元に影を作っていると、
その坂を下って、一台のモーターカーがやってくる。
丁寧に速度を落として彼女の前で停止すると、
「あなたがセシリーお嬢さまのご学友さまで?」
運転席から降りてきたのは、
撫で付けられたグレーのオールバックにスッと伸びた背筋
この暑い日でも黒いスーツでビシッと固めた、
「はい」
「お迎えにあがりました。私、マルクス家の家令を務めております、ロバート・ステファンと申します」
モノクルを掛けていない以外は、万人がイメージする『老執事』な男性。
彼は胸に手を当て、きっちり45度の礼をする。
ちなみに家令と執事は別物だったり、そうでなかったりする。
それはさておき、礼には礼を。
「アンヌ=マリー・ポルナレフと申します」
ジャンヌも45度で応える。
彼女とて社交界(仕事で潜入する)で鍛えたものがある。
それでいうなら、この時代はまだスカートでカーテシーするべきなのだろうが。
「いつもお嬢さまがお世話になっております」
「いえいえ、こちらこそ」
「ではポルナレフさま、お乗りください」
だがステファンは男装に偏見はない、もしくは表に出さない分別があるらしい。
まったく気にした様子はなく、彼女を後部座席へエスコートする。
それからすいすいとハンドルを手足のように捌き、滑らかにUターン。
「いやぁ、それにしても、ご学友が旧交を忘れず訪ねてきてくださるとは。使用人としてうれしいかぎりでございます。ありがとうございます」
「そんな大袈裟な」
「大袈裟ではございません。お嬢さまもポルナレフさまとの再会を、心待ちにしていらっしゃいますよ」
「私もです。待ち遠しい」
「なぁに、すぐに到着いたしますよ」
あまりスピードは出していないが、それでも車はグイグイ坂を登っていく。
なるほど、金持ちが平気で高台に家を建てるわけである。
「王国へいらっしゃるのは初めてですか?」
「いえ、一度キングジョージに滞在したことが。シーシュースは初めてですね」
「そうですか! あそこに比べたらここは田舎ですが、食事はカレイジャスの方がおいしいですよ! なんたって魚介が新鮮! 食べるならブイヤベース!」
「それは楽しみですね」
「あぁ、でもポルナレフさまは本場のご出身でしたか」
「ははは」
だが彼はもはや、金持ちの運転手というよりタクシーの運ちゃん。
そんな陽気に話すステファンの後頭部を、
ジャンヌは少し険しい表情で眺める。
毛が薄いのを発見した、とかではない。
ではなぜ、この気さくな老人をそんな目で見るのか。
なぜ、依頼先の娘の学友を名乗り、偽名を用いているのか。
それは
丘の上に佇む大きなお屋敷。
建物の大きさもさることながら。
近隣住宅が全て中腹までなので、自由に庭が広く取られている。
その1階、応接室でジャンヌはソファに座っている。
大理石のテーブルを挟んで向かいのソファにいるナイスミドルが、
「初めまして『メッセンジャー』さん。私がブライアン・マルクスだ」
今回の依頼人である。
「『ケンジントン人材派遣事務所』から参りました。『メッセンジャー』のジャンヌ=ピエール・メッセンジャーです」
「ん? 『メッセンジャー』はそういう職業だと聞いているが」
「そうですが」
「……名前が?」
「雇い主が愚かなもので」
あごヒゲともみあげが繋がり、口ヒゲも豊か。
老け顔ではないが厳つい顔立ちの彼は、複雑そうな表情で一つ息をつくと、
「まぁいい。本題に入ろう。いや、本題というより再確認だな」
どうでもいいややこしい話より、建設的な方向へ舵を切る。
軽く前傾姿勢になると、ガラス製の灰皿を手元に引き寄せる。
「葉巻、よろしいかな?」
「どうぞ」
ジャンヌが手で促すと、ブライアンは吸い口をカッターで切りつつ話を進める。
「オーディシャス伯から話を聞いていると思うが。今回の依頼は父の遺産についてだ」
「はい」
「私の父にしてマルクス・ペッパー・カンパニーの社長、
デービス・マルクスが先日世を去った」
彼はマッチの火を葉巻の先端に寄せ、吸いつける。
そのままたっぷり煙を口で楽しみ、たっぷり吐くと、
「亡くなるまでに昏睡状態が続いてな。それで、生きているうちから薄情とは思うだろうが。私たちは父の遺産について調べていたんだ」
私たち。
そう語るブライアンの
左、やや後ろで一人掛けの椅子に座る、母くらいの年齢のマダム。
彼の背後、やや遠巻きで腕を組む20代、息子くらいの青年。
そのさらに奥、窓のそばのテーブルと椅子に着くのは妻と娘だろう。
ちょうど親子孫3世帯揃い踏みである。
「分かります。大企業の社長でこれだけ家族も多ければ、相続は大変でしょうから」
「うむ。大変になる
はずだった」